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だが。


「……凍ってるぞ」
「……あれ」


グラスの中の水は沸騰する処か、元々入っていた氷と一体化する形で凍ってしまっている。
周囲にじわりと広がる冷気に、魔術を発動させようとした本人であるジェレマイアは瞳を瞬かせ、首を捻った。熱を与えるのだから、単純に考えれば用いる属性は炎だ。しかし、目の前のグラスに与えられたのはその真逆である氷の属性である。


「い、いや、そんな事は無いですよ沸騰、ほら、ほら」


誰がどう見ても失敗している。失敗しているが、こんな事は有って良いのだろうか。
ジェレマイアが必死になって氷を溶かし、沸騰させようとするが、グラスの中身が変化する気配は無い。煽ったニュクスもまさかこの様な結果になるとは思わず、如何とも言えない表情を浮かべ、ジェレマイアの行動を見遣る。カウンターを挟んで反対側に立つマスターは、既に我関せずと言った様子で他の客から下げた皿を洗い始めていた。
予想の斜め上を行く展開に気まずい空気が流れる。店内に流れる聞き慣れた音楽が、今夜はいやに虚しく聞こえた。


「やれやれ、その程度の魔術も失敗するとはね」


店内の重苦しい空気に耐えかねたのか、或いは心底呆れたのか。ニュクス達の真横から、先客として来ていた人物が彼等に声を掛けて来た。
低く澄んだ声に、ニュクスは顔を上げ、同じカウンター席の端に座っていた男に視線を遣る。知った声だが、頻繁に聞くものでは無く、そう親しい間柄のものでも無い。


「うわぁ、居たんでしたっけ……」


ニュクスとの口論の所為で存在を忘れていたとばかりにジェレマイアが嫌そうな表情を浮かべる。尤も、忘れていたと言うよりは敢えて居ないものとし、無視をしていたのだが。
男は無法者が大半を占めるこの南エリアでは珍しいタイプの人間だった。長い緑の髪を結い上げて後頭部で留め、布地の多い、ゆったりとした服を身に纏っている。掛けている眼鏡の縁は銀色で、店内の照明に反射し、時折煌く。物騒な地だと言うのに武器は持たず、代わりに本を片手に来店し、提供された紅茶を優雅に楽しむ彼は、ニュクスやジェレマイアに次ぐ店の常連であった。
魔術師、ユリシーズ。主に東エリアで活動をしているが、南エリアにもその名は知れ渡っている。とある大学の教授であり、暇を見付けてはエリアを跨ぎ、マスターの店までやって来る。ジェレマイアとは過去に浅からぬ縁が有るが、二人の関係は決して良好とは言えない。


「魔術の基礎となる箇所は確実に覚えておけと、何度も言っているのだが」
「う、うるさいですね。僕だって偶には間違えるんです」
「そもそも、直接沸騰させようとしている所がいけない。そのグラスに耐熱性が有る様には見えない。そうすれば割れてしまうのは目に見えている。ならば先ずするべきはグラスの保護だ。熱に耐えられる様に術を施し、それから炎を使う。二つの術を同時に行う故、それぞれの属性の解放の仕方も考えなければならない。後は」
「……ユリシーズ、その辺にしておけ。ジェレマイアが血を吐くぞ」


延々と語るユリシーズに対し、それまで黙っていたマスターが遮る形で止めに入る。マスターの言う通り、ジェレマイアはユリシーズの言葉が心に刺さる様で、両手で耳を塞ぎ、座った状態ながら少しでも彼から身を離そうと、上体をニュクスの方へ大きく傾けている。苦悶の表情でいるジェレマイアをニュクスは若干気の毒だと思ったが、だからと言ってべったり付かれるのは嫌な為、凭れ掛かろうとして来るのを片手で押さえ、止めた。


「ううう、まさかこの人が来るなんて思いませんでした……」
「来てはいけないのかね?」
「そうじゃないですけどぉ……」


自身の魔術の失敗を見られ、更に問題箇所を次々と指摘されれば流石に心が折れる。ニュクスは半ば泣きそうになっているジェレマイアに対し、笑いを堪えようと小刻みに肩を震わせた。


「そう言えば、話が有ると言っていたな」




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