遅咲きの月来香

耳障りのいいその声が好きだと思った。
初めに好きになったのはきっと声だったと思う。自分の頭よりも遥上から聞こえてくる、心臓を揺さぶるようなその低い声に耳を奪われた。耳を奪われて、血色の悪い、いつ寝てるのと言わんばかりの、その顔に目を奪われて、気づけば心も奪われていた。性格や振る舞いじゃなく、見た目から好きになった、だなんて、なんとも俗っぽいと言われるかもしれないが、仕方あるまい。だって、私は海賊だもの。聖人君子がお好みなら、海軍の英雄あたりに惹かれてきっと海兵をやっている。でも、残念ながら彼には全然惹かれなかった。当人たちと知り合ったのは同じ時期だというのに、一体全体悪い方に惹かれてしまったのはどういうことか。スリルなんて求めるつもりは全然なかったのに、落ちてしまったものはもうどうしようもない。我らのポーラータングよろしく、浮くも沈むもすべてはキャプテンのさじ加減ひとつなのだ。

『……少し、外す』

大好きなその声で、ほら、いとも簡単に沈められてしまう。
砂埃と硝煙と銃撃音と。
さっきまではそんな無粋なものばかりに囲まれていたけれども、いまはちがう。
淡い桃色の花びらが舞い落ちて、花の都と言うにふさわしくなったこの場所で、『悪魔の子』なんて物騒な二つ名を持つ女性がそっと姿を消した。そして、その後を追うように我らが船長も愛刀片手に立ち上がる。まぁ声をかけてくれるようになっただけマシか。麦わらの一声ですでに宴となっているというのに、こんな時にでも理解ある部下ムーブをかます自分が憎い。いろんなものを飲み込んで、「了解」と口にしたら、遠慮なんてあるわけなかった。艶やかな黒髪をどこか子供のように追うキャプテンの姿はあっという間に見えなくなった。

「まぁ別にいいんだけど……」

口から出る言葉は簡単に嘘がでてきた。けれども、この騒がしい夜には誰も届かないから丁度いい。積年の支配から解放されたこの国は、見渡す限りどこもかしこもお祭り騒ぎだ。久しぶりにキャプテンとゆっくり話ができる、と期待していたのがあったからかもしれない。もしくは戦闘の疲れからか。この華やかな場に相応しくないどろっとしたものが溢れ出てきそうになって、慌てて持っていた樽を強引に傾けた。どうしよう、くそ苦い。

「まっずそうに酒飲むなーおまえ!」
「え?わっ……っわえ!」
「おいだいじょうぶか」

完全に油断していた。
誰もこちらなんか見ていない。そう高を括っていたら、目の前に麦わら帽子が飛び込んできた。え、待っていつの間に。気配なんてなかった、というか、さっきまであの宴の中心にいたのに。驚きのあまり手元の樽をホップさせてしまい、麦わらはそんな私を珍しそうに見ていた。

「酒、好きじゃねェなのか?」
「好きじゃないというか、まだ飲み、慣れてなくて……」
「ふーん」

うちのナミと大違いだな、なんて仲間のことを嬉しそうに語りながら、麦わらは私の前にしゃがみ込む。待って。ここに座るのか。麦わらと話すのはなにもはじめてではないけれど、キャプテンを通さずに話すのは何気に初めてかもしれない。少なくとも、こうして二人で飲む距離感ではないはず、とまで考えて思考を放棄した。ちがう。麦わらはそういうなんていうか、私の価値観で推し量れる人間じゃないんだ。ええと、つまり、だから、なんというか、なんでここにいるんだろうとか、そういうのは考えるだけ、無駄だ。
私のことを気にしてるのか気にしていないのかわからないけど、持ってきた焼き鳥を美味しそうにかじりついている。まあこういう人間だからキャプテンも同盟に選んだのかもしれないんだけれど。

「そういや、トラ男のやつどこ行ったんだ?さっきまで居ただろここに」
「ああ、ええと、すこし外すっていって、どこかいっちゃった」
「ほーん。一緒にいかなかったのか?」
「え?」
「トラ男んとこ。だって、おまえトラ男のこと大好きじゃん」
「……ん?」

ししっと歯を見せて笑われて、世間を賑わす悪名とは正反対の子どもの笑顔が眼前に広がった。悪意も揶揄う気も全くない事実として言われた言葉に、堪らず反応が遅れた。そして何を言われたかを理解して、さっと頬に赤みが差す。コンマ数秒次の言葉を見つけられず固まる私に、「どした?なんか固まってんな?」と物珍しそうに見てくるこの同盟相手の船長に一体なんと言うのが正解だろうか。

