「わっかりづら……ッ!」

 警察署を後にし、さ迷うこと一時間。ジェレマイアはようやく、探していた店の前へと辿り着いた。
 ダメ元で聞いた、『月桂樹』という名のバーを、彼らは知っていた。そして、彼らはその場所をメモ用紙に簡易な地図を書き、ジェレマイアに渡して来た。知らないと一蹴されてしまうのではないかと思ったが、まるで行きつけの、馴染みの店であるかの様に彼らはあっさりと教えてくれた。
 ただ、その地図があまりにも簡易であった為に。ここかと思って入った道が違い、戻っては確認をし直すという行為を何度も繰り返した。幾らなんでもざっくりし過ぎじゃないかと。手元にあるメモを見ながら、ジェレマイアは今もポーカーに興じているだろう警察官たちの姿を思い浮かべる。彼らにとって勝手知ったる地元であっても、ジェレマイアには未知の領域だ。その辺り、もう少し気を利かせてくれても良かったのではないかと思わなくもない。

「……大丈夫、かな」

 あのオーナーの言葉を信じ、やって来た。もしかしたら、騙されているのかもしれない。もっと酷い目にあうかもしれない。事態が好転するどころか悪化する可能性も否定できない。不安要素は山ほどある。
 それでも、今は賭けるしかない。見知らぬ土地で、ただ一人。友人たちを救えるのは、自分しかいない。ここで出来なければ自分も友人たちも、生きて帰れるかも分からない。
 どうか、どうか。扉を開ける前にジェレマイアは何度も深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。この扉の先に待っているものが、自分の助けとなるものであるように。祈り、ジェレマイアは扉のノブに手を掛けた。

ーーからんからん。

 小気味良いベルの音と共に扉は開き、ジェレマイアは店内に足を踏み入れる。店内は奥の方にカウンター席、窓際にボックス席があり、余り大勢は入れない広さだった。照明はやや暗めで、ジャズと思しき音楽が流れている。先程友人たちと入った店とは対象的な、落ち着いた雰囲気。先客はカウンター席に座る人物が一人だけ。そしてそのカウンターを挟んで、奥の空間に店のマスターと思しき男が皿洗いをしていた。

「あ、あの、すみません」

 恐る恐る、マスターに声を掛ける。その見た目は、友人たちと入った店で脅してきた男たちとは違ったいかつさがあった。着ているシャツ越しにも分かる、鍛えられた逞しい体躯。緩いウェーブの掛かった黒髪は肩より少し下。生えている髭は綺麗に整えられており、清潔感がある。ナイスミドルという言葉がぴったり合う。そんな人物だった。

「注文は」

 ジェレマイアの存在に気付いたマスターは彼の方を見やり、短い言葉で訊ねてきた。客と認識したのだろう。座る様目線で促してきた為、ジェレマイアは丁度マスターの正面に位置する席のスツールにおずおずと腰掛ける。

「あ、えっと……その、飲みに来たんじゃないんです」

 こんな事を言うと、冷やかしと思われてしまうだろうか。ジェレマイアは一瞬不安を抱いたが、マスターはその言葉にぴくりと反応し、拭いていた皿をしまうとジェレマイアの方に向き直った。

「用件は」

 どうやら話は聞いてもらえるらしい。警察署の時のようにならない事を祈りつつ、ジェレマイアは事情を説明した。出来るだけ分かりやすく、またこの事を警察署で話したら取り合って貰えなかったことも含めて。
 マスターは黙ってジェレマイアの話に耳を傾け、やがて一区切りついた所で小さく頷き、口を開いた。

「それで、お前は何が出来る?」
「へ?」
「殺しの腕が立つ、精密機器に強い、特異な能力がある……その辺が分からんと、紹介するもんも出来ん」
「……あの、紹介って、何のですか?」

 質問の趣旨が理解できず、思わず聞き返す。すると、マスターは僅かに眉を寄せ、訝しむ様にジェレマイアを見据えた。

「仕事だ。そのオーナー、パッサカリアのグレモリーだろう。此処の事、何も聞かなかったのか?」
「ぱっさ……ぐれ? はい、取り敢えずここに行ってみろとしか……」

 聞き慣れない言葉に戸惑いが隠せない。あの店のオーナーは、ただ困っているならこの月桂樹を訪ねろと言って来た。それ以上のことは何も教えられていない。
 素直に答えると、マスターは溜め息を吐き、頭を掻いた。

「此処では仕事の仲介をしている。纏まった金が手っ取り早く欲しいんだろう?」
「は、はい。お金は必要です。そうしないと皆が……」
「なら、その仕事で活かせそうなことはあるかって聞いてるんだ」
「活かせそうなことって言われても……」

 ジェレマイアはただの大学生だ。今までに仕事どころか、バイトすらしたことがない。日々の生活はとある人物からの支援と奨学金で何とか成り立っている。卒業後はどこかに就職して稼がなければならないが、在学中に働くことなんて、考えたこともなかった。それ故に、仕事で活かせそうな事と言われても、すぐには浮かんで来なかった。

「マスター、相手にするだけ無駄だ」

 ジェレマイアが回答に困っていると、それまで無言だった、カウンター席の一番隅に座っていた人物が口を開いた。はっとしてそちらの方を見遣ると、黒衣に身を包んだ麗人が呆れた表情を浮かべていた。長い銀色の髪に、澄んだ深い青の瞳。顔立ちは整っており、黙っていると男性か女性か判断がつかない。背丈と、先程の声音からして、恐らく男性だろう。綺麗な人。ジェレマイアが最初に抱いた印象はそれだった。

「素人だろ、お前」

 高くはなく、低すぎでもなく。淀みのない、澄んだ声。見据えて来る瞳は鋭く、本人にその気は無くてもジェレマイアには威圧的に感じた。
 素人。そう言われて、ジェレマイアは言葉に詰まる。何をもってそう言われたのかは、大体分かる。南エリアの事は何も知らない。数時間前に来たばかりの人間だ。ただ、その数時間の間でも、この地がジェレマイアの住んでいる東エリアとは明らかにヒトの『在り方』が違うと分かった。

「何も出来ねえ野郎が冷やかしに来てんじゃねえよ」

 虫を払いのける様な仕草で手を振ってくる。明らかに、歓迎されていない。南エリアの人間は皆こうなのだろうか。部外者、というか他人に対して冷たい。マスターはまだ様子を伺う様にジェレマイアの方を見ているが、反応によっては無慈悲に切り捨てられるだろう。
 けれど、ここで引き下がるわけには行かない。このまま何も出来ませんと言って追い出されれば、それこそ詰みだ。ジェレマイアも友人たちも、皆東エリアに帰れないだろう。

「ぼ、僕は魔法使いです!」

 魔法使いというステータスがこの場でどれ程の効果を持つか、正直分からない。稀有な存在であるという事は認識しているし、特別な能力である事も自覚している。先程の店での男たちの動揺の仕方も、その証拠だろう。何が出来ると聞かれても上手く答えられないが、決して魔法使いという存在は軽くあしらわれる様な存在ではないはずだと。内心ジェレマイアは祈りつつ、叫びにも似た声を上げた。

「……魔法使いだと?」

 ジェレマイアの言葉を聞き、マスターの表情が明らかに変わった。男の方もまた、ぴくりと片眉を跳ね上げたのが見えた。


prevnext
Back
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -