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あの時も、こんな状況だった気がする。
雨上がりの朝。近所にごみを出しに行こうと外に出たマスターは、足元に寝そべる男を見て、眉を顰めた。背中まで伸びる黒髪に、引き締まった長躯、黙っていれば格好良い部類に入る整った顔。半裸で何も持っていないのは、素寒貧になって身ぐるみ剥がされた為か。数週間前と同じシチュエーション。完全再現と言っても良い眼下の彼に、無意識の内に溜息が漏れる。
無視して通り過ぎても良かったが、また縋り付いて来ても迷惑だ。ガタイの良い男がガタイの良い男に泣き付く、むさ苦しい光景。そんなものを見られたら、周囲の人間に間違いなく誤解される。
仕方なし、と。マスターはごみ袋を傍らに置き、寝そべっている彼の前に屈み込んで声を掛けた。


「……おい、生きてるか?」


眠っているのか、気絶しているのか。どちらにせよ意識は無い様で、声掛けに反応は無い。死んでいる訳では無さそうだが、道端で大の大人が半裸で寝ているのは如何なものか。歓楽街ならばそういう輩が居ても不思議では無い。けれど此処は住宅街にほど近い小さな通りだ。不審者扱いされても文句は言えない。
声で起きないならばと。肩に手を掛け、揺さぶってみる。最初は軽く、徐々に大きくその身を動かし、暫くして。彼は目を覚ましたのか、呻く様な声を上げ、もぞりと動いた。


「あ、う……ぅ……」
「起きたか」


情けない声を上げ、男は目を開き、顔を上げる。まだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりとした表情をしていたが、時間が経つにつれて意識がはっきりして来たらしく、両手で顔を叩き、上体を起こす。


「ここは、どこですか……?」
「……記憶飛ぶまで何してたんだお前は」


しかも半裸で。仕事もせずぐうたら酒を飲み続け、手持ちが無くなって賭博に手を出し、身に纏うものすら失ったのか。そう言えば、何時も持っている剣が見当たらない。質に入れてしまったのだろうか。
呆れながらも彼の反応を待ってみる。記憶が無くなるまで何をしたのか、は大体予想がつく。何時もの様にひたすら酒を飲み、酔っ払ったのだろう。何時も彼は潰れる程飲む事は無いと言っているが、どう見ても上戸とは言えない彼があれだけ酒を飲んで潰れた事が無いと言うのは少々――否、かなり信じがたい。


「えっと、あの……」


彼は戸惑った様子でマスターを見上げ、掛ける言葉に悩むかの様に口ごもる。気まずさでもあるのだろうか。飲んだくれの彼にそう言った恥じらいの心がある様には、とても思えないのだが。こうして他人に迷惑を掛ける事は、彼にとって日常茶飯事であるし、彼を知る誰もがそれを理解した上で受け入れていた。
何を言おうとしているのか。マスターが待っていると、彼は予想の範疇を超える台詞をその口から発した。


「貴方は……誰、ですか?」
「……は?」


お前は何を言っているんだ。顔見知りの顔を忘れてしまったのか、それともまだ寝惚けているのか。
マスターが怪訝の色を顔に滲ませると、彼はびくりと身を竦ませ、申し訳なさそうに眉を下げる。何故、そんな顔をするのだろうか。普段の彼ならば、悪びれる事も無くへらへらとしている筈なのに。目の前に居る彼は、どうもおかしい。


「あ、すみません……その、」


謝罪の言葉なんて聞いたことが無い。これは一体どうした事か。頭でも打ってしまったのだろうかと。おどおどする彼を見てマスターは腕を組み、首を傾げる。何とも言えない沈黙が二人の間に流れた。互いに掛ける言葉に悩んでいる。会話がかみ合わないのだから、仕方が無いが。
そんな沈黙を破ったのは、彼の腹から上がる、空腹である事を周囲に知らせる大きな音だった。


「あ……」
「腹、減ってんのか」


もしかして、空腹で動けなくなって倒れていたのだろうか。彼ならば、有り得ないとは言い切れないが。空腹を指摘され、彼は僅かに顔を赤くし、小さな声で『はい』と返して来た。縮こまる様子は気弱な青年のそれで、普段の図太い神経を持つ彼からは想像もつかない。やはり、彼は自分の知る彼では無いのだろうか。


「……取り敢えず、ついて来い」


此処で幾ら考えても、やり取りをしていても始まらない。事情は分からないが、彼を放っておくのも良くない気がして。
まずは腹ごしらえをさせてやろうと。彼を店に招き入れる事にし、マスターは立ち上がって貰うべく、彼に手を差し出した。




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