「え……まあ、それは、うん、そうなんだけど」
「おう」
「なんというか……邪魔しちゃいけないというか……上手く言えないんだけど、なんというか」

あ、だめだ。これ以上は無理だ。言葉が詰まる。
さっき強引にせき止めたはずのモノがあふれ出てきそうになって、気付かれない程度に小さく深呼吸をした。「ジャマ?」と心底理解できない顔でオウム返ししてくる麦わらになんと答えようか。大切な人の恩人たちに不義理な態度は取りたくないというのに、口を開けばこんなキラキラした年下の男の子に聞かせられないどろっどろの醜い本音がこぼれ出てきてしまいそうで、これは、本当に困った。

「ええと、そのね、」
「オイこらくそゴム、所望の肉だ。食え」
「サンジ!」
「で、おまえがさっき食ってたその肉、あっちでもうなくなりそうだった」
「なんだと!?」

その言葉を最後に麦わら帽子が勢いよく遠くに消えていく。
見事だった。
私の下手くそすぎる二の句も、食欲旺盛すぎる少年船長の興味も、あっという間に一瞬にして掻っ攫われた。あまりの見事すぎる手際に呆けていたら、いつの間にか、かしずかれていたりなんかして、麦わらとは違う意味で理解が追い付かない。

「うちの船長が騒がせたね」

よろしければお詫びにどうぞ、の言葉と共に目の前に飛び込んできたのは、温かいお蕎麦と小さなおにぎり。お蕎麦から漂うおだしのいい匂いにお腹は空いていなかったはずなのに、いつの間にかおそばを食べるスペースが胃にできあがってしまっている。あ、だめだ。この匂いには負けた。
いただきます、と手を合わせると、身体はなんとも正直だ。さっきまで苦い苦いと喚いていた舌が、あっという間に中和されて、もっと、もっと、とうるさくなっている。

「……そっかぁこれは仕方ないや。花の都で話題になるわけだ。すごく美味しい」

聞かせるつもりもなくポツリと呟いてしまった一言に、黒足はさっきまでのキザったらしい笑顔ではなく、子どものような顔になって「それはよかった」と頬をほころばせた。ほんとこの一味。船長筆頭にこんなのばっか。だから余計にこちらは悔しくなってしまうというのに。

「都にいる間、君がロビンちゃんと一緒に食べに来てくれるの待ってたんだけど」
「キャプテン命令でね。必要以上に慣れあうなって言われてたから」
「船長命令、ね」
「そ。キャプテン命令」

黒足の少し含んだような言い方に私ははにかむしかなかった。
彼の言いたいことはわかる。私と彼の目線の先には、ゴッドウソップとうちのペンギンがこちらにも聞こえるような大声で笑いあっているし、ベポにいたっては泥棒猫にモフモフいいようにされている。
それに、なにより言い出しっぺのキャプテンは──。

「……あー。おたくの船長とうちの考古学者なら気にすることはないと思うよ」
「うん。知ってる」

そういうのじゃないから余計悔しい、と言えば、黒足はなんて言うだろうか。
温かいお蕎麦をすする私を、黒足はタバコを燻らすふりをしながら、話を聞いてくれている。さっきのあまりのタイミングの良さから、きっと麦わらと私の話も聞こえていたと思う。たかだか同盟相手のクルー一人、放っておけばいいものの、こうやって静かに話を聞いてくれるのは、噂の見聞色の覇気のせいか、それとも彼本来の性格のよさのおかげか。そんなの考えるまでもなく、わかりきっている。きっと彼は私がこんな顔をしている限り、この場を去ろうとしないだろう。
やっぱりだめだ。彼らのまっすぐさに触れていると、色々隠しているのが、不義理じゃないかと思えてしまう。

「…ごめん。それ、吸ってる間だけでいいから、ちょっと酒の肴にもならないような話聞いてもらっていい?」
「もちろん。レディのためなら何本でも吸うけど?」
「ありがと」

ゆっくりと吐き出された煙が提灯で灯った明かりに消えていく。それを合図に、私も口を開いた。


「私ね、ローが自分のやりたいことをやろうとしてくれて嬉しいんだ」

ひさしぶりに彼の本名を口にした。会ったばかりの時は、随分と気安くその名を呼んでいたはずなのに、一緒にいる間に、呼ぶことが憚れるようになってしまった。うちのクルー達がキャプテン大好き信者というのもあるからそれの影響もあるかもだけど、一番はローの態度というか、スタンスのせいだと思う。
ちらりと黒足を見ると、苦虫を噛み潰したような表情でタバコを加えていた。なんとも博愛主義のフェミニストな彼らしくて、思わず笑ってしまった。こんなたかだか数ヶ月過ごした女に嫉妬もないだろうに。ほんと、海賊らしからぬ人達だ。

