7

会議終了後。
日も暮れ、一日の公務を終えたエゼルベルトはノアを訪ねるべく、城内にある彼女の執務室に来ていた。時刻は21時を過ぎた頃。この時間であれば、まだ居るだろうと思っての事だったが。


「…………?」


扉をノックした後に開けようとして、違和感に気付く。既に僅かに開いているそれは、明らかにおかしい。几帳面なノアが扉を閉め忘れたとは思えず、そこである可能性がエゼルベルトの中で浮上する。彼女の元に身を寄せる孤児達の、その中でも特に悪ガキな少年の、悪戯。これはきっと何か仕込んでいるに違いない。良くあるのは小物をドアの隙間に挟み、開いた所で頭上に落下する様に仕込むものだ。見た所、その様な物体は無い。だが油断は禁物だ。ここはゆっくりと扉を開け、様子を伺いながら入った方が良いだろう。


「ノア、入るぞ」


ぎぃ、と扉を手前に引いて開け、中を見渡す。明かりのついた室内に彼女の姿はない。もしかしたら、その先にある奥の部屋にいるかもしれない。暫しじっと室内を見詰めていたが、特にこれといっておかしな処は無い。今回は悪戯は仕込まれておらず、杞憂であっただろうかと。肩に込めていた力を抜き、エゼルベルトは小さな溜息を吐いた。構え過ぎただろうかと内心苦笑し、ノアの姿を探すべく、一歩を踏み出す。


「……――ッ!?」


――が。
踏み出そうとした足は床付近にあった『何か』に引っ掛かり、受け身をとる間も無く、エゼルベルトは前のめりに倒れた。べたぁん、と。そこそこに大きな音が鳴り、顔面から床に激突した。何が起こったか分からず、強かに打った鼻を押さえ、身を起こす。
足元の方へと視線をやれば、其処には細いロープが扉の縁を渡す形で張られており、それに足を引っかけたのだと理解した。何とも初歩的な悪戯である。何時も上から来るからと、其方にばかり気を取られ、足元への注意をすっかり忘れていた。完全にやられた。


「あはははは! 引っかかってやんのー!」


状況を把握した所で、エゼルベルトの前方より子供の笑い声がした。視線を足元から其方へと向けると、10歳位の子供が執務机の裏から顔を覗かせ、エゼルベルトを指さし、笑っていた。思い通りに行ったのが愉快で仕方がないのだろう。無様に倒れているエゼルベルトに対し、大口開けて笑い転げている。その少年は、エゼルベルトの良く知る人物だった。


「……ッ、ディスタ! またお前は……!」


ノアが保護した戦災孤児。その中でも特に悪賢く、大人に悪戯を仕掛けるのが特異な問題児。保護されたのは数ヶ月前だったか。最初の頃は周囲に気を遣っていたのか、非常に大人しい子供であったが、環境に慣れて来るにつれ、少しずつ周りの大人達に悪戯をする様になった。その主な標的がエゼルベルトを含む宮廷魔導師達で、何度叱っても懲りずに仕掛けて来る。ただ、ノアだけは例外で、少年――ディスタは彼女に反発する事こそあれ、悪戯をする事は無かった。
今日という今日は許さない。ぶつけた事で赤くなった鼻面を晒しつつ、エゼルベルトは両手をついて立ち上がり、ディスタを叱ろうと彼の方へ向かう。しかしそうなる事が想定の範囲内だったディスタは、エゼルベルトに対し『べー』と舌を出し、ノアが居るだろう奥の部屋へと逃げて行く。半開きの扉の隙間にするりと入り込んだディスタを追うべく、エゼルベルトはその扉を勢い良く開き――


「……がッ!?」


失敗した。
先程のロープで悪戯は終わったものだと思っていた。しかし実際はまだ仕込みがあり、エゼルベルトは次の扉の上に挟まっていたタライに気付く事が出来なかった。ディスタは小柄だった為、扉を開かずに中へと入り込んだが、大人であるエゼルベルトは扉を開けなければ中に入る事が出来ず、また頭に血が上っていた為、注意を怠った。結果、仕込まれていたタライは見事にエゼルベルトの頭上に落下した。ごぉん、と。重い音が響き、じんわりとした痛みが頭頂部を中心に広がって行く。あんな重たいタライをどうやって扉の上に仕込んだのか。突っ込みたい気持ちと何とも言えない敗北感に、エゼルベルトは頭を抱えて屈み込んだ。


「おや、ゼル。来ていたんです、ね……?」


まさか二段構えで来るとは思わなかった。再び、完全にやられた。このやるせなさ、どうしてくれようか。そう思っていると、部屋の奥にいたらしいノアがエゼルベルトの存在に気付き、歩み寄って来た。だが、傍らに転がっているタライと頭を抱えているエゼルベルトの姿を見て軽く目を見開き、すぐに事情を察したのか困った様な笑みを浮かべ、大丈夫だろうかとエゼルベルトの顔を覗き込む。


「……すみません、ディスタが」
「いや、良い」


こうなったのは、自分の責任だ。ノアが謝る事では無い。正直に言えばディスタに謝って欲しい処であるが。ようやく痛みが引いて来た頭を擦りながら立ち上がり、緩く頭を振った。本当なら、二度としない様に厳しくお灸を据えてやらなければならない所だが。


「ディスタ、あまり大人をからかうものではありませんよ」


先程同様、エゼルベルトの情けない姿にけらけらと笑うディスタを嗜めんとノアが声を掛ける。けれどディスタは全く悪びれた様子も無く、取り敢えずはと言った様子で『はぁい』と返事をし、部屋を出て行く。ノアに見つかってしまったので、これ以上エゼルベルトを嵌める様な真似はしないだろう。ぱたぱたと出て行ったディスタの姿を見て、エゼルベルトは短い溜息の後、ふっと口元を緩ませた。


「やっと、笑う様になったな」
「ええ、私にも懐いてくれています」


ノアの元には、戦禍に見舞われた地で生き延びた孤児達が集まる。ディスタもその一人で、一年ほど前、国境付近の村が襲撃を受けた際、唯一の生き残りとして保護された。両親を目の前で殺されたらしく、そのショックでしばらくはまともに口もきけない状態であったが、ノアが献身的にケアを行い、少しずつ周囲に心を開いて行った。今ではこうして、エゼルベルトに日々悪戯を仕掛けては、声を上げて笑うまでになっている。


「……一人でも、あの子の様な子供を生み出してはならない」


だが、ディスタはまだ良い方だ。中には生涯消えない傷を心身共に刻まれ、未だ臥せっている子供もいる。全ては、戦争が齎した災禍が元凶である。戦争が続く限り、被害者は増え続ける。戦災孤児も無くならない。
だから、一日でも早く。帝国を退け、かつての平和を取り戻さなければならない。この世界から、戦争で悲しむ人を、無くさなければならない。その為には、何がなんでも帝国に打ち勝たねば。


「この命に換えても、戦争を終わらせる。 ……必ずだ」


痛む頭を摩った後、エゼルベルトが誓う様に呟いた言葉に、傍にいたノアもまた強く頷いた。




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