5

その単語は、それまで穏やかだったニュクスの心に波紋を立てた。ざわり、と。一度は落ち着いたと思った筈の感情がささくれ立つ。
気付けばキコの胸倉を掴み、自身の方に引き寄せていた。互いの鼻と鼻が接触しそうな程の距離となり、ニュクスの突然の行動にキコが驚き、『はえ!?』と妙な声を出す。


「吐け」


低く、低く、地を這う様な声。憤怒の念がどす黒い思いと共に溢れ出る。
『暴君』は、十日程前にニュクスを殺した男の異名だ。正式な名前は知らない。彼が纏う炎と、その不羈奔放ぶりから、都市に住む者達が勝手に名付け、広まった。
その正体は、『帝国』が所有する生体兵器であり、最高傑作の一柱とされている。生体兵器でありながら、人間と同等の知性と理性を持ち、更に魔法使いとしての素質を持つ。如何な経緯を以て彼が生まれたか。また最強の生体兵器の一人であるにも関わらず、何故この中立都市に出入りしているのか。知る者は居ない。
帝国のスパイでは無いのかと、囁く者も居た。だが、姿を隠す事無く堂々と都市内部を歩き回り、気紛れに去って行く姿は、とても諜報活動をしている者には見えなかった。それに、実際にスパイであるなら、葬儀屋や魔女達が黙っていないだろう。中立都市の核とも言える組織が動いていないのは、彼が国を背負わず、一個人として出入りしているからなのか。葬儀屋や魔女達は、外部の厄介事を持ち込まれるのを酷く嫌う。特に戦に関する事案に関しては、徹底的に拒絶し、出入りを許さない。他国に比べ、決して大きくは無いこの都市が今日まで在るのは、そう言った者達によって名の通り中立を貫いて来たからだ。
暴君は強い。生体兵器として最高の能力を持ちながら、魔法使いとしてのポテンシャルも非常に高い。属性は炎。彼が放つ力は、葬儀屋の『火葬』と同等か、それ以上と言われている。
加えて、暴君の名の通り、性格は荒々しく、己の欲望に忠実だ。生体兵器らしく、人を殺す事に何の抵抗も無く、寧ろ痛め付け、苦しめる事を楽しむ嗜虐的な面も見られる。
十日程前、ニュクスは仕事の最中に彼に捕まり、激しい拷問の末、殺された。暴君はニュクスが抵抗の為に放った銃弾を炎によって全て融かし、暴れる手をへし折り、足を砕いた。激痛に絶叫し、悶絶するニュクスの姿を見て、彼は酷く歪な笑みを浮かべていた。蘇生した今でも焼かれた箇所に疼く様な痛みが走り、脳裏に彼の姿がちらつく。殺されたのは、今回が初めてでは無い。暴君はニュクスの事を気に入っているらしく、接触が有る度に捕らえ、玩具にし、焼き殺した。何度も殺され、その度にニュクスは復讐を誓うのだが、今の所全て失敗し、返り討ちにされている。ただでさえ異端者と魔法使いの相性は悪いと言うのに、更に人間と生体兵器で、身体能力が桁違いなのだ。勝てる要素等、有る訳がない。


「ちょっ、ちょっ、ニュッくんくるぢい!」
「おう、あの野郎が今どこで何してるって?頭撃ち抜かれたくなかったらさっさと吐けよ」
「撃たれたら言えないじゃんかー」
「うるせえ、良いから吐けヤブ医者」


それでも、ニュクスは暴君を倒そうとしている。
何度も酷い目に遭わされていると言うのに、懲りないと言うか、学習能力が無いと言うか。ニュクスの暴君に対する姿勢に、ジェレマイアは呆れを通り越し、感心した。
キコが息苦しさを訴えても、ニュクスは問答無用とばかりに彼を締め上げ、彼が知り得る情報を吐き出させようと揺さぶる。ニュクスの両手を押さえ、何とか呼吸を確保したキコは、『だからヤブじゃないってー』と小さく文句を垂れつつ、天井を見上げながら言葉を紡いだ。


「暴君ね、何日か前にこの街出てったんだって。んで、その前に何人か嬲り殺しにしたらしくてさー……おれの所にも結構担ぎ込まれたんだけど」
「…………」
「ひどいよねー、全身丸焦げになるまで焼いちゃうんだもん。性別も年齢も分からなくなるまでやる事無いと思うんだけどねー……って、ニュッくん聞いてる?」


街を出て行った。つまり、此処にはもう居ない。後半の言葉は耳には届かず、ただ自身を殺した人物の行方を聞き、ニュクスは苦虫を?み潰した様な表情で舌打ちをした。未だ都市に残っている様なら場所を聞き出し、今からでも殺しに行ってやろうと思ったのに。


「げふんっ」


胸倉を掴んでいた手をぱっと離し、解放してやると、キコはバランスを崩し、その場に尻もちを付いた。強かに打ったらしく、痛そうにぶつけた箇所を擦っている。


「ひどいよニュッくんー、折角教えてあげたのにー」


教えろと言うから教えてやったのに、この仕打ちはあんまりであると。唇を尖らせ、抗議の声を上げるも、ニュクスは聞いていない。
蘇生した際、シトリーが未だ街に暴君がいるかもしれないと言っていた。余り期待はしていなかったが、まさか本当に最近まで居たとは思わず、逃した魚の大きさに苛立ちが募る。蘇生直後の体の怠さも抜け、銃の腕も本調子になったこのタイミングで、居なくなるとは。




[ 37/167 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -