無色から色づくその傍らで
初めてこの家に来たとき、ドン引きしたのを覚えている。一見生活感のあるように見える普通の部屋。なのに、そこには消耗品というか長時間放置すると困るものは何もなかった。捨てられれば、すべて片付く。特に顕著だったのがキッチンで、当たり前だけれども食材は疎か調味料なんてものはほとんどなかった。
立つ鳥跡を濁さずを体現しているかのような部屋に渋い顔をしていたら、「男の部屋なんてこんなもんでしょ?」とうさんくさい笑顔が返ってきたもんだ。確かに料理しない男の子なんていっぱい居る。フライパンとか調理器具もなにひとつ置いてない人だって居る。それにしたってだ。炊飯器はあるのに米はないのは中々レアじゃないでしょうか。冷蔵庫の容量と中身が全然合致していない。
ミネラルウォーターとゼリーで埋めればいいってもんじゃないでしょう。
「とりあえず、出前でもとる?」
今から調理器具を買い揃えて、食材と調味料を買って、料理して、なんてするのはどう考えても合理的じゃなかった。別に何か手料理を作って彼女面したいとかそういうわけじゃなかった。何より私とホークスはそんな関係じゃない。たまたま家に立ち寄ることが許された同期。別にそれが心を許して貰えてるなんてそんなことも思えなかった。きっとホークスはこの自分の部屋に愛着を持っていない。持たないようにしている。そんな感じがありありと伝わって、良く言えば「ヒーローとしての心構え」を見せつけられた感じがした。
「俺、そういや今日誕生日なんだよね。だからクーポンあるし、俺の奢りでいいよ」
慣れた手つきでピザを注文しながら、またうさんくさい笑顔を振りまかれた。だったら尚更私が出すよ、と言おうとしたら口元に飛んできたのは赤い羽。
「お前が側に居てくれればそれでいいよ」
半笑いで言われた明らか本気でない一言に、更にうさんくささが増す。あ、こいつ私の反応を見て遊んでやがる。ジト目で睨み返すとホークスは面白そうに声をあげて笑った。
「からかって楽しい?」
「うんとても」
ホークスお勧めの福岡しかないデリバリーピザは悔しいながらも美味しくて、洗い物もなにもすることなく、食べ終わったものは即ゴミ袋へと消えていった。
これがホークス21歳の誕生日。
◇
『何これ』
スマホにポップアップが立ち上がって、迷わずそのメッセージをタップすると、連続して届いたのは1枚の画像が届く。しめしめ。無事に届いたか。内心でほくそ笑みながら、返事を打っていたら突如スマホが震えだして通話画面に切り替わる。相変わらずせっかちな男め。
「はーい」
『はーい、じゃない。何これ』
「土鍋とガスコンロ?もうすぐ誕生日でしょ?」
『それはわかってる。なんでこれ?』
「寒くなってきたし、冬にぴったりだから」
そこまで言うと、電話口の相手は押し黙った。どうやら言葉を探しているらしい。まぁそりゃそうか。昨年家に行ったときにこの男のスタンスを感じ取っていたはずなのに、まさかの誕生日プレゼントとして贈られてきたのは、鍋セット。私の意図を考え込むように、ホークスは黙り込んでいる。これは随分珍しいものを見たかもしれない。一体どんな返事が返ってくるか。ちょっとわくわくして待っていたらその答えは少し予想から外れたものだった。
『俺、鍋とかしたことがないんだけど、お前はこっちこないの?鍋だけ?』
「へ?」
『せっかくだから鍋奉行してよ。年末年始連休くらいあるでしょ?』
「いやいや、航空券その時期さすがにもう埋まってるし……」
『いつ休み?』
「……27から三連休」
こっちの話を聞いてるのやらいないやら。どうせ無理だろうと思いながら、僅かながらの与えられた連休を告げれば、了解ちょっと待ってて、と通話を切られた。そしてその数分後、私の名前で予約された航空券が届いた。驚いていたら、次に「ここの部屋取ったから」と福岡の有名ホテルのホームページアドレス。ちょっと待って。やること早すぎる。その前に航空券なんでとれた。こちとらまだ了承の返事もしていないというのに。
文句のひとつでも言ってやろうとしたら、追加でまた1通のメッセージ。
『俺、家で料理すんの初めてだから教えてよ』
頭に浮かんだのは、1年前これでもかと生活感のあるようでない変な部屋。普段食えない同期からこんな可愛い素直なことを言われただけで、まぁ九州くらい飛行機ならすぐだし行ってやらないこともないかと思ってしまう私はちょろいのか。それともホークスがずるいのか。まぁ仕方ない。使われずに捨てられるよりはマシだろう。
「了解。美味しいもつ用意してて」
そう返したら、すぐに既読はついた。人気のなさそうなエンデヴァーの畏まった了解というスタンプが送られてきて、会話はそこで終わった。ってかなんだこれ。なんで今年も過ごすことになっているのか。深く考えたら負けな気がする。
「こんなもんでいいの?」
2回目に訪れた部屋は、相変わらず整理整頓されていた。整理整頓されすぎて、どこかのモデルルームのようだ。この男、もしや事務所で寝泊まりしてるんじゃないだろうな、と頭に過ぎるもきっとそれを問い詰めたってはぐらかすだろうな、ってなんとなく思った。別にいいけど。
「キャベツ、ニラ、唐辛子、ニンニク、ごぼう、それにモツ。おおすごい完璧じゃない!」
しかもどれも新鮮な野菜ばかりだ。そしてモツもプリップリ。聞けば野菜もモツも商店街を歩いていたら肉屋やら野菜やらすべて貰ったとのこと。さすがは九州NO.1ヒーロー。地元人気半端ない。
「はい包丁」
「こら私任せにしない。ホークスも一緒にやる」
「……いや、マジであんまり使ったことないんだって」
「え?」
なんとなく居心地が悪そうに目を逸らされた。この男、こんな顔もできるのか。どことなく気まずそうで、触れてほしくなさそうな。初めて見る人間味溢れる表情にこちらが少し戸惑ってしまう。
「そっか。ならなおのこと一緒にやろう。ホークス器用だからすぐ使いこなせるよ」
「羽で切るのは?」
「衛生面に心配ありすぎだから、本当にまじでどうしようもなくなったときの最終手段にして」
「いやいやさすがに冗談だってわかってよ」
真新しい綺麗なシンクで野菜を洗って、包丁の持ち方から教えて、鍋の準備を2人でしていく。正直なんだか意外だった。ホークスとはプロになってから知り合ったけど、なんだかんだよく気が付くし、子どもの頃親の手伝いとかよくしていそうなイメージがあるのに。それか友達同士で鍋パだとかも開いていてもおかしくないキャラクターなのに。ああ、でも呼ばれても断りそうだなこの男。まあいいや。今横で包丁を使っているホークスはなんだか楽しそうだし。慣れないながらも均一に野菜を切っていく横顔は、どこか子どものようで、私の頬も思わず緩んでいく。迷ったけれど、プレゼントして良かった。
新品の土鍋にこれまたホークスが有名店から貰ってきたスープを煮立てて、野菜ともつを放り込んでいく。湯気がもくもくっと湧き上がっていく様をホークスは物珍しげに眺めている。なんだその顔。本当に子どもか。そんなホークスを横目に先程コンビニで調達した深い紙皿と割り箸をテーブルに並べていく。
ピラミッドのように積み上げられたニラを崩すと、あごだし醤油の香りが部屋一面に拡がった。あ、やばい。お腹すいてきた。
「あ、なに?取り分けまでやってくれんの?」
普段店だったらしないじゃん、とホークスが不思議そうにこちらを見てくる。
「家だからね。それに鍋奉行しろと言ったのはホークスじゃん」
改めて指摘された気恥ずかしさを隠しながら、取り分けた皿を目の前に差し出すと、そわそわする顔をするホークスが居た。今日は本当に顔の表情がよく変わることだ。
「食べてよか?」
「勿論」
いただきます、と2人で手をあわせて、ぷりっぷりのモツとくたくたに煮込んだキャベツに手をつける。あ、やばいこれ。美味しい。さすが本場。ほどよい弾力を持ちながらも蕩けるような柔らかさをモツにスープが染みて美味しい。そして何より温かいスープが身体に染み渡る。
「……ホークス?」
一口口に入れて何も言わないホークスに思わず声をかける。失敗した、なんてことはきっとないはずだ。でも何かを思案するように考え込むホークスは、さっきの子どものような表情はなりを潜めて、すっかり大人の顔になっていた。
「どしたの?やっぱ店で食べる方が美味しかったとか?」
「──あー、いや、そんなんじゃなくて」
言い辛そうに、そしてどこか照れくさそうにするホークスと目が合った。
「お前がよければ、また鍋付き合ってよ。その時までには、皿とか買い足しとくし」
美味しい、とかは味を賞賛する言葉は何もなかった。でもただ無言で箸を進め、おかわりをよそう姿は、外食でぺちゃくちゃ色んな事を話ながら食べるホークスとはどこか別のような人に見えて、まずいぞ。あれ、これはなんだか。
「……ちょっと好きかもしれない」
「何が?」
「あーっと……もつ鍋が。うん、だからいいよ。鍋。うん、私好きだし鍋。うんあ、野菜足すね」
ぐつぐつともう一度煮立てるため、鍋を強火に。次第に白い湯気はニンニクの香りと一緒にもくもくと。だめだめ。このテのいつ居なくなっても良い準備を常にしている男は好きになるとしんどいんだって。ちょっと普段見せない顔を見たからって単純すぎでしょう。そう。だから、もくもくもくもくとした湯気と一緒に煙に巻いてしまえ。
「……家でちゃんとした飯食うの、ほんと初めてなんだわ」
だからそういうことをそんな顔で言うなっての。もくもくとした湯気の向こう側で同い年なのにどこか幼い顔をしたホークスがこちらを見ている。
「こうやって飯食うの悪くないね。というかやっぱりお前が居ればそれでいいのかも」
「……え?」
無機質でどこか冷たかった部屋に、白い湯気が立ちこめていく。それはどこか温かくて、取り分けたスープをふーふーしながら口付けるホークスはどこか愛おしくて、去年と同じからかい文句に反応するのがワンテンポ遅れてしまった。
「──なんて勿論冗談よ?」
「っわかってるよ!」
残念ながらいつもの顔に戻ったホークスは、声を上げて笑い、私もそれに笑った。
使い終わったお皿はゴミ袋へ。油がたくさん浮いた鍋は綺麗に洗って、まったく使われていないキッチンの収納にしまった。
これが、ホークス22歳の誕生日。
◇
その男は、ある日突然空からやってきた。大きな赤い翼をはためかせ、敵退治で何事かと集まった周囲の一般人が「ちょっとあれ…!」と色めきだつ中、茶色いブーツが地面に足を付ける。警察によって張られたキープアウトはお構いなし。ちょっと待て。いきなり何しに来た。
「え、ちょっと何しに来たの。こっち今仕事中なんだけど!」
拘束したての敵を警察に引き渡しながら片手間に相手すると、突如空から来た男──ホークスは「え、つれなくない?」とこちらの都合をお構いなしに話しかけてきた。しかも缶コーヒーを飲みながら。
「え、いや、ほんと何しに来たの?!あんたこの時期いつも地元のテレビ引っ張りだこじゃないの?──あ、はい、お願いします。聴取には落ち着いたら立ち会いますので!」
「信頼している同期の顔を見にって理由じゃダメ?」
「暇か!」
思わず声を張り上げながら会話をすると、あとはこちらで対応しますので、と苦笑い気味に空気を読んだ警察の方がそう言ってくれた。ちょっと警察の人に気を遣わせるんじゃない。おまけにこの男が来たことでできたギャラリーの整備まで始めてくれてる。ああ、もうほんとに!
