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翌日。
東エリアの大学で一日の講義を終えたユリシーズは、舎内の廊下を一人歩いていた。
目指すのは或る人物の居る研究室。部屋の主は教授であるユリシーズと異なり、非常勤の講師である。本来ならば部屋を持つ立場では無いが、指導力の高さを評価され、大学から特別に専用の部屋を与えられている。
長い廊下を歩き、その先に有った階段を上り、目的の部屋の前に辿り着く。念の為、周囲に誰も居ないのを確認し、ユリシーズは拳を軽く握って扉を叩き、反応を待つ。治安が良く、慣れ親しんでいる空間で警戒する必要は無いとも思ったが、用心するに越した事は無い。


「開いてるよ」


扉を叩いてから直ぐに、中から声が返って来る。それを聞き、ユリシーズは扉を開け、中へと身を滑り込ませた。
室内は雑然としていて、古びた本が其処彼処に積み上げられていた。足の踏み場は辛うじて有ったものの、気を付けて歩かないと積まれている本の山を崩してしまいそうな状態だった。
そんな部屋の奥で、椅子に腰掛け、足を机の上に乗せた状態で本を読むのが、部屋の主である人物――ユリシーズが用の有る男だった。


「やあ、ユーリ。講義はもう終わったのかい?」
「ああ、先ほど終わったよ……貴公は?」
「今日は午前だけ」


癖の無い焦げ茶髪に、同色の瞳。顔立ちは整っているが、目元に刻まれている皺が年齢を感じさせる。服装は黒のハイネックにカーキ色のパンツを合わせたシンプルでラフなもの。講師と言うより学生と言った方が信じてもらえそうな姿だが、本人が言うには、この格好の方が動き易くて何かと都合が良いのだとか。
彼の名はレイと言い、ユリシーズとは親友であり、同期の関係になる。気難しい――基偏屈なユリシーズが気を許せる数少ない存在で、仕事でもプライベートでも共に過ごす機会の多い男だった。


「それで、どうしたんだい? 君が此処に来るなんて珍しいじゃないか」


レイは読んでいた本を閉じ、机の上に置くのと同時に足を床へ下ろし、姿勢を正してユリシーズと向き合う。何時もならレイがユリシーズの研究室を訊ねるのだが、今日は一体どう言う風の吹き回しか。不思議そうな眼差しを向け、笑みを浮かべながらレイは訊ねた。


「……一つ、頼まれてくれないかと思ってね?」


足元の本を崩さない様、慎重に歩いて行く。積まれた山はそう高いものでは無いが、それでも崩して散らばると片付けが面倒だ。それに、彼の仕事の関係上、此処に有る本の多くはぞんざいに扱って良いものでは無い筈。そろり、そろりと。普通に歩くよりもゆっくりとした速度で進み、漸くレイの傍へと辿り着く。そうしてだらけた姿勢から人の話を聞く体勢となったレイを見下ろすと、上体を軽く倒して彼の耳元へ顔を寄せ、ユリシーズは囁く様に言った。


「ん? 頼み事かい?」
「そう。貴公にしか頼めない事だ」
「私にしか頼めないって言うと……」


ユリシーズの言葉を聞き、思い当たるものが有ったのか。レイは僅かに目を細め、片手を顎に添えて擦りながら考え込む仕草を見せる。


「察しの良い貴公なら、分かるね?」


眼鏡の奥の双眸を細め、ユリシーズが首を傾げながら笑んで見せる。すると、レイは視線だけ彼の方へと向け、其処に宿る真意を探るかの如く見据えて来た。
互いの視線が交差し、沈黙が流れる。その時間はほんの数秒。その短い間に、レイは事情を察した様で、顎に添えた手を下ろし、直ぐ近くに置いてあった丸椅子をその手で引き寄せるとそれに座る様ユリシーズに目配せし、言った。


「話、聞かせてくれるかい?」




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