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「おん? 銀月、どっか行くのか?」


それはある日の夕方。
手持ちの酒が無くなり、新たな酒をせびる為に月桂樹へ向かおうとしていたリュウトは、その途中で大型二輪の整備をし、エンジンを起動しているニュクスの姿を見付け、声を掛けた。


「……ああ、ちょっと国境付近までな」


愛用の大型二輪の状態は良好。燃料も入れたばかりで、目的の場所まで行って帰って来るには十分。整備を終えたニュクスは一息吐き、丁度そこに現れたリュウトの姿にも大して驚いた様子は見せず、答えを返す。


「国境付近?」
「気になる事があってよ」
「ほーん……?」


ニュクスの言う国境付近が、『どちら側』のものなのか。リュウトは分からない。王国側であれば比較的安全――と言っても騎士団と接触すればそれなりに面倒ではあるが――であるものの、帝国側ともなれば不安要素は多い。何をしに行くつもりなのか。今の時間帯からしても、仕事で行くと言う様には見えないが。荷物は最低限。長期滞在はせずに帰ってくるつもりか。
リュウトがまじまじと眺めている間に、準備を済ませたニュクスは大型二輪に跨り、エンジンを掛ける。酔っ払いに絡まれると面倒だと思っているのか、やり取りを長引かせるつもりはないらしい。片手を持ち上げ、緩く振ると何も言わずに発進させた。


「気をつけて行ってこいよー」


普段より酒が抜けている分、物分かりが良くなっているのか。リュウトは特に何も追求せず、遠ざかって行く姿を見送った。


「……気になる事」


そこでふと、数週間前の仕事を思い出す。自分と良く似た容貌の男と共に向かった、荒れ果てた研究施設。リュウト自身は特にピンと来なかったが、男とニュクスには何か思う事がある様に見えた。取り敢えず仕事は完遂し、引き上げて来たものの。男の顔は冴えなかったし、ニュクスもまた物思いに耽っている様だった。


「まさかなあ」


あそこにはもう行くなと、マスターに止められていた筈。けれどニュクスがそれを大人しく聞き入れるだろうか。研究所で見た、古い名簿を捲っている時の横顔が脳裏を過り、リュウトは無精髭が生え掛かっている顎を軽く擦る。可能性はゼロではない。ただ一人で向かった所で、何が分かると言うのか。


「ま、いっか」


深く追求した所で、自分に利は無い。そう判断したリュウトは、新たな酒を求め、再び月桂樹に向かい歩き出した。







「……ってな訳で、銀月が出かけてったのよ」


小一時間後、開店して間もない月桂樹。
いつものカウンター席に腰掛けたリュウトは、提供された酒のジョッキを手に取り、マスターへ先程の出来事を報告する。


「……あの馬鹿」


リュウトの話を聞いたマスターは、これでもかという程の深い溜息を漏らした。ニュクスがマスターの言いつけを無視した事は、これが初めてではない。寧ろ過去に何度もやらかしていて、その度に小一時間程説教をしていた。ただ、今回の件に関しては、本人から行っても良いかと聞かれ、勧められないと遠回しに止めたつもりだったのだが。やはりもっと強く引き留めておくべきだったか。しかしもう行ってしまった者を今から連れ戻すのは困難だ。説得を聞き入れてもらえるとは思えないし、力づくとなればお互い無傷では済まない。諦めるしかないか。


「なあなあ、マスターはあの研究所? のこと何か知ってるのか?」


何故に、あの依頼を自分達に振って来たのか。何か詳しい事情を知っているのではないかと。ほろ酔い状態になりつつあるリュウトはマスターに問う。


「いや、人づてに軽く聞いただけだ。 ……全く、帝国ってのは昔から碌な事をしねえ」
「ほー……昔から、ね?」


その口ぶりだと、マスターは帝国と浅からぬ縁がありそうだ。そういえば、マスターが月桂樹を開く前の事は何も知らない――と言うか、知っている者は恐らく居ないだろう。噂や憶測は幾つも出ているが、何れも真実である確証は無い。この南エリアで最も謎めいた存在。果たして彼は、何者なのか――


「それより、ツケがまた溜まって来てるぞ。払うあてはあるのか?」
「ぎっくぅー」


疑問を口にしようとした所で、まるで心を読んだかの様にマスターが先手を打って来た。前回一括で溜め込んでいたツケを払ってから、既に結構な量の酒を飲み、新たなツケとしている。指摘がとても痛い。


「も、もう少ししたら払うからさああぁー……と、とりあえずおかわりおくれい?」


吹き出る冷や汗はきっと気のせいではない。マスターを怒らせたら出禁では済まされないだろう。サングラス越しでも視線が突き刺さる。既に多額のツケがあるので下手な事は言えない。
それでも、悲しきアル中の性。目先の酒には抗えず。リュウトは笑って誤魔化し、マスターは先程とは異なる質の溜息を吐き、新たな酒瓶を彼の目の前に置いた。




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