「それは愛されてるキャプテンだこって!」
「ごめんね、こんな話聞かせちゃって……でもそれとは別に、そういうことができるようになったきっかけが、私たちじゃないのがほんとうに、ほんとうに、ほんとうに悔しくて、あなたたち麦わらの一味全員に嫉妬しているの」

天夜叉を討つと言われて。
なのに、おまえたちは、ゾウで待てなんて言われて。それで勝手に行こうとするローにビブルカードを無理やり押し付けて。
一緒に戦いたいなんて言えるほど自分の強さに自惚れることもできなくて。
だから信じて待とうと決めたのに。
再度会えたら会えたで、麦わらやユースタスと子供みたいな意地の張り合いのやり取りを見せられたり、石版に刻まれた私が到底読めそうにない文字を好奇心丸出しに眺めてるのを見たりして、感情がずっとぐちゃぐちゃだ。
憑き物が取れた顔をしていて嬉しい。
でも、どうしてその顔をさせたのが私じゃないんだろう。
ほんと我ながら立派な海賊になったものだ。見かけはクルーとしての立場を守ろうとしているくせに、中身は驚くほど貪欲だ。品行方正とは、ほんと、程遠い。

「泥棒猫とかニコロビンにだけ嫉妬するほど盲目になれたらよかったんだけどね。まさか自分より年下の男の子や、よくわかんないロボットや可愛い船医さんにまで嫉妬する日が来るなんて思わなかった。もちろん黒足あなたにも」
「レディからの熱い視線は大歓迎だけど、それはなんというかまあ……」

再度微妙な表情をする黒足に、「ほんとごめん、こんな話聞かせて」と呟くと、「それくらいで君が笑顔になるのならおれはいくらでも」と笑顔で返ってくるものだから恐れ入る。なんて優しすぎる男なんだろう。

「しっかし、まあ」

そこで今までで一番、長い息が吐き出された。立ち上っていく煙が祭りの夜に消えていくのは一瞬で、提灯の温かい光と混じってわからなくなる。

「ローの奴、腹立つくらいに愛されてるね」

茶化すわけでもなく、彼にしては珍しく呟くように紡がれた言葉だった。騒がしい夜空を眺めるように煙草をふかされているからその表情は読めない。私のほうから見えるのは夜に映える金髪と無精ひげだけ。その空気が気になって声を掛けようと思った矢先、どこからともなく聞こえてきた「サンジ!やっぱりこの肉うめえな!!」とよく通る声。悪態をつきながらもどこか楽しそうに少年船長相手に声を張り上げる姿をみると、さっきのは単なる杞憂だったのだなと思った。

「っとにあいつ、レディとの貴重な時間を……」
「黒足もほんと愛されてるじゃない」
「あ、君から?」
「残念ながら。心臓も心もずっと前にローにとっくに奪われてるの」
「すごい殺し文句だね」
「なんせ『死の外科医』ですから」

そう言うとなにか心当たりがあったのか、確かに、と黒足は笑った。
これは、本当に言葉通りの意味だ。何かの際に異様に高くなった脈拍をおかしいだなんて指摘されて、直接心臓を触れられて、脈を数えられて、そのせいでさらに速くなって、理解に苦しむ顔をされたなんて、海に嫌われた悪魔たちが多くいるこの世界でも珍しい体験をしたと思う。あの時のローの顔はずっと覚えている。一瞬まさか、みたいな顔をしたくせに、すぐありえない、という顔をして。上がった体温も、脈拍数も医者のくせに見て見ないフリをしされたから。だからーー。
その時から、私は多くを望まないようにただのクルーであろうと心がけたし、ロー、いやキャプテンはーー。

「……なんだかんだ片想い歴長いからね。キャプテンとどうなりたいとかそういうのはあまりないけど、あなたたち一味の前であんな気が抜けた顔をされたら、いろんな欲が出ちゃったのよ。キャプテンに言われた通り、ただ帰りを待っているしかできなかったのにね」
「……帰る場所があるっていうのはいい事だと思うけどね」
「そうゆうもの?」
「まぁ一般論だけど」
「そう思ってくれてたら、それはすごく嬉しいんだけどなぁ」

