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特訓をしている間、彼女はジェレマイアが紹介した空き家に住み着き、村の仕事を手伝った。最初は突然やって来た部外者に村人達も警戒していたが、厄介者であったジェレマイアの世話をしてくれると言う事で、自分達に風の被害が来ない事に安堵し、何も言わずに二人の様子を遠巻きに眺めていた。
一週間、一ヵ月、そして半年。朝から晩まで行われる特訓はジェレマイアにとって苦行であり、挫折しかけた事も有った。その度に彼女が叱咤激励し、決して離れる事無くその傍に居た。暴走した風で彼女を傷付けた事も有ったが、彼女は『死ななきゃ安い』と笑って流した。
ジェレマイアの周囲を取り巻く風は、そうした努力の甲斐あってか、少しずつ制御が出来る様になり、一年も経つ頃にはほぼ完全にその力を己のモノとしていた。


「ふいー、こんなに頑固な風は初めてだよ。でも良かった。何とか抑えられる様になったね」


己の身に危害が及びそうな状態になっても、内に宿る風の力を暴走させる事無く、コントロールする事が出来る様になった。完全に、と言うにはまだ心許ない所があるが、日常生活を送るには十分か。
毎日付きっ切りの特訓は決して楽なものでは無かった。けれどジェレマイアは弱音を吐く事は有っても、諦める事はしなかった。中々上手く行かない風の気紛れに、何度も泣いた。男なのに情けないと、笑われもしたし、拳骨を喰らったりもした。それでも、少しずつ風を自分のものとしていける事に喜びを覚えたし、褒めてくれる彼女が居たから頑張る事が出来た。


「よしよし、これでもうわたしの手は要らないね」


目の前で生まれた風が穏やかに吹き、消えて行くのを見た彼女は満足気に笑み、風を操っていたジェレマイアの頭を優しく撫でた。精霊の声を聞き、力を自在に操る事が出来る様になるまで、掛かったのは一年と少し。それが長いのか短いのか、他に比較する対象の無いジェレマイアには分からなかったが、これでもう風の力に怯える事無く、以前の暮らしに戻れるのだと思うと嬉しかった。
しかし、それと同時にジェレマイアの中に或る不安が生まれた。彼女は一年間、ジェレマイアの特訓に付き合ってくれた。元々彼女は旅人だ。その日その時、気の向く儘各地を旅していると言っていた彼女が、ずっとこの村に滞在していたのは、ジェレマイアの為だったとしたら。もう用は済んだとばかりに、この村を去ってしまうのでは無いかと。風の恐怖から、今度は唯一の理解者が居なくなってしまう事への恐怖が、沸き上がった。


「あの、これからどうするんですか?」


恐る恐る、ジェレマイアは聞いて見た。一人になる恐怖とは別に、もしかしたら彼女がこの儘村に定住してくれるのでは無いかと言う、淡い期待を抱いていた。何れにせよ、答えは聞かなければならないと。頭を撫でる彼女を見上げ、反応を待った。


「ん?なぁに、どうするって?わたしが居なくなっちゃうのが寂しいの?」
「…………」


図星だった。鋭いと言うか、察しが良いと言うか。ストレートに返って来るそれに、ジェレマイアは黙って肯定の意を示す。寂しい、と言うのは確かにある。彼女は自分の唯一の理解者であり、恩師である。居なくなってしまえば、これから自分は何を拠り所にすれば良いかも分からない。
ジェレマイアが言いたい事をそれとなく理解した彼女は、困った様な笑みを浮かべながら頬を掻いた。


「うーん、まぁ。ちょっとこの村には長く居すぎた気もするけど。今すぐに居なくなるって事は無いよ?」


結構、この村を気に入っている。彼女はそう言って、ジェレマイアと同じ視線になる様に屈み込む。翡翠の瞳と、榛の瞳が交差した。彼女の瞳に宿るのは、穏やかな色。それは、今紡いだものがその場凌ぎの偽りの言葉では無い事を証明していた。


「……本当に?」
「そりゃあ、わたしは旅人で、気の向くままに色々歩き回ってる。でもね、一度愛着を覚えた場所からあっさり離れるってのはねえ……中々できないかなー?」


つまりそれは、もう少しこの地に滞在してくれる。そう言う事なのだろう。それを知ったジェレマイアの顔は分かり易い程ぱっと輝き、両手を伸ばして彼女に抱き着いた。まだ、居られる。自分を救ってくれた彼女と、一緒に居られる。安堵と喜びを抑え切れず、ジェレマイアは力いっぱい彼女を抱きしめ、感謝の言葉を吐き出した。ありがとう、ありがとう。他人に此処まで心を開けたのは、何時ぶりか。嬉し過ぎて涙が零れた。泣き虫エリーと、村の子供達には散々からかわれ、笑われたが、構いはしない。


「寂しんぼですぐ泣いちゃうきみを置いて行くのもねー、まだできなさそうだし」


彼女は本当の母親の様にジェレマイアを抱き返し、愛おし気に頭を撫でた。人と関わるのは嫌いでは無いが、此処まで赤の他人に入れ込んだのは初めてだ。最初はただの気紛れ。けれど気付けば、彼の為に毎日熱血とも言える指導をし、特訓をしていた。最早他人と呼ぶには近過ぎる距離であり、簡単に別れられる程薄情な人間では無かった。
願わくば、もう少し。言葉にはしなかったが、その想いはジェレマイアにも伝わっただろう。初夏の黄昏、村の外れで。風使い達は共に在る約束を交わした。




けれどその別れは、思わぬ形で訪れた。




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