白銀の狂詩曲【短編】 | ナノ


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「おかえりー。ちゃんとおしっこ出来たかな?」


待ち合わせの場所として指定されていたホテルの一室に入ると、バスローブ姿の男が待っていた。シャワーを浴びたのだろう。ベッドの端に座りワインを片手に待つ姿は何とも言えないシュールさがある。正直、似合っていない。小太りで頭頂部が剥げかけた中年がやっても決まる訳が無い。突っ込んでやりたかったが、余計な事は言えず、ジェレマイアは黙った儘彼の傍へと歩み寄った。


「それじゃあ、脱いでみて?」


近くまで来たジェレマイアを見て、男は満面の笑みを浮かべながら下半身の服を脱げと指示を出す。紙パンツをはく時もそうだったが、脱ぐのも男の前でやらされるとは、何と言う屈辱か。


「ほら、早く早く」


嗚呼、殺したい。殺すのがダメならせめてぶっ飛ばしたい。湧き上がる殺意を必死に堪え、ジェレマイアは言われる儘ズボンのベルトに手を掛け、のろのろとした動作で脱ぎ始めた。ベルトを外し、ズボンを脱ぎ、自らが出した尿で重くなっている紙パンツを、脱ぐ。その一連の動作を、目の前の男は興奮した様子でじっと見詰めていた。


「あぁー、エレミアちゃん本当にお漏らししちゃったんだねぇー、恥ずかしいねえー」


下半身丸出しも恥ずかしいが、それよりも濡れた紙パンツを男へ差し出す方が恥ずかしい。俯き、渡したそれを男は奪う様にして受け取り、あろう事か中に顔を突っ込んで臭いを嗅ぎ始める。ブジーの時もそうだったが、この男の性癖はジェレマイアの理解の範疇を超えている。普通、排せつ物の臭い等、嫌悪感しかないのだが。鼻息荒く臭いを嗅ぐ様子は見ていて寒気がした。おかしい。絶対におかしい。屈辱を感じながら、ジェレマイアは同時に言葉にし難い恐怖を感じていた。


「ふへへ、エレミアちゃんのおしっこ……ふひ、ふひひひ」


嗚呼、気持ち悪い。今すぐ此処から立ち去りたい。寧ろ目の前の男をぶっ飛ばしたくて仕方が無い。ニュクスさえ、彼女の事さえ無ければ今頃躊躇せずに実行していた。股間の中心を両手で隠し、出来る限り周囲に見せない様前屈みになりながら、ジェレマイアは早く男の気が済んでくれる事を祈った。

しかし。


「エ、エ、エレミアちゃあーん! ぼく、ぼくもう我慢できない! セックスしよう!」


男は紙パンツを放り投げたかと思うと馬鹿みたいに大きな声を出し、ジェレマイアの腕を掴んで来た。何を、と聞く間も無く強い力で引っ張られ、傍らにあったベッドの上に放られる。
ぼす、と。背中からベッド上に倒れると、起き上がるよりも先に男が圧し掛かって来た。
話が違う。言われた事を理解した瞬間、ぞわりと悪寒が走った。セックスは出来ないんじゃなかったのか。いや、その前にしないと言ったではないか。逃れようとしたが、男の腕の力は想像以上に強く、ジェレマイアの力では振り解けない。


「――――ッ!」


嗚呼、無理だ。殺そう。これ程の屈辱を受け、更に犯されるとなれば。もうニュクスの心配をする余裕は無くなっていた。これにより、彼女はひどい目に遭うかも知れないが、自分だって結構な目に遭っているのだ。お互い様と割り切るしかない。
そう思って手に風を纏おうとした所で、男の背後から聞き慣れた発砲音がした。