「あらら〜。人集まって来ちゃった?」
「誰のせいよ誰の」
ホークス〜っていう飛んできた女子高生の声援にひらひらと手を振り返せば、キャー!という黄色い声援。人好きする笑顔は相変わらずうさんくさい。だがその横顔はなんとなく疲れてみえて。
「……ちゃんとご飯食べてんの?」
「……は?」
「ああ、忘れて今のナシ!」
ダメだ。ヒーローなんてやってるとどうしてもお節介になってしまう。私はホークスの母親か!いや、もう顔を見たのがひさしぶりだからって本当に何をしているんだか。
少しの自己嫌悪に乾いた笑いをしていると、ホークスがふわっと笑った。そしてゆっくりと口が動いて、「ありがとう」と言われた気がした。気がしたというのは、それは声になって私に届かなかったわけで。だから、これは私の勘違いなのかもしれない。
「……メール返してなくてほんとごめん。悪いとは思ってる。マジでほんと立て込んでてさ〜」
「それは何ヶ月前の話してんのよ」
新しい食器買った。米買った。今度いつ来れそう?取材でそっち行く。時間取れる?怪我したって聞いた。具合は?
この男が22歳になってから、思い出したかのように時折私にメッセージが届くようになった。それは少しこちらが自惚れそうな甘さを孕んだものから、日常の他愛のないことまで。本当にどれも気まぐれのようなものだったけど、それを嬉しく思う私が居た事実は全力で目を背けなければと思っている。
そしてある時ぱたりとメールは返ってこなくなった。最後のメールはそうか。『今日』の話をしている時だった気がする。
「で、本当に何しに来たのよ。多忙な身なんでしょ?」
「ああ、うん。お前にこれ渡したくてさ〜」
ジャケットから取り出されたのは、真っ黒な装丁のハードカバー。悪趣味な文字で『異能解放戦線』と書いてある。げ。
「……おまえ、ほんと顔に思ってること出るね」
「航空会社だけじゃなくて、集瑛社もスポンサーについたわけ?」
「まさか?最近の俺のオススメ。時代に即してるからお前にも読んで欲しいんだわ」
受け取るまでどうやら帰る気はないようだ。溜息をつきながら受け取ると、「特にオススメ部分はマーカーね」と念押しされた。いったいメールが返ってこなかったこの期間一体どこで何をしていたのやら。少なくとも私の知っているホークスはこんな書籍に魅了されるタイプじゃなかったと思うのに。
「それと、これコーヒー。買い間違えたからあげる」
「あげるってこれ飲みかけじゃない」
渡されたのは苦い苦い言いながら、ホークスがたまに飲んでいたエンデヴァーが広告塔をしているコーヒー。本当にどういつもりだと睨みをきかせたら、1年前のあの日のホークスが顔を覗かせた。見ているこちらが切なくなるような、それでいてどこか泣きそうな。
「俺はもういらないからさ、捨てといてよ」
でもその顔が見えたのは一瞬で。すぐに元の顔に戻った。その表情がなんとも言えなくて、渡された缶コーヒーを思わず握りしめる。液体だけしか入っていない筈なのに、その缶からは鈍い音がした。
「じゃあ俺行くわ。ちゃんと本読んでね」
「ねえ、ホー…!!」
地面を勢いよく蹴って、赤い翼が目の前に広がる。まっすぐそのまま飛び上がって次第にその姿は小さくなる。
訳が、わからない。その場でパラパラとページをめくると、いくつか引かれたマーカー。
残されたコーヒーは、ほんとただの飲みさしで。開け口の広い缶コーヒーのキャップを開けると、案の定黒い液体のみで──。
「え?」
うっすら見えた銀色の物体に、思わず息をむ。慌てて誰も居ないところに行き、コーヒーとともに中身を取り出すと出てきたのは、銀色の鍵。
これが、なんの鍵なのかは言われなくても、なんとなくわかった。ホークスの、家の鍵だ。
『俺はもういらないからさ、捨てといてよ』
ふざけるな。ふざけるな。
それが何を意味するのか一瞬でわかってしまった。ようやく少しだけ、置いておいて困るものに興味を持ちだしたくせに、なんでまた切り捨てようとするのか。
ふざけるな。絶対に捨ててなんかやるものか。というか捨てるなら自分で捨てろ。絶対持っていていつかもう一度また鍋しながら突っ返してやる。そのためにも──。
渡された黒い本のページをゆっくり開いた。
これが、ホークス23歳の誕生日。
◇
「あーそんなこともありましたねぇ」
いやいや懐かしいわ、とまるで他人事のように語る男にどんな言葉を浴びせてやろうか。本当にこの野郎。
「私あの時ほんと腹立ったんだけど!」
聞いてんの?と波佐見焼の釉薬の美しい茶碗に炊きたてのご飯を盛ると、ごめん、と素直に謝られた。
「あの時は俺もいっぱいいっぱいだったんだって」
私の横に赤い翼が少し散らかったキッチンで横に並ぶ。できたての味噌汁をお玉でかき混ぜながら赤褐色の椀にホークスがよそっていく。
「まあ、ほらこうやって今は無事合鍵になってる訳だし」
「珈琲の匂いが染みついたね」
「もし死んだら死んだでお前の中にずっと残り続けるかなぁって」
「縁起でもないこと言わないで……ってかそんなこと思ってたの」
「さあどうだろーねー?」
