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その研究所跡地は、およそ120年前に造られたものだった。
施設内に残る書物や機材を調べ、記録して行く内に、施設が生まれた経緯や研究内容が少しずつ分かって来た。内容自体は決して世間に誇れる様な綺麗なものではなかったが、考古学者であるレイの好奇心を擽るものであることは間違いなかった。
人づてに古い研究施設があると聞き、下調べを依頼した後に、自ら乗り込んで半月。既に調査の記録は膨大な量となっており、一通り纏めるには更に時間が掛かりそうな状態だった。


「……そろそろ、引き上げた方が良いかな」


持って来た食糧は底を尽きかけている。事前調査である程度の安全は確保されているとはいえ、此処は国境地帯だ。いつ帝国の軍や王国の騎士団が現れてもおかしくない。遭遇する前に一度引き上げるのが賢明だろう。そう考え、記録をしていたノートを閉じかけた所で、人の気配を感じた。遠くからゆっくりと近付いて来る。どうやら単体の様だが、一体何者か。里や村の人間が迷い込む様な場所ではない。帝国や王国の者ならば、複数で訪れるだろう。では、誰が、何の目的で。
警戒し、ノートを地面に置いて立ち上がり、懐に片手を差し込む。護身用に携帯している拳銃をそこから取り出し、銃口を気配の方へと向ける。いつでも発砲出来る様に引き金に指を掛け、相手の出方を伺った。


「俺に銃は効かねえぞ」


意外な事に、レイが近付く姿を捉えるより先に、相手から声を掛けられた。銃が効かない、とはどういう事か。全身を防弾衣で覆っているのか、それとも異端者の力が何かしらの形で働いているのか。
疑問を抱いている内に、部屋の入り口となっている場所の影から、黒衣の男が姿を現した。長い銀色の髪に、整った顔立ち、丸腰で無防備な様に見えて、実際は一切の隙を感じさせぬ佇まい。レイはこの男を知っていた。彼はレイがこの地の事前調査を依頼した、銀月と呼ばれるフリーランサー――ニュクスだった。直接会うのは初めてであるが、その身体的特徴は依頼をする前にマスターから請負人の情報の一部として提供してもらっている。


「……ここへの侵入は禁止だって、マスターに言われなかったかい?」


銃使いのニュクスが相手ならば、銃が通じないのも納得だ。レイは僅かに苦笑しながら銃を下ろし、懐へと戻した。事前調査を終えた後は、情報の漏洩を防ぐ為、二度と立ち入らぬ様にする事と依頼条件の中に含めておいた。それを破るという事は、仕事を請け負う者として如何なものか。


「そうだったか? 知らなかったぜ」


けれどニュクスは、レイの非難の言葉も気にした様子も無く、まるで初めて知ったと言わんばかりに笑い、両手を持ち上げながら大仰に肩を竦めて見せた。事前調査の依頼を請け負っている時点で、彼が知らない筈が無い。ならば敢えて規約を破り、この地へやって来たか。


「すぐに帰って……と言っても君は聞かなそうだね」


簡単に説得に応じてくれるならば、それに越したことはない。だがニュクスがこうして単身乗り込んで来たのには相応の理由があるだろうし、何より彼の性格上、説得程度で引き下がるとは思えない。力づくで撃退、も残念ながらレイとニュクスとでは実力差があり過ぎる。その事実をレイは直ぐに察し、緩く頭を振りながら溜息を吐いた。諦めるしかない。


「アンタがあの依頼人か」
「ゼロ――……いや、レイだ。君があの銀月だね」
「そう呼ばれてるな。まあ、銀月でも、ニュクスでも。好きな方で呼べば良い」


仕事の依頼を出した際の名義はゼロだったが、今は考古学者のレイとして此処に居る。その為、レイは一度言い直し、名乗った。それを聞き、ニュクスは通り名でも名前でも、呼びやすいと思う方で呼ぶ様に返した。素性は特に隠していない。隠す程の身分でも無いし、中立都市に住んでいる者には大体知れ渡っている。


「では、ニュクスくん。君は、考古学に興味があるのかな?」


好きに呼べとは言ったものの、まさかくん付けで呼ばれるとは思わず、ニュクスは軽く目を見開いた。レイはそんなニュクスの反応を気にした様子も無く、先程地面に置いたノートを拾い上げ、ページを捲りながら訊ねる。この地は観光目的で来るほど華やかなものは無いし、金目のものがある訳でも無い。事前調査を行ったニュクスでも、それは分かっているだろう。ならば、来た理由はレイと同じであると考えた方が自然だ。


「別に……ただ、何となく此処が気になったんだよ」
「おや?」


しかしニュクスは、レイの質問に対し首を横に振り、少々困った様な顔をしながら自らが来た理由を告げた。何か目的があったのかと聞かれれば、そんな事はない。本当に、何となく。強いて言うなら本能的に。気まずそうなニュクスの返答を聞き、レイは緩く瞳を瞬かせる。来てはいけないと言われた地へわざわざ赴いたのだから、相応の理由があると思ったのだが、どうやらそうではないらしい。だがそれはそれで。レイは笑みを崩さず、言葉を続けた。


「此処がどういう施設だったか、君は知っているかい?」
「……クローン技術の研究がされていた、とだけ」


事前調査の前に与えられた情報と、実際に此処で見た痕跡。それらを踏まえて、ニュクスは無難な回答をする。詳しい事は知らない。知ろうとも思わなかった。少なくとも、ナハトと遭遇後、共に来た仲間達と資料室らしき部屋に立ち入るまでは。


「そうか。まあ、それもあるのだけれど」
「それも?」


含みのある言葉に、ニュクスは怪訝の色を顔に滲ませる。他に何かあると言うのか。その先を語る様、視線で促すと、レイはノートを捲る手を止め、開いた箇所――自らの字で埋め尽くされたページをニュクスに見える様に掲げた。




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