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外に出ると、太陽が西の空に沈んで行くのが見えた。
光と闇が融け合う黄昏時。この時間帯は昼間働いていた者達が帰路に就き、それと入れ替わる形で夜に働く者達が少しずつ動き出す。家路を急ぐ人々と幾度も擦れ違いながら、ニュクスは大通りを歩いていた。途中、露店を開いている商人達に声を掛けられたが、彼等が売っている商品を買う持ち合わせは無い。その為、片手を振って適当にあしらってやった。
人の流れに逆らう様にして石畳の上を歩いて行き、やがて或る角を曲がって裏通りへと入り込む。すると、先程までの喧騒から一変し、静まり返った空間に出会う。
裏通りを進み、少し歩いた所に有るバーの前でニュクスは足を止めた。バーの入り口である扉には『CLOSED』の札が掛けられている。時刻は18時になる10分前。開店には少し早い。
それでもニュクスは構わず扉を開け、店内へ足を踏み入れた。


「表の看板が見えなかったのか?まだ開店していないが」


店内に入って直ぐに、カウンターの方から声を掛けられた。開店準備をしていたのだろう。洗った皿を布巾で拭きながら店のマスターがニュクスを一瞥し、嘆息する。


「別に良いだろ?大して客が来る訳でも無ぇし」
「嫌味か」
「事実じゃねえか」


商売っ気が無いからか、立地条件の割には店に来る客の数が少ない。店内の雰囲気は悪くないし、マスターが作る料理も美味しい。勿体ないと思うのだが、全ては一人で切り盛りしているマスターが決める事なので如何とも言えない。
後ろ手で扉を閉め、奥にあるカウンターへ向かうと何時も定位置となっている席に座る。椅子に腰を落ち着けたニュクスを見たマスターは拭き終えた皿を棚にしまい、訊ねた。


「注文は」
「取り敢えず腹に溜まるモノが食いたい。こってりしてなければ何でも良い」


蘇生したばかりの体は空腹を訴えていた。開店前だが、マスターがこうして対応してくれるのはニュクスが店の常連である為か。
ニュクスの注文を受けたマスターは何も言わずに頷き、冷蔵庫の中から食材を幾つか取り出し、調理に取り掛かった。
店内に流れる音楽を聴きながら目の前で手際良く作業を進めるマスターを眺めていると、入り口のドアベルがからんと鳴った。


「ああ、やっと来ましたね」


新たな来客を告げる音に、ニュクスは振り返る。マスターは視線だけ扉の方へ向け、すぐに手元の作業に集中した。
入って来たのはニュクスが良く知る人物だった。癖のある茶色い髪に、榛色の細い瞳。人の良さそうな笑みを浮かべ、ニュクスの傍へと歩み寄る彼は。


「ジェレマイア」
「大分待たされましたよ。今度一緒に仕事するって約束した翌日に死んでるんですから」
「うるせえな、あれは事故だ」
「はあ、貴方の為に予定の一部を潰した僕の気持ちも汲んでくれませんかねえ?」


名を呼ばれた人物――ジェレマイアは、ニュクスの隣の席に腰を下ろし、わざとらしく肩を竦めて文句を言う。
彼の言いたい事は分かる。ニュクスが彼の人物に殺害される前日、今座っている席でジェレマイアと新たな仕事を請け負う約束を交わした。仕事の内容とそれについての打ち合わせはまた後日すると言って別れたが、結局ニュクスは帰り道に襲われ、連絡を取る事も出来なくなった。一週間以上、自身の為に他の予定を入れられなかったジェレマイアに対して、申し訳ないと思わなくも無かったが、ニュクスだって殺される事は想定外だったのだから、仕方がないとしか言えない。


「それで、お前は何か頼むのか」
「あー……それじゃあマスターが今作ってるの、ニュクスくんが注文したのですよね?美味しそうだから僕もそれを」


ジェレマイアの注文に対し、マスターは冷蔵庫から新たな食材を取り出す。二人分の料理を作る事になった為、出来上がるのはもう少し後になるだろうと、そう思ったニュクスは既に出されていた冷水が注がれたグラスに口を付けながら、ジェレマイアに己が「死んでいた」間の状況を訊ねた。


「ここ数日で、何か変わった事は?」
「うーん、特に無いですかね。貴方を殺した化け物くんもあれから話を聞きませんし」
「そうか」
「強いて言うなら、お外の戦争が少し激しくなったかな、とは」