ケラケラと笑いながらよそいたての味噌汁とご飯を持って食卓に運んでいく。背中の羽がぴょんぴょんと楽しそうに揺れている。まぁ今のホークスが楽しいなら私は私でいいんだけども。
揚げたてのから揚げを大皿キャベツの上にざっくりと盛るとカウンター越しにホークスが受け取ってくれた。うん、まあ、急いで帰って2人で作ったにはなかなか上出来でしょう。
「あ、そういや味噌切れそうかも。明日帰り買ってこれる?」
「了解。多分明日テレビ取材だけだから、早く終わる。他なんか必要なものとかある?」
「んー特には。思いついたらまた連絡する」
頂きます、と2人で手をあわせて食卓に並んだご飯に手をつける。
まさかなんだかんだ4年連続で誕生日に会うことになるとは思わなかった。そして2人でご飯を作り、こうやって毎日一緒に食べるようになるとも。
「味噌汁どう?」
「んー。だし入れすぎかも?これはこれで好きだけど」
「あー。やっぱ塩梅難しいわ。お前が作った方が俺好きだな」
ホークスの作った少し塩っ辛い味噌汁を啜っていると、ピンポーンとインターホンが部屋に鳴り響いた。何事かと顔をあげれば、私より先にホークスが玄関モニターへと足を運ぶ。
「なに?」
「なんか荷物って。ちょっと見てくるから先食べてて」
玄関に向かう赤い翼を見送りながら、私は部屋を見渡した。いつの間にか増えた食器棚。ファンからの差し入れのぬいぐるみや手紙。いつも少し散らかっているキッチンと、汚れたお皿が少し溜まっているシンク。
いつの間にかこの部屋には無駄なものが溢れてきた。しかしながら変な話、少し散らかりつつあるこの部屋は、初めて来たときよりもホークスの匂いがする部屋になりつつあった。うん、嫌いじゃない。その人の色がついている、生きている部屋だ。
「ごめん、ちょっとこっち来て──」
「なにどうしたの──ってわっ!!?」
ホークスに呼ばれて、玄関に向かうと視界に勢いよくオレンジと白にピンク、それに色鮮やかなグリーンが飛び込んできた。
「え、なにお花?」
やや押しつけられ気味に手渡されたのはオレンジローズをメインに使った花束。生花特有の甘い香りが鼻を燻る。ダメだ。目にしただけで心が弾んでしまうし、自然と口元は緩んでしまう。
「すごい可愛い。これ、誰かからのプレゼント?」
ブーケには特にギフトカードらしきものは何もない。ホークスのファンか、それとも日頃からお世話になっている会長からだろうか。そう思って、ホークスに聞いてみたものの、「あー」とか「うー」だとかでまともな答えは返ってこない。
「ホークス?」
名を呼ぶとそっぽを向いたままこちらを見ようともしない。もしや。なんとなく思い当たってその横顔を見るとじわじわと耳が赤くなっていくのが見えた。
「……察して」
ややぶっきらぼうに返された言葉に思わず頬が緩む。意外。こういうのは存外スマートにやる男だと思ってたのに。素直にありがとうと礼を言うと、照れくさそうにまた顔を背けられた。
「今日、誕生日なのはホークスなのに」
「あーあれ。これからもよろしくって意味も込めてデス」
「そっか」
もういちど貰いたての花束に顔を埋めると、甘く、優しい匂いがした。いつ出て行っても問題のない部屋。捨てればすぐに片付く部屋。そんな無色透明だった部屋に優しい色が色づいてきた。この男は気付いているのだろうか。花なんて食材以上に生きていく上で不必要なものなのに。それがこの部屋に加わったことが嬉しくて、これでもか、というくらいに顔を綻ばせると、「大袈裟」と笑われた。ふん、だ。全力で生き急いで、死に急いでいた男にはきっとこの気持ちはわかるまい。
「あ、そういやこの家花瓶あったけ?」
「私が知る限りはないと思う。ひとまず使ってない鍋にでもさしておくね」
「わー大胆」
私のくだらない提案にホークスが声をあげて笑う。大きな食卓の真ん中に大きな鍋。その中には大胆に飾られた色とりどりの花。あまりにも風情がなくてあまりにも生活感しかない。でもその生活感が私の中で幸せになっているのだから、本当に人間ってわからない。
「ホークス」
「ん?」
「お誕生日、おめでとう」
4回目にしてようやく言えた一言を口にすると、ホークスは一度大きな瞬きをしてから、そして笑った。
「これからも俺はお前が側に居てくれればそれでよかよ」
その一言があまりにも優しくて、あまりにも愛おしい。どうかこれからもくだらないことを2人で笑えますように。そんな祈りを込めて、裏表のない笑顔を見せるホークスに抱きついた。
これがホークス、24回目の誕生日。
立つ鳥跡を濁さずを体現しているかのような部屋に渋い顔をしていたら、「男の部屋なんてこんなもんでしょ?」とうさんくさい笑顔が返ってきたもんだ。確かに料理しない男の子なんていっぱい居る。フライパンとか調理器具もなにひとつ置いてない人だって居る。それにしたってだ。炊飯器はあるのに米はないのは中々レアじゃないでしょうか。冷蔵庫の容量と中身が全然合致していない。
ミネラルウォーターとゼリーで埋めればいいってもんじゃないでしょう。
「とりあえず、出前でもとる?」
