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「回線、復旧したそうだね」


後日。
月桂樹を訪れたユリシーズは、ニュクス達に仕事を紹介していたマスターへ声を掛けた。


「ああ、お陰様でな。例のハッカーはあれから全く出て来なくなった。お前の知り合いが上手くやってくれたんだろう?」


ハッカーの騒動により、一時は回線を遮断する事態となっていたが。その件をユリシーズに託してから、数日と経たぬ内にハッカーの存在は電子界から消えた。あれだけ多くの者を手こずらせた存在であったにも関わらず、ユリシーズの友人とやらは、ロウソクの炎を吹き消す様に簡単に抹消してしまった。一体どんな手段を用いたのか、気にはなったが、今はただ騒動が落ち着いた事に感謝するしか無い。


「彼は天才だからね」
「大したもんだ。お前の知り合いがどんな奴かは知らねえが。言葉にするなら電子界の魔術師って所か」


中型端末でのやり取りが主流となっているこの南エリアにおいて、回線を何時も通りに使える様にしてくれた。救世主とか、奇跡を齎した魔法使いと呼んでも良い位だ。しかし救世主と呼ぶには少々大げさで、魔法使いと呼ぶには、その存在に強いコンプレックスを抱くユリシーズの手前、憚られる。故にマスターは無難に彼の友人の存在を魔術師とした。


「魔術師……ふふ、そうだね。見えざる魔術師だ」


友人を褒められ、悪い気はしないのか。ユリシーズはその単語を反芻し、満足気な笑みを浮かべ、出された紅茶のカップを取り上げる。時刻は午後の七時前。月桂樹が開店して暫く経った所だが、店内には未だユリシーズ以外の客は居ない。シックなジャズ音楽が流れる中、ユリシーズはカウンターの席で紅茶を飲みながら、マスターとの会話を楽しんだ。


「……、珍しいな。アンタが先に来てるなんて」


それから暫くして。
入り口の扉のドアベルが鳴り、常連であるニュクスとジェレマイアがやって来た。先にカウンター席に座っているユリシーズの姿を見て、ニュクスは意外そうに言い、ジェレマイアは露骨に嫌そうな顔をする。ニュクス自身はユリシーズが居る事に対し、特に何も思っていない様だったが、彼の事を苦手としているジェレマイアは相変わらずな反応を示した。


「おや、いけなかったかね? 私が先に来ていては」
「そんな事はねえけどよ。何時もアンタは後から来るイメージが有ったんだ」
「嗚呼、それはそうかも知れないね。なに、今日は講義が早く終わったのだよ」


何時もはニュクス達の方が先に来ている。その為、今日の光景は珍しいと。ニュクスの言葉に対し、ユリシーズは成程と、納得した様に自らの顎下を軽く擦った。
そうしてニュクスは当然の様に何時もの席に座り、ジェレマイアもまた――ユリシーズが近くに居る事を苦いと思いつつ――彼の隣に腰を下ろす。今夜もまた、夕食を此処で取るつもりらしく、カウンターに置いてあったメニューを取り上げ、二人揃って眺め始めた。


「チキンカレーと何時もの酒をくれ」
「僕はトマトソースのパスタとシーザーサラダを」


メニューに並ぶ料理を上から下まで眺め、気分で決める。普段と何ら変わりのない光景。この後は食事をしながら適当な雑談をし、仕事の話へ移る。何でもない日常が、回線の復旧と共に戻って来た。その事に、ニュクスとジェレマイアは少なからず安堵していた。


「ああ、ニュクス。お前に朗報だ」
「……朗報?」


注文を受けたマスターが調理に取り掛かろうとして、思い出した様にニュクスへ声を掛ける。朗報、とは一体何なのか。マスターの口からその様な言葉が出るのも珍しい。
カレーが出て来るまでの間の話題の種か。それならそれで食い付いて見るのも良いかも知れないと。ニュクスは緩く首を傾げ、マスターの次の言葉を待った。面白い話なら、聞いて損は無いだろう。そんな軽い気持ちであったが。


「『暴君』がまた姿を現した」


マスターの紡いだ言葉は、予想だにしていなかった、けれどニュクスが密かに望んでいたそれだった。




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