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未だ痺れるのだろう。右足を軽く擦り、男がその部分とユリシーズを交互に見ながら呟く。それに対し、ユリシーズは一瞬、ぴくりと眉を動かした。魔法使い、魔術師。その二つの単語をユリシーズの前で同時に出すのは或る意味タブーだが、男がそんな事を知る訳も無く。ジェレマイアは呻く様な声を漏らし、反射的に後退った。ユリシーズの逆鱗に触れてはいけない。それは過去に、何度も悲劇の現場を見て来て学習した事だ。例え相手が暴君であっても、此処でユリシーズを激昂させるのはまずい。男との勝敗以前に、この近辺が彼の荒れ狂った魔術によって焦土と化す可能性がある。とばっちりを受けるのはごめんだと。ジェレマイアの顔は青くなり、心の中で両手を擦り合わせ、最悪の展開にならない事を祈った。


「……魔術師だが、それが如何かしたかね?」


けれどユリシーズはジェレマイアが思っていたよりも冷静に、余裕のある笑みを浮かべながら男に聞き返す。男の発言がユリシーズの地雷を踏み抜くまでは行かなかったと知り、ジェレマイアは安堵した。此処で何時かの蜘蛛女――ペインの時の様に派手に暴れられたら堪ったものでは無い。本当に、ユリシーズの魔法使いに対するコンプレックスは異常だと、改めて思った。


「ハッ、ひ弱な魔術師がオレ様と張り合おうってのか? ……つっまんねー冗談だなぁ!」


漸く痺れが取れて来たのか、男は感触を確かめる様に右足の先で地面を何度か叩いた。ユリシーズはその様子を眺めた儘、動かずにいる。どうせなら、今の内に攻撃を仕掛けても良いのではとジェレマイアは思ったが、もしかしたら彼にも何か策が有るのかも知れないと。敢えて何も言わずに男との距離を取るべく後方へ下がった。
その後、男は声を張り上げ、両手に炎を纏いながらユリシーズに向かって駆けて行く。大きな体に合わぬ俊敏性に、人の首を簡単に捩り切る剛力。生体兵器である男の身体能力は凄まじく、恐ろしい。
男が動いたのを見たユリシーズは魔術で対抗するつもりなのだろう。片足を半歩引いて構えを取り、自らの正面に右手で『何か』を描く。魔術の心得が有る者ならばそれが魔術を発動させる為の『陣』を仕込んだのだと判断出来るだろう。しかし男には奇妙な動作にしか見えなかったらしく、拳を振り被り、ユリシーズの顔面を殴ろうと襲い掛かる。


「……ッ」


次の瞬間、不可視の障壁がユリシーズの目の前に展開され、男の拳を阻んだ。それと同時に、あらかじめ周囲に『仕込んで』いた陣が発動し、頭上の虚空から人の腕程もある氷柱が何本も現れ、男の身を刺し貫こうと襲い掛かる。


「しゃらくせえ!」


無防備だった為、簡単に殴れると思った。しかしその一撃は見えない壁によって防がれ、更に反撃を許す形となった。自らに迫る氷柱を見た男は今し方繰り出した方とは反対の腕を振り上げ、纏っていた炎を其方に向けて放った。炎と氷。相性が悪いのは素人でも分かる。炎の魔法使いである男へ氷柱を放ったのは、何か思惑が有る為か。
氷柱は男の放った炎によって溶かされ、水となり、蒸発する。結構な太さの氷柱だったが、男の炎が高温であった為か、全て一瞬で溶けてしまった。けれどユリシーズの反撃はこれで終わりでは無く、今度は対峙する二人の両側から鋭い風の刃が生まれ、男を切り裂こうと牙を剥く。


「ちっ……!」


風の刃を見た男は舌打ちをし、勢い良く後方へ跳ねながらそれを避ける。標的を捉え損ねた風の刃は一度上空へ昇り、今度は先程も生み出した白い雷となって地へ落ちた。


「クッソ、手品みてえに色々やりゃ良いってモンじゃねーんだよぉ!」


行く手を遮る形で落ちて来る雷に苛立ち、男が吠える。魔術師は魔法使い以下の存在と侮っていた。だが、複数の属性を同時に展開し、攻撃を仕掛けて来るユリシーズの実力は並の魔術師とは比較にならない。彼は『下手な魔法使いよりも強い』と良く言われる。実際、ユリシーズは魔法使いであるジェレマイアよりも強かった。尤も、男がその事実を知る由も無いが。
男は先程よりも激しい炎をその身から生み出し、高温により青くなりつつあるそれを彼に向けて放った。周囲を煌々と照らす灼熱の炎。障壁ごとユリシーズを焼いてしまおうと言うのか。


「……――っ!」


先程よりも強烈な攻撃を見たユリシーズは障壁の層を厚くしようと更に陣を展開させる。まともに喰らえば間違いなく全身黒焦げだ。最悪骨も残らず燃やされる。ユリシーズは先ず氷の壁を張り、その後ろに土の壁を張った。更にその後ろに同じ様に氷と土を交互に重ね、高温の炎に耐えられる様に備える。
迫り来る炎はユリシーズが生み出した障壁と衝突し、暫くはその猛攻に耐えていた。しかし、炎の魔法使いである男の火力は尋常で無く、徐々に氷も土も溶かされて行き、奥に立つユリシーズへ着実に迫っていた。障壁が壊される事はユリシーズの中では織り込み済みだったが、予想していたよりも進行が早い。その事に気付いたユリシーズは咄嗟に自らの身に風を纏い、地を蹴って距離を取るべく浮き上がった。それと同時に、障壁の最後の層が溶かされ、炎がユリシーズの居た場所に到達し、太い火の柱となって広がった。




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