今から調理器具を買い揃えて、食材と調味料を買って、料理して、なんてするのはどう考えても合理的じゃなかった。別に何か手料理を作って彼女面したいとかそういうわけじゃなかった。何より私とホークスはそんな関係じゃない。たまたま家に立ち寄ることが許された同期。別にそれが心を許して貰えてるなんてそんなことも思えなかった。きっとホークスはこの自分の部屋に愛着を持っていない。持たないようにしている。そんな感じがありありと伝わって、良く言えば「ヒーローとしての心構え」を見せつけられた感じがした。
「俺、そういや今日誕生日なんだよね。だからクーポンあるし、俺の奢りでいいよ」
慣れた手つきでピザを注文しながら、またうさんくさい笑顔を振りまかれた。だったら尚更私が出すよ、と言おうとしたら口元に飛んできたのは赤い羽。
「お前が側に居てくれればそれでいいよ」
半笑いで言われた明らか本気でない一言に、更にうさんくささが増す。あ、こいつ私の反応を見て遊んでやがる。ジト目で睨み返すとホークスは面白そうに声をあげて笑った。
「からかって楽しい?」
「うんとても」
ホークスお勧めの福岡しかないデリバリーピザは悔しいながらも美味しくて、洗い物もなにもすることなく、食べ終わったものは即ゴミ袋へと消えていった。
これがホークス21歳の誕生日。
◇
『何これ』
スマホにポップアップが立ち上がって、迷わずそのメッセージをタップすると、連続して届いたのは1枚の画像が届く。しめしめ。無事に届いたか。内心でほくそ笑みながら、返事を打っていたら突如スマホが震えだして通話画面に切り替わる。相変わらずせっかちな男め。
「はーい」
『はーい、じゃない。何これ』
「土鍋とガスコンロ?もうすぐ誕生日でしょ?」
『それはわかってる。なんでこれ?』
「寒くなってきたし、冬にぴったりだから」
そこまで言うと、電話口の相手は押し黙った。どうやら言葉を探しているらしい。まぁそりゃそうか。昨年家に行ったときにこの男のスタンスを感じ取っていたはずなのに、まさかの誕生日プレゼントとして贈られてきたのは、鍋セット。私の意図を考え込むように、ホークスは黙り込んでいる。これは随分珍しいものを見たかもしれない。一体どんな返事が返ってくるか。ちょっとわくわくして待っていたらその答えは少し予想から外れたものだった。
『俺、鍋とかしたことがないんだけど、お前はこっちこないの?鍋だけ?』
「へ?」
『せっかくだから鍋奉行してよ。年末年始連休くらいあるでしょ?』
「いやいや、航空券その時期さすがにもう埋まってるし……」
『いつ休み?』
「……27から三連休」
こっちの話を聞いてるのやらいないやら。どうせ無理だろうと思いながら、僅かながらの与えられた連休を告げれば、了解ちょっと待ってて、と通話を切られた。そしてその数分後、私の名前で予約された航空券が届いた。驚いていたら、次に「ここの部屋取ったから」と福岡の有名ホテルのホームページアドレス。ちょっと待って。やること早すぎる。その前に航空券なんでとれた。こちとらまだ了承の返事もしていないというのに。
文句のひとつでも言ってやろうとしたら、追加でまた1通のメッセージ。
『俺、家で料理すんの初めてだから教えてよ』
頭に浮かんだのは、1年前これでもかと生活感のあるようでない変な部屋。普段食えない同期からこんな可愛い素直なことを言われただけで、まぁ九州くらい飛行機ならすぐだし行ってやらないこともないかと思ってしまう私はちょろいのか。それともホークスがずるいのか。まぁ仕方ない。使われずに捨てられるよりはマシだろう。
「了解。美味しいもつ用意してて」
そう返したら、すぐに既読はついた。人気のなさそうなエンデヴァーの畏まった了解というスタンプが送られてきて、会話はそこで終わった。ってかなんだこれ。なんで今年も過ごすことになっているのか。深く考えたら負けな気がする。
「こんなもんでいいの?」
2回目に訪れた部屋は、相変わらず整理整頓されていた。整理整頓されすぎて、どこかのモデルルームのようだ。この男、もしや事務所で寝泊まりしてるんじゃないだろうな、と頭に過ぎるもきっとそれを問い詰めたってはぐらかすだろうな、ってなんとなく思った。別にいいけど。
「キャベツ、ニラ、唐辛子、ニンニク、ごぼう、それにモツ。おおすごい完璧じゃない!」
しかもどれも新鮮な野菜ばかりだ。そしてモツもプリップリ。聞けば野菜もモツも商店街を歩いていたら肉屋やら野菜やらすべて貰ったとのこと。さすがは九州NO.1ヒーロー。地元人気半端ない。
「はい包丁」
「こら私任せにしない。ホークスも一緒にやる」
「……いや、マジであんまり使ったことないんだって」
「え?」
なんとなく居心地が悪そうに目を逸らされた。この男、こんな顔もできるのか。どことなく気まずそうで、触れてほしくなさそうな。初めて見る人間味溢れる表情にこちらが少し戸惑ってしまう。
「そっか。ならなおのこと一緒にやろう。ホークス器用だからすぐ使いこなせるよ」
「羽で切るのは?」
「衛生面に心配ありすぎだから、本当にまじでどうしようもなくなったときの最終手段にして」
「いやいやさすがに冗談だってわかってよ」
