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「まあ、今は様子を見るしか出来ねえな」
「そうなりますかねえ……」


マスター自身が動く事は滅多に無い。彼はあくまでも月桂樹の主であり、人々のサポートをする為に其処に居る。高い実力を持ちながら、動かないのは勿体無いと思うが、それがマスターのポリシーだと言うのだから仕方が無い。
何事も無く終われば良いが、今回ばかりは無理な話だろう。傍若無人な暴君と、彼に殺された恨みを持つニュクスが衝突して、何も起こらない筈が無い。それこそ、最悪の事態も想定される。けれど、幾らニュクスの相棒であると言っても、身の危険――基命の危険を冒してまで彼を助けようとは思えない。冷たいと思われるかも知れないが、この土地で己の身を守る為には、他者を切り捨てる勇気も必要である。尤も、繊細なメンタルのジェレマイアがそう言った選択を出来るのも、ニュクスの特異な体質があっての事だが。
苦笑するユリシーズの横で深い溜息を吐き、ジェレマイアはニュクスが出て行った扉を祈る様な、不安気な面持ちで見詰めた。




月桂樹を飛び出したニュクスは片手に拳銃を握り、暗い路地を走っていた。
マスターが言っていた、暴君の姿が最後に確認された歓楽街。今居るのは其処から程近い、貧民街の外れ。道端に座り込んでいる浮浪者以外に人の気配は無く、しんと静まり返った空間に貧民街特有の陰鬱な空気が漂っている。


「…………」


全神経を集中させ、彼の人物の気配を探る。以前もそうだったが、彼は自らの力に相当な自信が有るらしく、気配を隠して行動すると言う事をしない。危険人物認定されているにも関わらず――否、その方が好都合と思っているのか、寧ろその存在をアピールする様に堂々と都市内を闊歩しているのだ。ニュクスからすれば、腹ただしい事この上ない。
浮浪者達には目もくれず、ニュクスはひたすら走り続けた。彼等から目撃情報を聞き出す事も考えたが、自らの勘を頼りにした方が早いと思ったのか。彼が居そうな場所を絞り、虱潰しに探して行く。


「……ッ!」


そうして如何程の時間探し続けていただろうか。風に乗って、何かが焦げた様な臭いが何処からともなく漂って来た。それは鼻の奥に染み込む様な嫌な臭いで、ニュクスには心当たりが有った。皮膚が、肉が、骨が焼ける臭い。死した者を焼く火葬では無い、生きた人間が直接焼かれる際に生じるもの。嗚呼、そうだ。この臭いがすると言う事は。
走る先に彼の存在が居ると確信し、ニュクスは銃を握る手に力を込める。そうして今にも崩れそうな建物に囲まれた十字路。その角を右に曲がった先に、ニュクスが探している男が居た。


「ったく、ちっとは骨がある奴かと思ったのによ。見た目だけかよつまんねえ」


燃え上がる炎の様な真紅の髪。鍛えられた巨躯。獰猛な金の双眸に、凶悪な笑みを湛えた口元。彼の周囲に転がっている黒い物体は、数分前までヒトだったものの『残骸』か。
男は手に持っている、ヒトの頭と思しき物体を無造作に放り投げた。ポイ捨てされるゴミの様に放物線を描き、宙に舞ったそれは鈍い音と共に地面に落ち、ニュクスの居る方へと転がって行く。
ごろごろと転がる物体はニュクスの足元まで来た所で止まり、ニュクスもまた、其処で足を止めた。そうだ。こいつが。この男が。


「……野郎」


『暴君』と呼ばれる、帝国の生体兵器。過去に何度も辛酸を舐めさせられた、忌々しい存在。
彼の存在を認識した瞬間、ニュクスは銃口を其方へ向け、躊躇う事無くトリガーを引く。狙うのは頭。当たれば確実に仕留める事が出来る、急所。一発では心許ないと思ったのか、連続で数発、銀の弾丸が銃口から放たれた。
しかし。


「いきなり撃って来るなんて、いい度胸じゃねえか」


ニュクスが撃った弾は彼に当たる直前、男が掲げた手より生まれた炎に呑まれた。高熱を孕む炎に巻かれた銃弾は標的を捉える事無くその中で燃え、溶ける様にして消えてしまう。銃弾を溶かす程の熱を持つ炎を一瞬で燃え上がらせた男に対し、ニュクスはその能力の高さと反応の早さに舌打ちする。分かってはいたが、こうもあっさり凌がれるとは。何と憎らしい事か。




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