透明度の高い蕎麦つゆも綺麗に飲み干して、手を合わせる。黒足のおかげで頭の中はしっかり整理できた。結局のところ、私は、あの人に何かされたいとか、そういうのではなくて。

「……自分がすごく愛されているんだという自覚とかも持ってくれていたらもっと嬉しいんだけど」

困ったことに、最後はそれに行き着いてしまう。ローが私のことどう思ってるかは知らない。でも、矛盾かもしれないけれども、自分の同盟相手も嫉妬対象になるくらい愛されてるんだと知ってほしい。知って、自覚して、少しでも、やりたい事をやって、生きてほしい、だなんて。そして、その行く末をなるべく近くで見たい、だなんて。だめだなぁ。結局のところ、やっぱり私は強欲だし、頭の中がまたぐちゃぐちゃになってきた。
ちらりと黒足を鑑みると、ずっとくゆらせてくれていた煙草の火を地面に押し付けていた。その行為に、あ、と思ったのは、一瞬だった。

「なに油を売っている」

不機嫌そうな馴染みのある声が聞こえてきて、顔を上げる。その後ろを美人考古学者が少し遅れて歩いてきて、面白いものを見つけたようにくすくすと笑いながら私とキャプテンを眺めていた。
待って、さっきの、キャプテンに聞こえてないよね、と慌てても、もう遅い。ニコ・ロビンはずっとその美しい顔で微笑みながら私を見てくるし、キャプテンはずっと私と黒足を睨んでいる。こんなの聞こえていないはずが、ない。
驚きで固まる私を他所に黒足はその長い脚を放っぽりだして、すくっと立ち上がった。そして、私のほうに顔を向け『だいじょうぶ』と声にはならない声と、笑顔を向けてくれた。そして、「ロビンちゃん」とニコ・ロビンの背中を押して去っていった。
知ってほしいとは、言った。言ったけれども。

「同盟は終わりだ。変に馴れ合うな、と言わなかったか」

ゴッドウソップと一緒に飲んで、仲良く潰れているペンギンも見えているはずなのに、それは見えていないフリか。いや、そんなことより、さっきのも聞こえなかったフリか。
黒足が腰掛けていた岩よりも近くに座られて、声が近くでより聞こえる。

「お蕎麦貰って、すこし話してただけだよ。キャプテンだってむこうの船にのってた時食事くらいしてたでしょ」

どういう反応が返ってくるかわからなくて、目深に帽子を被ったキャプテンの顔を覗き込むと、「近い」と文句を言われた。近づいてきたのは自分の癖なのに、なんと理不尽なことだろう。
宴はまだまだたけなわで、騒がしいはずなのに、私とキャプテンのいるこの場所だけはすごく静かに感じた。キャプテンがなにか能力を使っているのかなと思ったけど、そんなことはなかった。自分の指先が冷たくなってる。ああ、情けない。緊張しているのか。情けない。でも。

「……ねえ、さっきの、聞こえてた?」
「クルーの声を聞き逃す船長がどこに居る」

恐る恐る聞いた質問には予想外にもすぐ返ってきた。でもその答えは強欲な私の望みを壊すには十分で。
そっか。クルーか。まぁ分かっていたから別にいいんだけど、やっぱり少しだけ寂しく感じるのは、仕方ないことだと思う。なら私のとる行動はひとつだ。いつもみたいに理解ある部下のふりをすればいいだけで。

「……大好きなキャプテンに気づいて貰えたならこれ以上の幸せはないですね」
「……うちのクルーの中でもおまえの声はいつも大きい」
「それはうるさくてすみま」
「意識して追い出さないと、いつも勝手に入ってくる。ほんとうに迷惑だ」

酷い言われようだ。一言くらい反論しようと思ったが、そうすることはできなかった。だって、続く言葉はなんというか。

「どれだけおれがおまえを意識の外に追い出してると思っている。ほんとうに不愉快でたまらない」
「……なにそれ」
「そのままの意味だ。好きなように受け取れ」

その割にはどこか楽しそうなのはなんなのだろうか。ひどい男。人がせっかく区切りをつけようとしているのに、諦めることさえさせてくれないのか。ああ。もう。

「ロー」

ひさしぶりに名前を口にすると、ローは少しだけ目を見開いた。やられっぱなしは悔しくて意趣返しにもう一度顔を覗き込むと、また「近い」と文句を言われた。桜がはらりと舞い落ちる。月夜で見た桜は、月明かりからか、白く見えて、とても綺麗で、なんだか泣きたくなった。
静かで優しい夜だった。



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