真新しい綺麗なシンクで野菜を洗って、包丁の持ち方から教えて、鍋の準備を2人でしていく。正直なんだか意外だった。ホークスとはプロになってから知り合ったけど、なんだかんだよく気が付くし、子どもの頃親の手伝いとかよくしていそうなイメージがあるのに。それか友達同士で鍋パだとかも開いていてもおかしくないキャラクターなのに。ああ、でも呼ばれても断りそうだなこの男。まあいいや。今横で包丁を使っているホークスはなんだか楽しそうだし。慣れないながらも均一に野菜を切っていく横顔は、どこか子どものようで、私の頬も思わず緩んでいく。迷ったけれど、プレゼントして良かった。
新品の土鍋にこれまたホークスが有名店から貰ってきたスープを煮立てて、野菜ともつを放り込んでいく。湯気がもくもくっと湧き上がっていく様をホークスは物珍しげに眺めている。なんだその顔。本当に子どもか。そんなホークスを横目に先程コンビニで調達した深い紙皿と割り箸をテーブルに並べていく。
ピラミッドのように積み上げられたニラを崩すと、あごだし醤油の香りが部屋一面に拡がった。あ、やばい。お腹すいてきた。
「あ、なに?取り分けまでやってくれんの?」
普段店だったらしないじゃん、とホークスが不思議そうにこちらを見てくる。
「家だからね。それに鍋奉行しろと言ったのはホークスじゃん」
改めて指摘された気恥ずかしさを隠しながら、取り分けた皿を目の前に差し出すと、そわそわする顔をするホークスが居た。今日は本当に顔の表情がよく変わることだ。
「食べてよか?」
「勿論」
いただきます、と2人で手をあわせて、ぷりっぷりのモツとくたくたに煮込んだキャベツに手をつける。あ、やばいこれ。美味しい。さすが本場。ほどよい弾力を持ちながらも蕩けるような柔らかさをモツにスープが染みて美味しい。そして何より温かいスープが身体に染み渡る。
「……ホークス?」
一口口に入れて何も言わないホークスに思わず声をかける。失敗した、なんてことはきっとないはずだ。でも何かを思案するように考え込むホークスは、さっきの子どものような表情はなりを潜めて、すっかり大人の顔になっていた。
「どしたの?やっぱ店で食べる方が美味しかったとか?」
「──あー、いや、そんなんじゃなくて」
言い辛そうに、そしてどこか照れくさそうにするホークスと目が合った。
「お前がよければ、また鍋付き合ってよ。その時までには、皿とか買い足しとくし」
美味しい、とかは味を賞賛する言葉は何もなかった。でもただ無言で箸を進め、おかわりをよそう姿は、外食でぺちゃくちゃ色んな事を話ながら食べるホークスとはどこか別のような人に見えて、まずいぞ。あれ、これはなんだか。
「……ちょっと好きかもしれない」
「何が?」
「あーっと……もつ鍋が。うん、だからいいよ。鍋。うん、私好きだし鍋。うんあ、野菜足すね」
ぐつぐつともう一度煮立てるため、鍋を強火に。次第に白い湯気はニンニクの香りと一緒にもくもくと。だめだめ。このテのいつ居なくなっても良い準備を常にしている男は好きになるとしんどいんだって。ちょっと普段見せない顔を見たからって単純すぎでしょう。そう。だから、もくもくもくもくとした湯気と一緒に煙に巻いてしまえ。
「……家でちゃんとした飯食うの、ほんと初めてなんだわ」
だからそういうことをそんな顔で言うなっての。もくもくとした湯気の向こう側で同い年なのにどこか幼い顔をしたホークスがこちらを見ている。
「こうやって飯食うの悪くないね。というかやっぱりお前が居ればそれでいいのかも」
「……え?」
無機質でどこか冷たかった部屋に、白い湯気が立ちこめていく。それはどこか温かくて、取り分けたスープをふーふーしながら口付けるホークスはどこか愛おしくて、去年と同じからかい文句に反応するのがワンテンポ遅れてしまった。
「──なんて勿論冗談よ?」
「っわかってるよ!」
残念ながらいつもの顔に戻ったホークスは、声を上げて笑い、私もそれに笑った。
使い終わったお皿はゴミ袋へ。油がたくさん浮いた鍋は綺麗に洗って、まったく使われていないキッチンの収納にしまった。
これが、ホークス22歳の誕生日。
◇
その男は、ある日突然空からやってきた。大きな赤い翼をはためかせ、敵退治で何事かと集まった周囲の一般人が「ちょっとあれ…!」と色めきだつ中、茶色いブーツが地面に足を付ける。警察によって張られたキープアウトはお構いなし。ちょっと待て。いきなり何しに来た。
「え、ちょっと何しに来たの。こっち今仕事中なんだけど!」
拘束したての敵を警察に引き渡しながら片手間に相手すると、突如空から来た男──ホークスは「え、つれなくない?」とこちらの都合をお構いなしに話しかけてきた。しかも缶コーヒーを飲みながら。
「え、いや、ほんと何しに来たの?!あんたこの時期いつも地元のテレビ引っ張りだこじゃないの?──あ、はい、お願いします。聴取には落ち着いたら立ち会いますので!」
「信頼している同期の顔を見にって理由じゃダメ?」
「暇か!」
思わず声を張り上げながら会話をすると、あとはこちらで対応しますので、と苦笑い気味に空気を読んだ警察の方がそう言ってくれた。ちょっと警察の人に気を遣わせるんじゃない。おまけにこの男が来たことでできたギャラリーの整備まで始めてくれてる。ああ、もうほんとに!
