すべての無機質に愛をこめて

 寝れない。
 枕元のスマートフォンを見ると2時を過ぎたところ。寝られないときにブルーライトを見るのはよくないって何かの漫画で読んだ気がするけども、そうも言っていられない。寝れないと意識すれば意識するほど頭は冴えてくるし、明日からのことを考え始めたりなんかしちゃったらもうダメ。どんどん覚醒へと向かってしまって、ミッナイ先生にお願いしたいレベルの目の冴え方だ。
 さっきまで活発だった女子だけのグループトークも今は静か。私が最後に送ったメッセージに誰も既読はつかない。きっと皆寝たのか。寂しい反面少し羨ましい。いつもならスマホで漫画を読んだり、SNSをぼんやり眺めたりしてるけれど、今はとてもそんな気分になれなかった。
 
「確か寝れないときはホットミルクか梅昆布茶……」
 
 多少知識に偏りがあるのは自覚している。でも、ひとりで部屋に居るのはなんとなく我慢ならなかった。こんな時間まで起きているなんてバレたら最後の最後に相澤先生にお叱りを受けそうだけど、そうも言ってられない。少しだけ飲んでリラックスできたらすぐ部屋に戻る。うん、そうしよう。そうと決まれば話は早い。ベッドサイドに置いてある部屋の鍵を手にして、ドアへと急ぐ。
 だって、仕方ないのだ。変に胸がそわそわする言い訳は山のようにある。誰に聞かせるものでもないくだらないものだけど。
 だって、仕方ないのだ。今日この部屋で、この学校で過ごすのが最後の日なのだから。
 明日私はこの学校を卒業するのだから。
 
 
 
「誰かいるー……?」
 
 照明が落とされて真っ暗な共有スペースからは当たり前だが返事は返ってこない。昨夜のパーティーの残骸がちらほらと目に入るけど、クラスメイトの気配はない。やっぱり皆寝ているのか。キッチンの照明だけぱちりと点けたその時だった。
 
「なんで起きてんだよてめぇ」
 
 疑問というよりは苦情に近い物言いに、思わずパッと振り返る。声が聞こえてきた入り口は依然暗いまま。でも暗闇の中で鈍く光る髪色と決して上品でない話し方で誰かはすぐわかった。
 
「あ。爆豪も起きてたんだ……?」
 
 もしかして眠れないとか、と続けようとして固まった。私の居るキッチンに向かって歩いてきた爆豪の姿は、上下黒のジャージ。少しだけ汗をかいているからどこか走ってきたのだろうか。緑谷や切島が寮の裏庭でトレーニングしているのはよく見かけるけど、爆豪のこういう姿を見るのは3年間ともにしていて何気に初めてだ。
 
「……じろじろ見んなルーティンこなしてただけだわ。おらそこ退け」
「あ、ごめん」
 
 完全に進路妨害していた私を押し退け、冷蔵庫に常備してあるプロティン飲料を爆豪は取り出した。あ、そうだ。
 
「ね、ついでに牛乳出して」
「牛乳だあ?」
 
 見事に訝しむような視線が飛んできた。でもこんなのに怯んでいたら爆豪勝己のクラスメイトなんてやってられない。
 
「あーなんか寝れなくてさ」
「ガキかてめぇは」
「ヤオモモが用意してくれてるストックに梅昆布茶ないか探したんだけどさすがにもう整理したみたいでなくてさ」
「ババアかてめぇは」
「残念ながら18歳です」
「知っとるわ」
「だよね」
 
 どうやら牛乳を出してくれる気はないらしい。仕方ない。自分で出すか。一列に並んでいるマグから自分のものを取ろうとすると、私が手を伸ばすより先に、斜め上から大きな角ばった手がまっすぐ私の白いマグを奪っていった。そしてふたつ横のAJIFRYブランドの黒いマグも取られる。あれは確か爆豪の。不思議そうにマグカップを目で追っていたら、舌打ちが返事代わりに返ってきた。
 
「……走ってきて目ぇ冴えてんだよ。ちょっと付き合えや」
 
 深夜2時のキッチンにチチチ、とガスコンロが点火する。へ? だとか、なんで? だとかそんな言葉が出そうになって、慌てて口を抑えた。きっとそんな言葉を少しでも出してしまったらこの不可解で不思議な夜はなくなってしまう気がした。
 爆豪のこの行動に深い意味はないと思う。ただ3年間共に生活したクラスメイトへのただの気まぐれ。高校最後の夜だ。きっと傍若無人なようにみえて意外と繊細なこの男もなんかセンチメンタルになったに違いない。
 慣れた手つきでお湯を沸かしはじめた爆豪に「なんか手伝う?」と声をかけたら、ぶっきらぼうにソファを顎で差された。
 
「いいから座ってろ」
 
 ……どうしたの? センチメンタルになりすぎじゃない? 優しすぎて気持ち悪いよ?
 そんな言葉が咄嗟に浮かんできたけれど、お口は速やかにチャックした。本当によくわからないけど、こんなセンチメンタルな夜を楽しまないのは勿体ない。気持ち悪さより好奇心に負けた私は、何もはじまらないであろう不思議な夜へと足を踏み入れた。
 
「おら」
「あ、ありがと」
 
「お」と「ほ」の間の声で差し出された白いマグには、真っ黒い液体が注がれていた。ホットミルクなんて甘ったるい柔らかいものじゃなくて、香ばしい匂いが鼻をくすぐるコーヒー。勿論砂糖もミルクもなし。なんてウェルカムカフェイン。お湯を沸かしていた時点でそんな予感はしていたけれども、寝たいと言っていた私の意見なんて見事にお構いなしのチョイスにらしすぎて笑ってしまう。コーヒー、好きだから全然いいんだけど。
 