「……え?」


今のは、銃声だ。弾ける様に一発。それが聞こえた直後、目の前の男は『あへ』と間の抜けた声を上げ、ジェレマイアに向かって倒れ掛かって来る。それを咄嗟に横へ押し退け、身を起こすと、男の後頭部から血が溢れ、流れているのが見れた。恐らく、撃たれたのだろう。不意打ちで急所に一撃。男がジェレマイアに夢中になっていたとは言え、良く気付かれずに近距離で撃ったと思う。
そう、近距離で。何時の間に部屋に入り込み、ジェレマイアを襲う男を撃ったのは。


「……ニュクス、くん?」
「何呆けた面してんだよ」


其処に立っていたのは、ジェレマイアの相棒であり、男に人質として捕まっていた筈のニュクスだった。持っている拳銃の銃口に軽く息を吹きかけ、緩く首を傾げる姿は、紛う事無き本物で。彼女が、自分を助けてくれたのかと。信じられない状況に驚きつつ、既に息の無い男とニュクスを交互に見遣る。


「え、だって、貴方この人に捕まって……」


だから、自分が助ける為に体を張っていたのだが。男によって捕えられ、縛られて監禁されていたのでは無かったのか。自分が下手に逆らえば彼女は男の部下達によって犯され、嬲られ、殺されると脅された。だからこうして、普通なら引き受けない無茶な要望に応えていた。自力で脱出出来たのだろうか。しかしそれなら、どうやって。



「は? 俺はさっきまで仕事だったんだが?」
「はい?」


何時もの様に月桂樹で仕事を請け負い、先程までこなして来た。その事実に、ジェレマイアは目を見開き、固まる。聞けば、仕事を済ませ、月桂樹に報告しに行った所で、ジェレマイアが厄介な男に絡まれているとマスターから知らされ、此処まで来たのだと。相棒のピンチを救うべく、休む時間も惜しみ、駆け付けたと。『だからもっと感謝されて良い筈なんだが』と、ニュクスは持っている銃を霧散させながら肩を竦める。


「…………」


つまり、この男が言っていた事は嘘だったと。ニュクスが仕事で不在なのを上手く利用し、自分は男に良い様に遊ばれていたのだと知り、ジェレマイアは脱力する。ニュクスが無事ならば良かった。良かったが、では自分が今まで受けて来た仕打ちは一体何だったのか。


「どうでも良いけどお前、その粗末なモノしまえよ」
「なっ……」


あれこれ考えていた所で、その思考を中断させる様にニュクスが言い、何もはいていない下半身を指さす。股間の中心をもろにニュクスに見せていた事に気付き、ジェレマイアは慌ててベッドのシーツを剥ぎ取り、上に被せて隠した。幾ら相棒であるとは言え、異性相手に性器を露出しているのは頂けない。せめてパンツをはきたかったが、男によって没収され、何処かに隠されてしまっている為、直接ズボンをはくしかない。流石に、濡らした紙パンツをはく気にはなれなかった。
取り敢えず、今回の件はニュクスが男を始末してくれた事で片付いた。結局、自分だけが男に振り回されていたのだと分かり、何とも切ない気持ちにはなったが。もうこれ以上辱められる事は無いと思うと、全身の力が一気に抜けて行った。


「……何で泣いてんだよ」
「うう、だって……だって……」


気付けば、両目から涙が溢れ、ぽろぽろと零れていた。ニュクスが――彼女が何もされていなかったのと、自分が変態野郎の手から解放された安堵で、涙腺が緩んだ。嬉しいやら恥ずかしいやら、情けないやら。様々な感情で胸がいっぱいになり、泣かずにはいられなかった。良い歳して、と言われそうだが、幸いな事に、此処には自分の事を良く理解してくれているニュクスしかいない。だから、今だけ。今だけ少し、泣こうと思った。


「帰るぞ」


ジェレマイアが今までどんな目に遭っていたか、ニュクスは知らない。知ろうとも思わない。寧ろ知ってはいけない気がして。少し離れていた所に落ちていたズボンを拾うと、ベッドの上でべそをかくジェレマイアに差し出す。


「はい……帰る、帰ります……ひぐ……」


それをしっかり受け取り、頷くも。
ジェレマイアは暫くの間、ぐすぐすとその場で泣き続けた。




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