「あらら〜。人集まって来ちゃった?」
「誰のせいよ誰の」
ホークス〜っていう飛んできた女子高生の声援にひらひらと手を振り返せば、キャー!という黄色い声援。人好きする笑顔は相変わらずうさんくさい。だがその横顔はなんとなく疲れてみえて。
「……ちゃんとご飯食べてんの?」
「……は?」
「ああ、忘れて今のナシ!」
ダメだ。ヒーローなんてやってるとどうしてもお節介になってしまう。私はホークスの母親か!いや、もう顔を見たのがひさしぶりだからって本当に何をしているんだか。
少しの自己嫌悪に乾いた笑いをしていると、ホークスがふわっと笑った。そしてゆっくりと口が動いて、「ありがとう」と言われた気がした。気がしたというのは、それは声になって私に届かなかったわけで。だから、これは私の勘違いなのかもしれない。
「……メール返してなくてほんとごめん。悪いとは思ってる。マジでほんと立て込んでてさ〜」
「それは何ヶ月前の話してんのよ」
新しい食器買った。米買った。今度いつ来れそう?取材でそっち行く。時間取れる?怪我したって聞いた。具合は?
この男が22歳になってから、思い出したかのように時折私にメッセージが届くようになった。それは少しこちらが自惚れそうな甘さを孕んだものから、日常の他愛のないことまで。本当にどれも気まぐれのようなものだったけど、それを嬉しく思う私が居た事実は全力で目を背けなければと思っている。
そしてある時ぱたりとメールは返ってこなくなった。最後のメールはそうか。『今日』の話をしている時だった気がする。
「で、本当に何しに来たのよ。多忙な身なんでしょ?」
「ああ、うん。お前にこれ渡したくてさ〜」
ジャケットから取り出されたのは、真っ黒な装丁のハードカバー。悪趣味な文字で『異能解放戦線』と書いてある。げ。
「……おまえ、ほんと顔に思ってること出るね」
「航空会社だけじゃなくて、集瑛社もスポンサーについたわけ?」
「まさか?最近の俺のオススメ。時代に即してるからお前にも読んで欲しいんだわ」
受け取るまでどうやら帰る気はないようだ。溜息をつきながら受け取ると、「特にオススメ部分はマーカーね」と念押しされた。いったいメールが返ってこなかったこの期間一体どこで何をしていたのやら。少なくとも私の知っているホークスはこんな書籍に魅了されるタイプじゃなかったと思うのに。
「それと、これコーヒー。買い間違えたからあげる」
「あげるってこれ飲みかけじゃない」
渡されたのは苦い苦い言いながら、ホークスがたまに飲んでいたエンデヴァーが広告塔をしているコーヒー。本当にどういつもりだと睨みをきかせたら、1年前のあの日のホークスが顔を覗かせた。見ているこちらが切なくなるような、それでいてどこか泣きそうな。
「俺はもういらないからさ、捨てといてよ」
でもその顔が見えたのは一瞬で。すぐに元の顔に戻った。その表情がなんとも言えなくて、渡された缶コーヒーを思わず握りしめる。液体だけしか入っていない筈なのに、その缶からは鈍い音がした。
「じゃあ俺行くわ。ちゃんと本読んでね」
「ねえ、ホー…!!」
地面を勢いよく蹴って、赤い翼が目の前に広がる。まっすぐそのまま飛び上がって次第にその姿は小さくなる。
訳が、わからない。その場でパラパラとページをめくると、いくつか引かれたマーカー。
残されたコーヒーは、ほんとただの飲みさしで。開け口の広い缶コーヒーのキャップを開けると、案の定黒い液体のみで──。
「え?」
うっすら見えた銀色の物体に、思わず息をむ。慌てて誰も居ないところに行き、コーヒーとともに中身を取り出すと出てきたのは、銀色の鍵。
これが、なんの鍵なのかは言われなくても、なんとなくわかった。ホークスの、家の鍵だ。
『俺はもういらないからさ、捨てといてよ』
ふざけるな。ふざけるな。
それが何を意味するのか一瞬でわかってしまった。ようやく少しだけ、置いておいて困るものに興味を持ちだしたくせに、なんでまた切り捨てようとするのか。
ふざけるな。絶対に捨ててなんかやるものか。というか捨てるなら自分で捨てろ。絶対持っていていつかもう一度また鍋しながら突っ返してやる。そのためにも──。
渡された黒い本のページをゆっくり開いた。
これが、ホークス23歳の誕生日。
◇
「あーそんなこともありましたねぇ」
いやいや懐かしいわ、とまるで他人事のように語る男にどんな言葉を浴びせてやろうか。本当にこの野郎。
「私あの時ほんと腹立ったんだけど!」
聞いてんの?と波佐見焼の釉薬の美しい茶碗に炊きたてのご飯を盛ると、ごめん、と素直に謝られた。
「あの時は俺もいっぱいいっぱいだったんだって」
私の横に赤い翼が少し散らかったキッチンで横に並ぶ。できたての味噌汁をお玉でかき混ぜながら赤褐色の椀にホークスがよそっていく。
