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「嗚呼、クソったれ。気分が悪い」


悔しい。その一言に尽きた。次に会えるのは果たして何時になるか。数日以内かも知れないし、数か月先かも分からない。
この何とも言い難い遣る瀬無さを、何処へぶつけたら良いものか。
苛々しているニュクスを横目に、尻もちを付いたキコが『どっこいしょ』と年寄り臭い掛け声と共に立ち上がり、淹れた儘になっていた自身の紅茶のカップを取り、啜る。既に殆ど冷めていた為、キコは一気飲みに近い勢いでカップの中身を煽った。
その直後。


「キコ先生!キコ先生!助けて下さい!」


先程は激しく叩かれた扉が、今度は何の前触れも無く開かれ、二人の男女が揃って入って来た。
否、女の方が、男を抱え、連れて来たと言うべきだろうか。細い身体で、自分よりも体格の良い男を支え、引き摺る様にして歩いて来たのだろう。息が上がった状態で、切羽詰まった表情で女は反応を待たずに中に入り、キコへ助けを求めた。


「なになに?どったの?」
「相棒が、お、おそわれて……やり合って、その、け、怪我してっ……」


ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返し、女が男を連れて来た経緯を話す。意識が無いのだろうか。男はぴくりとも動かない。全身至る所に刻まれ、抉られた様な傷が有り、少し前にやって来た男よりも夥しい量の血を流しており、地面に赤黒い軌跡を残していた。
ニュクスが再び野次馬気分で、キコの後ろから二人の様子を盗み見る。知らない顔だ。男も女も未だ若く、その風体から南エリアで食い繋いでいるフリーランサーの様に見受けられる。もしかしたら異端者かも知れない。


「怪我かぁ。取り敢えず体の状態見たいから、そっちのベッドまで運んでくれる?」
「は、はいっ」
「あ、ニュッくんも手伝ってあげてね。女の子一人にやらせちゃ可哀想だよ」
「お前がやれよ」


キコの要求に対し、すかさず突っ込みを返しつつ、ニュクスは女が持っていない方の男の腕を取り、支えてやる。その際、間近になった男の顔を見て、軽く息を飲んだ。硬い物で殴打されたのだろうか。男の顔半分は潰れ、眼球が破裂し、突出している。半開きになっている口の中の歯は大半が折れるか欠けており、舌も血だらけだ。視線を下へと落とせば、体の方も激しく殴られ、至る所に深い切り傷が刻まれていた。この時点で嫌な予感しかしなかったが、好奇心から男の腹部を見遣る。其処は他の箇所よりも出血が酷く、血だらけの下腹部に走る傷口からは、内臓と思しき薄紅色の物体がはみ出ていた。


「いつやられたの?」
「私が助けに行った時には、こんななってて……で、でもまだ息が有るんです。先生、お願いです、助けて下さい!」


隣室のベッドの上に仰向けで寝かせ、事情を聞く。この南エリアでは、何処へ行っても諍いが絶えない。単純な殴り合いも有れば、お互いの得物を抜いて殺し合う事も有る。前者は未だ軽い怪我で済むが、後者は下手をすれば異端者が互いの能力を出し合って争う事も有り、重傷者どころか死人が出る事もざらだ。それに周囲の人間が巻き込まれて死ぬケースも少なくない。
どうやら男は同業の異端者とやり合った末、重傷を負わされた様だ。女は男と組んでいる相棒との事だが、その時は別行動を取っていた為、無事だったと言う。如何な能力を持っていたかは知らないが、全身に人が殴ったとは思えない打撃痕が幾つも有り、更に鋭利な刃物で何度も刺され、斬られていた。特に顔面と腹部が酷く、中に詰まっているモノが飛び出さずに済んでいるのは最早奇跡の域だった。
傷の範囲や、深さを確認し、骨が折れている箇所が無いかを確認し、キコが何か考える様に黙り込む。難しそうな表情で、暫しじっと男の様子を観察していた。確かに女の言う通り、息は有る。けれど非常に浅く、何時事切れてもおかしくない。出血の所為か顔は真っ白で、手先は既に冷たくなりつつある。
ベッドに寝かされた男と、その傍に立つ女と、キコ。それをベッドから数歩下がった所で見守るニュクスとジェレマイア。濃厚な血臭が漂う中、重い沈黙が流れる。余りの居心地の悪さに、ジェレマイアは口元を押さえ、渋い顔をして目を閉じた。
流れた沈黙はほんの数秒だったかも知れないが、キコの言葉を待つ者達には、数十秒以上経っている気がした。沈黙を破ったのは、キコの底抜けに明るい声だったが、紡いだ言葉は、その場に居る者達――特に女を驚愕させる、冷酷なものだった。


「うん、無理だね」




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