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「仕事が紹介できない?」
「どういう事なんです?」


ある日の夜。
何時もの様に月桂樹を訪れ、夕食のついでに仕事を紹介してもらおうとしたニュクスとジェレマイアは、マスターが返して来た言葉に驚き、思わず声を上げた。


「先週から悪質なハッカーが出て来てな。そいつが落ち着くまでは回線を切る事にした」


二人の反応を見てもマスターは表情の一つも変えず、洗ったグラスを拭きながら淡々とした調子で事情を説明する。


「悪質なハッカーって何ですか?」
「その儘だ。他人の端末に不正にアクセスして、端末内の情報を抜き取った上でその端末に保存されているデータを破壊する。標的にする対象は無差別で、俺の知り合いもやられた。『奴』が暴れ回っている内は、回線に繋ぐ事が出来ない」
「ええー、それ困るんですけど」
「俺だって困ってるんだ」


聞けばそのハッカーは自ら『電子界の支配者』と名乗り、誰彼構わずハッキングをし、破壊活動を行っていると言う。標的にされた者は個人、企業問わず保持している情報を抜き取られ、更にウイルスを撒き散らかされ、端末そのものが使えなくなっている。対策を練ろうにも神出鬼没で足取りが掴めず、仮に見つけ出す事が出来てもその場で返り討ちにされ、どうする事も出来ないらしい。事態は思いの外深刻で、早急な対応が求められている。けれどハッカーに対抗出来る者は現時点ではおらず、対抗者となりうる存在は既に先手を打たれ、端末を破壊されて動けない状態になってしまったと言う。


「何とかならないんです?」
「流石にハッカー相手は無理だな。その辺りは人並みの知識しか無い」


電子界の支配者だか何だか知らないが、仕事を紹介して貰えないのは死活問題だ。ニュクスもジェレマイアも生活が掛かっている。一日二日何も無いならまだしも、この状況が何日も続くとなると、懐事情が厳しくなる。
マスターなら、何かしら対策を練ってくれるのでは無いか。淡い期待を抱き、ジェレマイアは訊ねたが、返って来たのは冷たい答えだった。知識豊富で普段から様々な場面で頼りになるマスターも、今回ばかりはどうする事も出来ない。


「勘弁して下さいよ。僕今月ピンチなんですよ? ニュクスくんに借りるのはちょっと嫌です」
「ちょっと嫌って何だよ、俺だってテメエに貸したかねえよ。つーかそこまで余裕無えよ」


ジェレマイアの引っ掛かる言葉を聞き、ニュクスがぴくりと反応する。


「え? 余裕無いんですか? けち臭く……いやいや堅実に貯め込んでるかと思ったんですけど」
「そりゃ或る程度は貯めてるけどよ。出費もそれなりに多いんだ。仮に他人に貸す余裕が有ってもけち臭いなんて言うテメエには貸さねえし」
「はぁー? やっぱりけちなんじゃないですか。相棒の僕が困ってるって言うのに、ニュクスくんは見て見ぬふりですか? うわー、信じられない。どけち。さいてー」
「うるせえぞ三流」
「三流って言わないで下さい。はーやだやだ。下半身はがばがばなのに財布の紐は固いってどーいう事ですかねー」
「……ああ゛?」


何だか不穏な空気が漂って来た。最初に余計な事を言ったのはジェレマイアの方がだが、それに突っかかるニュクスもニュクスだ。互いに引きつった笑みを浮かべながら睨み合い、火花をちりちりと散らす。バーの中での喧嘩が御法度である為、拳が出る事は無いものの、険悪なムードは見ている方が不安になる。


「お前ら、落ち着け」
「落ち着けって言ったって噛み付いて来たのはニュクスくんの方ですよ?」
「はぁ? テメエが最初に余計な事言うからだろうが」


マスターが窘めようとして、ニュクスとジェレマイアは即座に反応し、互いを指差しながら言う。彼等の口論もとい喧嘩腰の応酬は何時もの事だが、今日は少しヒートアップしている。もう少し燃料を投下すれば拳が出そうだ。それはマスターが居る手前、相手を殴ってはいけないと理性が働き、二人とも抑えている様だったが。次にどちらかが相手を煽る様な事を言えば、どうなるかも分からない。
さて、どうしたものか。マスターが悩んでいると、店の入り口に掛けられているドアベルが涼やかな音を鳴らし、店に居る者達に来客を告げた。


「おやおや、これはまた随分と剣呑な空気だね」




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