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その厚さからして、専門書だろうか。ユリシーズの事だから、魔術や魔法に関する文献かもしれない。学生時代、ジェレマイアが初めて会った時から、ユリシーズは本の虫だった。講義と食事の時間以外は大体、何処かしらで本を読んでいた気がする。内容はほとんどが魔術や魔法についてで、彼は常にそれらの知識を求めていた。きっと、寝る間も惜しんでいたに違いない。誰よりも熱心に、誰よりも貪欲に知識を求める様は、傍から見れば少し異常に見えただろう。実際、ジェレマイアも彼に対し少し引いていた。けれど彼が、ユリシーズがそこまでして知識を求める理由も知っているが故に、何とも言えない気持ちを抱いていたのも事実で。


「嗚呼、軍事学の本をね」
「……軍事学?」


そうして、ユリシーズから返って来たのは、意外な答えだった。軍事学。戦争で必要となる様々な知識。だが、この都市に軍隊と呼べる組織は無い。仮にあったとしても、ユリシーズは軍人ではない。彼が日頃から求めている知識にも、何も掠らない内容だ。


「ええっと、何でまたそんなものを?」


ユリシーズが進んでその手の本を読むとは思えない。彼は魔術と魔法に関しては何でも知識を得ようと読み漁るが、それ以外に関しては全くと言って良い程関心を持たない。


「学長に言われたのだよ。『備えておけ』とね」
「備えて……?」
「中立を守るこの都市も、近い内に中立では無くなるかも知れない。そうなった時の為に、備えろと」
「…………」


それはつまり、どう言う事か。
此処最近の『外』の情勢を思えば簡単に推測出来る。帝国と王国の戦争。長く続いて来た彼等の戦いに間も無く決着がつく。勝者は恐らく、帝国。大陸支配を謳う彼等が、最大の難敵である王国を打ち倒す事が出来たなら。彼等の次の標的は間違いなく此処、中立都市となるだろう。二つの国の間にあって保たれていた中立は、片方の国が滅べばその意味を失ってしまう。中立でなくなった都市を、帝国は間違いなく攻めて来るだろう。そうした場合、誰がこの都市を守るのか。


「魔術師である私が、何処まで戦力となるか、分からないがね」
「いや……貴方はめちゃくちゃ戦力になるでしょうに」


最強の魔術師なのだから。そう言おうとして、ジェレマイアは口を噤んだ。魔法使いである自分が言えば、ただの皮肉である。純粋な実力で言えばジェレマイアよりもユリシーズの方が遥かに上だ。しかしジェレマイアとユリシーズの間には決して超えられない壁がある。魔法使いと、魔術師。自然界の精霊に愛される素質を持たねばなれない魔法使いに、ユリシーズがどれほどのコンプレックスを持っているか、今更語るまでもない。


――どうしてこの人は、魔法使いじゃないんだろう。


自分だって、なりたくて魔法使いになった訳ではないけれど。ジェレマイアは時々疑問に思う。幼い頃に風に愛され、その力を自覚し、暴走に悩まされながらもなんとか制御できる様になった。周囲からは魔法使いだとはやし立てられ、やたらと持ち上げられたが、この身に宿った力が素晴らしいと思った事は一度も無い。確かに魔術でない、魔法としての風の力は奇跡そのものだと思った。けれど、それだけだ。少し便利な風の力。限られた者しかなれないと言う存在になりはしたが、周囲が言う程、自分は取り立て優れた人間ではないと思っている。魔術師としては三流。身体能力も人並みか、それ以下。臆病で、見栄っ張り。決して出来た人間ではない。
対して、ユリシーズは魔術を究め、自他ともに認める最強の魔術師となった。更に、若くして有名な大学の教授となり、魔術師を目指す者達の導として常に其処に立ち、教鞭を取っている。誰よりも魔術を理解し、誰よりも魔術と繋がって。誰もが憧れる、生ける偉人となっている。
それなのに、ユリシーズは魔法使いになれない。魔法使い以上の実力を持ちながら、精霊に愛されない。ジェレマイアと、ユリシーズ。なれた者と、なれなかった者。自分達は一体何が違ったと言うのだろうか。どうせなら、自分では無く、ユリシーズが魔法使いになっていれば良かったのにと。どうしても考えてしまう。


「如何したかね?」
「あ、いえ……何も」


けれどもし自分が魔法使いとして目覚めなければ、『彼女』とは会わなかったかもしれないし、村が襲撃された時に殺されていたかもしれない。これで良かったのかどうかは、ジェレマイアには分からない。ただ、魔法使いになって、良い事も悪い事もあった。それは事実だ。
考え込むジェレマイアに、ユリシーズが怪訝の色を滲ませながら訊ねる。その声を聞き、ジェレマイアははっとして顔を上げ、何でもないとばかりに両手を振った。


「貴公も暇があれば、読んでみるが良い。参考になるぞ」
「……気が向いたら」


勉強嫌いのジェレマイアの気が向く事等、果たしてあるのか。ジェレマイアの返答を聞いてユリシーズはふっと笑い、近くの椅子に座り、目の前の机に持っていた本を乗せた。手に取ったのは、一番上にあった本。読みかけだったのだろう。栞が挟まっている部分を開き、並んでいる文字を追う。


「…………」


ユリシーズの言う通り、軍事学を活かす日が来なければ、それに越した事は無い。戦うのは苦手だ。この都市で、南エリアで活動をする様になってから、戦闘の機会は増えた。だが、何度戦っても、人を殺すのに躊躇した。殺さなければいけない存在であっても、他者の命を奪う行為と言うのはどうにも、心が苦しい。以前その事をニュクスに話したら、お前はこの世界に向かない存在だと言われた。多分きっと、そうなのだろう。けれど、自分は他の生き方を知らないし、知るつもりもない。何故他の道を選ばないのか、選ぼうとしないのか。自分にも良く分からないが。
取り敢えず、今持っている本を借りて行こうと。黙々と本を読むユリシーズに背を向け、ジェレマイアは受付に向かった。




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