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男が其処で見付けた時、彼は既に死んでいた。
生きながら身を焼かれたのだろう。全身、特に下半身が焼け焦げており、辛うじて人の形を留めている「それ」は酷い悪臭を周囲に漂わせていた。
明け方の裏路地。此処は陽の光がほとんど入らず、昼間も薄暗い。賑やかな大通りから一本入っただけだと言うのに人気は無く、居るのは痩せ細った猫と、ゴミを貪るカラスだけだった。


――これで何度目だ?


頭上でかぁかぁとカラス達が鳴く中、男は緩く首を傾げて見せる。だが、訊ねたところで彼から答えが返って来る訳が無い。当然だ。今目の前に在るのは、無残な焼死体だ。息のない存在が、言葉を発する筈がない。
何度目、と聞いたのは、男が彼の死を見るのが初めてではないからだ。しかし、久しぶりに見た彼の姿は悍ましく、痛ましく、不気味で。男以外の者が見れば、吐き気を催さずにはいられないだろう。
誰かに見られる前に、彼を運ばなければ。男は彼の傍らに屈み込むと、持って来た黒い布でその身体を包んだ。







目を開くと、其処には見慣れた天井があった。
見慣れた、と言ってもそう頻繁に見るものではない。やや低めのそれは木で出来ている。随分年季が入っており、己が住処としている所の物とは大分違う。
視線を少しずらし、横へ向けると、真白なシーツが視界に入った。どうやら己はベッドの上に寝かされているらしい。其処で初めて、自身を包む柔らかな布の感触に気付いた。
起き上がろうと上半身に力を込めれば、鈍い痛みが走った。ずきん、ずきんと。心臓の鼓動と連動する様に痛む。動けなくはなかったが、身を持ち上げるだけでも結構な労力だ。


「やっと起きたか」


何とか上体を起こす事に成功し、声を掛けられた。低く、淡々とした、聞き覚えのある声。首を動かし、そちらへ顔を向ければ、ベッドの傍に男が居た。小さな丸椅子に腰掛けている、修道服を纏った青年。己が目覚めるまで読書をして待っていたのだろう。彼の膝の上には、開いた状態の分厚い本が乗っている。彼もまた、見慣れた存在だった。


「随分派手にやられたな」


無表情で、抑揚のない声は、感情のない人形の様だった。本人は己を気遣ってくれている様だが、愛想がなさ過ぎてどうにもその様には見えず、眉を顰めてしまう。


「……るせぇ」


彼が来てくれなければ、己は未だあの路上で無様な姿を晒していただろう。礼を言うべきなのは分かっているが、口から出たのは悪態だった。感謝はしている。けれど、素直に言う事が出来ない。子供より性質の悪い存在だと、自分でも思った。
頭を乱雑に掻きながら陽が差し込んでいる窓に視線を向けると、太陽が西方に傾きつつあるのが見えた。此処は彼が住処としている建物の一室だ。過去に何度も世話になっている為、目覚めて間もない頭でも直ぐに判別出来る。
そこでふと、目覚めて最初に把握しなければならない次第を思い出し、彼に問いを投げ掛けた。


「俺は何日眠っていた?」
「二週間程。流石に今回は時間が掛かったな。ほとんど炭状態だったぞ」


今回は。その言葉の意味は聞かずとも分かる。「あの男」に「また」己は焼き殺されたのだ。
意識が無くなる前の記憶は鮮明に残っていた。炎を纏った男。己の攻撃を凌ぎ、返り討ちにして来た悪魔。視力を失う直前まで見えた不気味な笑み。屈辱としか言えぬあの光景を、どうすれば忘れられようか。


――クソが。


その時の熱い感覚を思い出し、ぎりりと奥歯を噛み締める。己をあそこまで追い詰めた存在は他に居ない。悶え、苦しみ、悔しがる姿は、あの男にとってさぞ滑稽に見えた事だろう。
いつか必ず報復を。己が受けた屈辱を数倍にして返してやろうと。包帯が巻かれた、未だ痛みの残る拳を強く握り締め、雪辱を固く誓う。


「全身重度の火傷、両足と右手は骨折、片目は抉られ……無残、としか言いようがなかったな」


だが、そんな己に追い打ちを掛ける様に、己が受けた傷の詳細を彼は語った。常人には耐え難い、凄惨な光景だった筈なのに、彼は何も感じなかった様で。表情を崩さず他人事の様に言葉を紡ぐ姿に僅かだが苛立った。


「だが」


開いていた本を閉じて立ち上がり、それを部屋の隅に置かれている本棚にしまいながら、彼は続ける。


「そんな状態になっても蘇生出来るのだから、お前は侮れない」


普通の人間ならばあの状態から蘇生する事は不可能だっただろう。しかし己は黄泉の世界より帰って来た。一度は無くした息を吹き返した。それを幸と呼ぶか、或いは不幸と呼ぶか。判断出来る者は居ない。
下半身を動かしてみた。上半身より酷く焼け焦げていた筈のそこは、やはり未だ痛みが残る。それでも、歩く位ならば何とかなりそうだ。これならば自宅まで自力で帰れるだろう。


「嗚呼、そうだ」


部屋を出て行こうとすると、彼が思い出した様に声を発した。


「ジェレマイアが探してたぞ。話したい事が有るから、目が覚めたら来てくれと」
「あいつが?」


彼が挙げた名は、己が良く知る人物だった。決して仲の良い人物では無い。寧ろそりが合わなさ過ぎて頻繁に衝突している。関わりたくないと思っても、気が付けば何時も行動を共にしている。腐れ縁とも呼べる関係で、いつの間にか周囲からは相棒認定されていた。
そんな人物が、己を直接呼び付けて来るとは。余り良い予感はしない。どこに居るのか、彼は言わなかったが、その人物の居場所は大体分かっている。真直ぐ自宅に帰りたかったが、此処からだとその場所を経由して行った方が効率が良いだろう。


「……仕方ねえな」


面倒臭い。実に面倒臭い。だが、その儘帰宅すれば後々何を言われるか分からない。痛む体に鞭打ち、緩慢な動作でベッドから降りた。良く見ると全身至るところに包帯が巻かれている。彼が処置をしてくれたのだろう。放っておいてもすぐに治る身だが、彼にはそれが出来ないのだろう。律儀な事だと、心の中で苦笑した。


「未だこの辺りを嗅ぎ回っている輩が居ないとも限らない……気を付けろ」


忠告をする彼に対し、片手を掲げる事によって了承の意を示すと、扉の傍に掛けられていた自身のコート――恐らく彼が新調して来てくれたのだろう――を取り上げ、部屋を後にした。




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