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「すいません!先生、せんせー!居ますかー!?」


呼び鈴が有るのに、敢えてそれを鳴らさずに。拳を握り、勢いに任せがんがんと叩く音に、ニュクスとジェレマイアは何事かと其方へ視線を向ける。


「え?なになに?急患?」


缶の中から茶の葉を出し、茶漉し器の中へ入れようとして、キコが手を止める。診察時間は既に過ぎていたが、この南エリアでは時間外に駆け込む急患が非常に多い。諍いの絶えない土地故に、怪我人が大半を占めており、重傷者が担ぎ込まれる事も珍しくない。寧ろ日常茶飯事だ。キコもその事を承知しているらしく、ニュクスとジェレマイアに『ちょっと待っててね』とだけ言い、独特の靴音を立てて扉へ向かった。
扉を開けると、ガタイの良い大柄な男が片腕を血で濡らし、立っていた。その後ろには男の知り合いだろうか。顔を青くした細身の男が不安そうに此方を伺っている。


「さっき其処で喧嘩になって、刃物でざっくりやられちまったんです」


扉を叩いたのは、大柄な男の方だろう。野太い声で、血塗れの腕をキコの前に掲げ、状態を説明する。自力で歩き、此処まで来たものの、痛みは相当な様で、無精髭の生えた精悍な顔が引きつっている。


「うっわ、エグいねー」


取り敢えずこっちこっち、と。キコは滴る血で床が濡れるのも気にせず、男を隣の部屋へ案内し、患者である男を診察用ベッドの上に座らせた。溢れ出る血をガーゼで拭い、傷口の正確な大きさと状態を確認しようとキコが顔を近付ける。傷が有るのは右腕、肘の辺りから手の甲に向かって、ざっくりと切られている。それ以外に目立った外傷は無いものの、出血は今も止まらず、傷口全体から血が滲み続けている。
ニュクスとジェレマイアは好奇心から、キコと男達が入った部屋に続けて入り、少し離れた位置から彼等のやり取りを眺めていた。


「あー、でも傷口が思ったより綺麗だから、縫合すればすぐ治るよー」


傷は深いが、土や埃等の汚れは殆ど無い。軽い洗浄をし、縫合をすれば問題は無さそうだと。未だ流れる血を拭いながらキコが言う。男はキコに促され、部屋の隅に有る水道で腕を洗った。その際、かなり染みたのだろう。男の顔が更に引きつり、腕先が震えた。それでも悲鳴を上げたり、痛みを訴えないのは、野郎としてのプライドが有る為か。
洗浄を済ませると、キコは男を再びベッドの端に座らせ、傷の有る右腕を心臓より高い位置になる様、高さの有る採血台を持って来てその上に乗せる。縫い合わせる前にと、再度ガーゼで傷口を拭い、ゴム製の薄手袋を装着すると、麻酔を施す為に傍らのワゴンから注射器を取り上げた。『ちょっと痛いけど我慢してねー』とキコは男に笑みかけ、細い先端を傷口の近くの皮膚へと突き刺し、中の液体を注入する。
縫合よりも、前の麻酔の方が実は痛いのだと誰かが言っていた様な気がするが、実際は如何なのだろうか。一連の動作を眺めていたニュクスはふと疑問に思ったが、痛覚が他人よりも鈍い自らの身では、如何とも言えない。


「……と、言う訳でオッペ開始ぃ」


麻酔を注入し、少し間をおいてから効果が出たのを確認し、キコが傍らのワゴンに乗っているメスを手に取る。鼻歌混じりに手中でメスを回し、天井の照明に掲げて刃に澱みが無いかを確認すると、その先端を男――ではなく、キコ自身の手首へと滑らせた。すっ、と。何の抵抗も無く皮膚を切り裂き、開いた口を下へ向けて重力に任せ、滴らせる。すると、傷口から流れ出た血は針と、細い糸へと変化した。
糸へ変化した血はキコが針ごと引っ張ると傷口からゴムの様に一気に伸び、縫合をするのに適した長さになる。目の前で行われる、手術を行う為の異端の力に、細身の男は驚き、口を開けた状態で固まった。ニュクスとジェレマイア、それに大柄な男は既に慣れた光景らしく、特に気にした様子は無く、キコの手先を眺めている。


「痛かったり、変な感じがあったら言ってねー」


手首から伸びる針と糸を使い、キコは傷口の縫合を始めた。
キコは自らの血液を様々なモノに変化させる事が出来る『異端者』だ。自身を傷付けなければ能力は使えないが、血液は液体、固体、気体と三体問わず変化する。キコの思う儘、それこそ手術用のメスを作る事も出来るし、消毒液が無ければその代替となる液体を生み出せる。固体の場合、その色は血と同じくすんだ赤色になり、質感は変化させた物体の本来のものに近くなる。力を発動させる為の自傷行為を見なければ、非常に便利で万能な能力と言えるだろう。使い過ぎると、勿論失血状態となり倒れてしまうが、キコが其処まで能力を酷使しているのをニュクス達は見たことが無い。尚、手首を切る際の痛みはその部分だけやり過ぎて感覚が殆ど麻痺しているらしく、キコは何時も躊躇なく、やった後も特に痛がったりする事は無かった。


「……僕、お医者さんってどうも苦手なんですよね」


慣れた手付きで施術を行うキコを眺めながら、ジェレマイアが小さな声で呟く。彼の言うお医者さん、はキコの事も入っているのだろうか。呟きを聞いたニュクスが視線だけジェレマイアの方へ向け、緩く首を傾げる。




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