「警察……」

 外に放り出され、最初に浮かんだ選択肢は警察を頼ることだった。いくら高級店だからと言って、あんなに高額の請求になるだろうか。もしかしたら世間で言うぼったくりバーの類だったのかもしれないし、仮にそうでないとしても先程の行為は恫喝、脅迫である。警察に相談すれば、何かしら手を打ってくれるはずだ。
 南エリアを訪れたのは初めてだ。故に、どこに何があるのかはさっぱり分からない。通行人に警察署の場所を聞いてみようとしたものの、見るからに危険な雰囲気を持つ、いかつい者たちばかりで、小心者のジェレマイアにはとても声が掛けられなかった。
 小一時間は歩いただろうか。それらしい通りを行ったり来たりして、ようやく警察署を見つけた。年季の入った2階建ての建物。失礼だが、オンボロという言葉がぴったり当てはまる。
 塗装が剥がれかけている扉は立て付けが悪く、開けるのに少し苦労した。ぎこっ、と。軋んだ音と共にそれを開けると、ジェレマイアは深く息を吸い、足を踏み入れた。
 
「あの、すみません――って、ぶぅえ……ッ!」

 それがいけなかった。吸い込んだ空気の中に混ざる強烈な臭いに、ジェレマイアは思わず咽せこんだ。
 酒臭い。ついでに煙草臭い。室内に匂いが充満している。大衆居酒屋でもここまで酷い臭いはしないだろう。
 間違えたのだろうか。しかし外には確かに警察署と書かれた看板が掛かっていた。ここで合っている筈である。

「あーマジかよ! 今日の勝ちが全部パーじゃねえか!」

 服の袖で鼻と口を覆い、中を見渡す。その場にある設備を見ても、やはりここは警察署で間違いない。
 受付となるカウンターの奥に、数人の警官らしき男たちが居た。それぞれが椅子に座り、丸テーブルを囲んでいる。テーブルの上にあるのは空になったグラスに、酒瓶、吸い殻が山盛りになった灰皿。そして各々の手元に広げられたトランプ。

「フルハウス来たから貰ったと思ったのによお……って、なんだ兄ちゃん、どした?」

 叫びにも似た声を上げた黒髪の男が、ジェレマイアの存在に気付き、振り向く。聞こえて来た単語からして、ポーカーをやっていたのだろう。更に彼の落胆の仕方を見るに、賭博が絡んでいる。

「…………ここ、警察署ですよね?」
「あん? 見てわかるだろ」
「いや、だってそれ……」

 酒に煙草に、賭博。どう見たって警察がするものではない。逆に彼らは取り締まる側の人間である。さも当然の様に返されたが、非常識の域を超えている。

「良いじゃねえか。今日も通報はゼロ。平和に一日終えたんだから、ぱーっと遊んだって」
「いやいやいやいやいや?」

 平和に一日を終えたのと、そのまま職場であるこの場所で遊ぶのは話が別だ。勤務時間に酒を飲んで煙草吸って賭博をするなんて、はっきり言ってあり得ない。苦情待ったなしだ。

「で? 何しに来たんだよ、兄ちゃん」
「あっ、そ……そうです、助けてください! 僕と友人がお店の人に脅されて……!」

 ジェレマイアは出来るだけ分かりやすく、彼らに事情を説明した。高級店に入って酒を飲み、支払いが出来ず大変なことになっている。確かに悪いことをしたが、殺されそうなレベルで脅されている。やり方がぼったくりバーのようである。取り締まることはできないか。何とか助けてもらえないか。

「はー……なんだ。そんなんか」
「えっ……?」

 ジェレマイアの話を聞き、男が返したのは実にくだらないと言わんばかりの溜め息と呆れた声だった。予想外の反応にジェレマイアは戸惑い、何故なのかと問おうとして、男が先に続けた。

「そーいうの、南エリア(ここ)じゃ良くある話だ。オレ達が動くほどの事じゃねえ」
「は? ちょ、ちょっと。なに言ってるんですか!?」

 確かにこの南エリアは、ジェレマイア達が住んでいる東エリアに比べ、治安が悪い。そういったトラブルが多いのも頷ける。ただ、それに対して警察が動かないとは。

「殺されそうになってるんですよ!? そういうの取り締まったりしないんですか!?」
「しないな」

 あっさり返ってきた言葉に、再び絶句する。常識が通用しない。おかしい。考えられない。ぶっ飛んでいる。警察が犯罪を目の前にして動かないなんて。ジェレマイアが住んでいる東エリアの警察は、通報すればすぐに現場に駆けつけてくれるし、親身になって対応してくれる。同じ警察なのに、何故こうも違うのか。

「兄ちゃん、南エリアのルールを知ってるか? 『自己責任』だ。何をしても自由だが、自分の行動には責任を持たなきゃいけねえ。おたく等が東エリアの人間だっつっても、南エリアに入ったんなら、そのルールに従って貰わねえと」
「……ルールって、言ったって……」

そんなの初めて聞いた。元から南エリアが物騒な場所であることは知っていたが。その在り方は東エリアとはあまりにも違い過ぎている。

「そのエリアの事はそのエリア内で解決。これ魔女サン達が決めてる鉄則な。もち、東エリアの警察に相談とか意味ねーから」

こうなったら、東エリアに一度帰ってそこの警察に相談を。そう思った矢先、思考を読んでいたかの如く男が釘を刺してきた。魔女、と言うのは各エリアを治める人物の総称だ。それぞれのエリアに一人ずつおり、更に彼女たちを纏める大魔女と呼ばれる存在がいる。彼女たちの権力は絶対だ。その彼女たちが決めたことであるなら、一般市民がどうこう言ったところで覆りはしないだろう。

「つーわけで。オレ達の出番はないんで。ほら、帰った帰った」
「え……あ、その……」
「そこに居たってなーんも変わらねえよ。俺たちはもう営業時間外だからさ。ま、営業時間でもその案件は受け付けねーけど」
「……うそ、でしょ……?」

 ジェレマイアが何を言っても、彼らは態度を変えなかった。脅されているのに、親友が人質に取られているのに、それらは全て自己責任であると。自分たちが動くほどの事ではないと。犯罪が起こっているのに、取り締まらない。何のための警察なのか。呆れ、失望した。そしてそれ以上に、腹が立った。けれどここで幾ら声を上げたところで、彼らが協力してくれるとは思えない。

「…………」

 やはり、常識が通じない。どうしようもない現実を叩き付けられ、目の前でポーカーの続きを始める彼らに絶望する。完全に詰んでいる。警察が動かないならば、一般市民である自分はどうすれば良いと言うのか。
 がっくりと、その場で肩を落とす。友人を見捨てる事は出来ない。だが支払いをする為の資金を確保する術もない。どうしよう。どうしよう。絶望の中、何とか活路を見出そうとして。ジェレマイアは、あの店を出る前にオーナーが言っていた言葉を思い出し、彼らに訊ねるべく声を張り上げた。

「あっ……あの! 『月桂樹』ってお店、知ってますか!?」

prevnext
Back
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -