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「おい、大丈夫か」
「大丈夫……って言いたいんですけど、ちょっと」


キコの診療所を後にし、すっかり暗くなった路地を歩いていたニュクスは、隣で顔を青くしているジェレマイアに訊ねる。
元々ジェレマイアは血が苦手だ。多少は我慢出来るが、大量に溢れていたり、死にかけている人間を目の前にして、平然としていられる程の度胸は無い。先程の男も、相当酷い状態だった故、気分が悪くなってもおかしくはない。
案の定、ジェレマイアは口元に片手を添え、今にも嘔吐しそうな表情で掠れ気味に返して来た。グロテスクな場面だけで無く、若い女が目の前で泣きながら人を殺したのだ。如何すれば、何も感じないでいられると言うのか。
だが、ジェレマイアがげっそりとしている理由は、それだけでは無い。


「あの人、あっけらかんとしてますけど結構やってる事が何と言いますか……ええっと……」
「えぐい」
「それです」


キコは医者であり、怪我や病を治すのが仕事だ。腕は悪くないし、急を要する際の判断も的確で、ヤミだとかヤブだとか言われてはいるが、良い医者だと思う。
ただ、言葉の重みに対し、何時も話し方が軽く、そのギャップに戸惑いを隠せない。言っている事は間違いでは無いし、常に最善で最適な選択をしている。躊躇いが無い、と言う表現が合うだろうか。他人を思いやりながらも、戸惑い、迷いは無い物とする。必要ならば自らが当事者の代わりに動く事も厭わない。
善人だが、人として大事な『何か』が欠落している。特に、死に対する考え方が人と逸脱している様にジェレマイアは感じた。


「まあ、元は王国騎士団の軍医だったつーし、色々有ったんじゃね?」


中立都市に流れて来る異端者の大半は、王国から逃れて来た人間だ。
魔法、魔術の文化が発達している王国に於いて、異端者は自然界の理に背く不浄のモノとされ、迫害される。国内の異端者に人権は無く、異端者だと発覚した場合、良くて追放、悪くて激しい拷問の末に殺されると言われている。
キコの左半身にあるあの火傷も、異端審問による拷問の痕なのかも知れない。


「……そう言えば王国と帝国の戦争、何時になったら終わるんでしょうか」
「暫くは続くんじゃねえの?最近王国が盛り返して来てるって聞くぜ」


王国と帝国。
中立都市が生まれるきっかけとなった外の国達は、もう何年も前から戦争をしている。
最初は帝国の方から仕掛けた侵略戦争だった。科学技術が発達している帝国と、魔術が発達している王国。異なる文明、文化を持つ国の戦争は、双方の力が拮抗し、膠着状態が続いている。
名の通り中立を貫くこの都市に戦火が及ばないのは、都市を『管理』する大魔女の力が強い為とされているが、真実は定かではない。一部の人間の間では、中立都市の力は王国や帝国には一歩及ばないが、どちらかが都市へ戦を仕掛けて来た場合、その隙を突いてもう片方が仕掛けた側を攻撃するからでは無いかとされている。


「帝国の生体兵器の開発とやらも、かなり進んでいるらしいですね」
「あ?」
「何でもないです。何にしても、戦争ってのは嫌ですね。和平……も出来なさそうですし。どちらかが勝つまで続くんですかねえ」


現在のニュクスにとって禁句とも言える単語を呟いてしまい、ジェレマイアは慌てて手を振り、無かった事にする。
生体兵器を主力とする帝国に対し、王国は魔法と魔術を以て立ち向かう。どちらの力が優れているかは甲乙付け難い。生体兵器も魔術師、魔法使いも、その実力はピンキリだ。数だけで言うなら帝国に軍配が上がるが、王国の魔法使い達の質は非常に高い。


「……外の国同士で戦争してる分には、構わないけどな」


そして其処に、異端者が入り込む隙は無い。関わりたい、とも思わないが。
外部のいざこざに都市も巻き込まれれば、面倒な事この上ない。可能ならば穏便に、平穏な状態で全てが終わって欲しい。
先の見えない未来に二人で溜息を吐きながら、ニュクスとジェレマイアは月桂樹に到着し、気持ちを切り替えようと扉を開け、中へ入った。




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