「まあ、ほらこうやって今は無事合鍵になってる訳だし」
「珈琲の匂いが染みついたね」
「もし死んだら死んだでお前の中にずっと残り続けるかなぁって」
「縁起でもないこと言わないで……ってかそんなこと思ってたの」
「さあどうだろーねー?」
ケラケラと笑いながらよそいたての味噌汁とご飯を持って食卓に運んでいく。背中の羽がぴょんぴょんと楽しそうに揺れている。まぁ今のホークスが楽しいなら私は私でいいんだけども。
揚げたてのから揚げを大皿キャベツの上にざっくりと盛るとカウンター越しにホークスが受け取ってくれた。うん、まあ、急いで帰って2人で作ったにはなかなか上出来でしょう。
「あ、そういや味噌切れそうかも。明日帰り買ってこれる?」
「了解。多分明日テレビ取材だけだから、早く終わる。他なんか必要なものとかある?」
「んー特には。思いついたらまた連絡する」
頂きます、と2人で手をあわせて食卓に並んだご飯に手をつける。
まさかなんだかんだ4年連続で誕生日に会うことになるとは思わなかった。そして2人でご飯を作り、こうやって毎日一緒に食べるようになるとも。
「味噌汁どう?」
「んー。だし入れすぎかも?これはこれで好きだけど」
「あー。やっぱ塩梅難しいわ。お前が作った方が俺好きだな」
ホークスの作った少し塩っ辛い味噌汁を啜っていると、ピンポーンとインターホンが部屋に鳴り響いた。何事かと顔をあげれば、私より先にホークスが玄関モニターへと足を運ぶ。
「なに?」
「なんか荷物って。ちょっと見てくるから先食べてて」
玄関に向かう赤い翼を見送りながら、私は部屋を見渡した。いつの間にか増えた食器棚。ファンからの差し入れのぬいぐるみや手紙。いつも少し散らかっているキッチンと、汚れたお皿が少し溜まっているシンク。
いつの間にかこの部屋には無駄なものが溢れてきた。しかしながら変な話、少し散らかりつつあるこの部屋は、初めて来たときよりもホークスの匂いがする部屋になりつつあった。うん、嫌いじゃない。その人の色がついている、生きている部屋だ。
「ごめん、ちょっとこっち来て──」
「なにどうしたの──ってわっ!!?」
ホークスに呼ばれて、玄関に向かうと視界に勢いよくオレンジと白にピンク、それに色鮮やかなグリーンが飛び込んできた。
「え、なにお花?」
やや押しつけられ気味に手渡されたのはオレンジローズをメインに使った花束。生花特有の甘い香りが鼻を燻る。ダメだ。目にしただけで心が弾んでしまうし、自然と口元は緩んでしまう。
「すごい可愛い。これ、誰かからのプレゼント?」
ブーケには特にギフトカードらしきものは何もない。ホークスのファンか、それとも日頃からお世話になっている会長からだろうか。そう思って、ホークスに聞いてみたものの、「あー」とか「うー」だとかでまともな答えは返ってこない。
「ホークス?」
名を呼ぶとそっぽを向いたままこちらを見ようともしない。もしや。なんとなく思い当たってその横顔を見るとじわじわと耳が赤くなっていくのが見えた。
「……察して」
ややぶっきらぼうに返された言葉に思わず頬が緩む。意外。こういうのは存外スマートにやる男だと思ってたのに。素直にありがとうと礼を言うと、照れくさそうにまた顔を背けられた。
「今日、誕生日なのはホークスなのに」
「あーあれ。これからもよろしくって意味も込めてデス」
「そっか」
もういちど貰いたての花束に顔を埋めると、甘く、優しい匂いがした。いつ出て行っても問題のない部屋。捨てればすぐに片付く部屋。そんな無色透明だった部屋に優しい色が色づいてきた。この男は気付いているのだろうか。花なんて食材以上に生きていく上で不必要なものなのに。それがこの部屋に加わったことが嬉しくて、これでもか、というくらいに顔を綻ばせると、「大袈裟」と笑われた。ふん、だ。全力で生き急いで、死に急いでいた男にはきっとこの気持ちはわかるまい。
「あ、そういやこの家花瓶あったけ?」
「私が知る限りはないと思う。ひとまず使ってない鍋にでもさしておくね」
「わー大胆」
私のくだらない提案にホークスが声をあげて笑う。大きな食卓の真ん中に大きな鍋。その中には大胆に飾られた色とりどりの花。あまりにも風情がなくてあまりにも生活感しかない。でもその生活感が私の中で幸せになっているのだから、本当に人間ってわからない。
「ホークス」
「ん?」
「お誕生日、おめでとう」
4回目にしてようやく言えた一言を口にすると、ホークスは一度大きな瞬きをしてから、そして笑った。
「これからも俺はお前が側に居てくれればそれでよかよ」
その一言があまりにも優しくて、あまりにも愛おしい。どうかこれからもくだらないことを2人で笑えますように。そんな祈りを込めて、裏表のない笑顔を見せるホークスに抱きついた。
これがホークス、24回目の誕生日。