ニュクス達が住んでいる都市を出れば、そこは隣国同士が争う戦場だ。
中立を貫く都市に直接影響が出る事は無いが、それも今だけの話だ。今後どうなるかは全く予想が出来ない。不穏な話は無いに越した事は無い。


「出来たぞ、お前等」


暫く世間話に花を咲かせていると、二人の会話が途切れるタイミングを見計らってマスターが料理の盛られた皿を差し出した。作ってくれたのは野菜がたっぷり入ったリゾットだった。
ほかほかと湯気が立ち上るそれを受け取り、目の前に置くと、後から出されたスプーンを手に取り、一口掬って口に運ぶ。咥内に広がる優しい味に、思わずほうと息を吐いた。


「これ食べ終わったら、お仕事の話をお願いします」


ニュクスと共にリゾットの味を堪能していたジェレマイアが使った道具の片付けをしているマスターに声を掛けると、マスターは最初からそのつもりだと言わんばかりにカウンターの隅に置かれている端末を片手の親指で指し示した。




「直ぐに受けられる依頼は三件。一つはこの都市内、二つは外の国境付近での依頼だが……どうする」


食事を済ませ、食後のコーヒーを出したマスターはそう言って書類が入ったファイルを掲げて見せた。
ニュクスが近々店を訪れる事を予想していたのだろう。蘇生して間もない彼でも請け負う事が出来るものを予め選別してくれていた様で、その周到さにニュクスは思わず口角を上げた。


「都市内の依頼の内容は?」
「お前は良いがジェレマイアは嫌がりそうだな。ユリシーズからの依頼だが」
「ああ、はい。却下で」


依頼人の名前を聞いた瞬間、ジェレマイアは無かった事にと言わんばかりに片手を振り、視線を逸らす。余りにも露骨な態度にニュクスとマスターは顔を見合わせ、ほぼ同じタイミングで肩を竦めた。
ユリシーズと言う人物は、東エリアに存在する有名な大学の教授だ。ニュクス達が住む南エリアでも彼の名は良く聞く。最強の魔術師。魔術を使わせれば、彼の右に出る者は居ない。魔術を究めた彼の実力は、下手な魔法使いよりも高いと言われている。
ただ、それ故に一部の者達との折り合いが悪く、ジェレマイアも彼を苦手としている。依頼を断るのも当然と言えよう。


「国境地帯は?」
「一つは諜報活動、もう一つは依頼人の護衛任務だな」
「うわ、諜報ですか」


マスターが却下とされた依頼の書類を下げ、代わりに別の書類を差し出すと、内容に目を通したニュクスが眉を顰めた。ジェレマイアもまた、諜報活動と聞き、難色を示す。報酬の額は良いが、相応のリスクを背負う任務だ。しかも依頼内容は敵対国に潜入した上で行うものの様で、依頼者からのバックアップも無い。二人で請け負うにしても、割に合わない仕事だ。


「報酬は悪くねえが、止めておいた方が無難だろうな」


蘇生して間もない身体で遂行するのはかなり厳しい。そう判断したのだろう。ニュクスは頭を振りながら書類をマスターへ返す。


「そうなると護衛任務とやらになりますかね」


ジェレマイアがマスターに最後に残った依頼の内容を聞こうと彼の方を見る。すると、マスターは既にこうなると分かっていたのか、直ぐに別の書類を二人の前に出した。
書類に書かれていたのは、国境地帯に住んでいる男からの依頼だった。ニュクス達が居る都市からそう遠い所では無い。仕事を引き受け、明日の朝から行ってもその日の内に帰って来れそうな場所だった。難点を言えば、そこは現在も外の国同士の抗争が激しい場所で、運が悪いとそれに巻き込まれる可能性が有る事位か。


「何でしょう……訳有りの臭いがしますね」
「だが報酬はそれなりに良いぞ。お前達二人で行けばそう難しくは無いだろう」
「そうだな、俺とこいつとなら、何とかなるだろ」


決まりだな。
ニュクスとジェレマイアは互いに顔を見合わせ、ほぼ同時に頷く事で依頼を請け負う意思をマスターに伝えた。


「なら今から依頼人と連絡を取る。少し時間が掛かると思うが、待てるか?」
「僕は大丈夫です」
「俺も急ぐ事はねえ。ゆっくりやってくれ」


二人の言葉にマスターは短く「分かった」と言い、書類に記載されている連絡先へコンタクトを取ろうと傍らに有った薄型端末の電源を入れた。




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