「あ、美味しい」
「きめぇ世辞なら今すぐやめろ」
「そこで嘘言っても仕方ないじゃん。爆豪コーヒー派だったの?」
「……ジーニストのおっさんが煩くて気付いたら覚えてたんだよ」
 
 ひとり掛けのソファで私と向かい合って座る爆豪はいつになくほんとどうしたってくらい素直だ。すんなり会話ができる。怒声も罵声も飛んでこない。これは、なんだろう。気持ち悪い、というかむず痒い。なんというか、とても失礼なお話だけれども、実は既に私は寝ていて、これは夢だと言われたほうがよっぽど現実味がある。
 そんな失礼なことを考えながらコーヒーの二口目を嗜むも、バランスの取れた苦味と酸味がやってくる。うん、やっぱり信じられないけど夢じゃない。そして美味しい。望んでいたものとは違う温かさが身体に染みわたって、緊張が少しほぐれていくのがわかった。こんなことならもっと早く在学中に爆豪のコーヒーを賞味して、淹れ方を伝授してもらうんだった。実に勿体ないことをした。
 二人でコーヒーを啜ることはや5分。いつもは騒がしい共有スペースに落ちるのはただただ沈黙で。時折アクセントに時計の音に換気扇の回る音。目の前の男はスマホを弄ることをせずに、ひとりがけソファに片膝を立てて静かにコーヒーを啜っている。お行儀がいいのか悪いのか。いつも耳を割くような爆破音を立てている男からは想像できないくらいの、静かな姿にマグカップからこっそり視線を持ち上げる。ああ、くそ。改めて、この男、顔がいい。
 
『卒業式前夜にクラスメイトと深夜にコーヒーを二人だけで飲んでいる』
 
 なんだろうなこの状況。言葉にするとロマンチックな匂いがしないでもないのだけれど、とてもじゃないけれど、何かはじまる気はしなかった。
 だって、私と爆豪だ。
 今まで『クラスメイト』という関係以上に関わりのなかった私と爆豪だ。席が近ければ話すし、こうやって他愛ない雑談くらいはよくした。これが漫画やドラマならきっと何かがはじまったのかもだろうけど、なんというかその。
 ────3年間一度も、目の前の男から変なニックネームはおろか名前を呼ばれたことさえないというのに、一体何を期待しろというのだろうか。
 
「……なんか喋れや」
 
 静かな夜にぽつりと言葉が落とされた。
 少し苦味の残るマグカップから顔をあげると、不機嫌そうというか、どこか表情が固いガーネットレッド。瞳の色が多種多様なこの個性社会では決して珍しいことではないのだけど、本人の意志の強さを反映したようなこの赤色はとても綺麗だと思っている。入学式の時、その赤い瞳に魅入られて、なんだてめぇと不機嫌に怒られたのが懐かしい。
 あれから三年。
 こんなことを口にしたら気持ち悪がられそうだけど、その瞳はどんどん強さを増して、真正面から見つめられたら逃げたくなるくらい強くて、格好いいだなんて思うようになってしまって、クラスメイト以上の感情をうっかり持つようになってしまって。
 
 近づけるわけなんかないから、少し軽口を叩きあえるだけで満足だったのに、こんないかにもな夜に二人でコーヒー飲むことになるなんてどんなジャックポットだろう。気を抜けばだらしなくさがってしまいそうな口元を隠して、まだ熱を持ったコーヒーを飲み込んだ。
 期待は、しちゃだめだけど、これくらいは許してほしい。
 
「喋れって言ったってそんな唐突な……あ、そだ。なら、爆豪いくつか質問していい?」
「は?」
「こうやって二人で話す時間も最初で最後になるだろうしさ、未来のトップヒーロー様の話、いろいろ聞かせてよ」
 
 テーブルの上にまだ半分は残るマグカップを置くと、マグカップの重みで少しコーヒーに波紋が生まれた。ほんの少しだけ身を乗り出して、爆豪との距離を詰めてみる。ソファと私の部屋着の擦れる音。私と爆豪以外誰もいない共有スペースではそんな些細な音さえも響いて、眠れなくて高揚しているせいか、すごくドキドキした。
 そんな私に爆豪は一瞬だけ、ぎょっとして、静かに自分のマグをちょっとだけ距離を空けて置いた。黒いマグカップの中には何もない。緊張で喉が渇いていたわけでもあるまいし、飲むの早いな。
 
「……質問もねぇのに答えられるか」
「あ、それはオッケーってこと?」
「3時には寝る」
 
 というとあと少しはこの空間に付き合ってくれるのか。普段ならそんなこと言わずに、速攻で寝るだろうから、やっぱり爆豪も私と同じでどこかセンチメンタルになっている気がする。それならちょっとだけ嬉しい。
 ええと、何を聞こうか。何を。
 爆豪に聞いてみたいことは山ほどある。やっぱりすぐ独立考えてるの? だとか、ずっと日本に居るつもりなんてないんでしょう? だとか、雄英の同窓会とかも面倒くさがらず来てよ、だとか、グループトーク勝手に抜けたりしないでよ、だとか、ああ違う。これは質問じゃなくて要望で。私は知らなかったけど、爆豪彼女とか居るの? だとか。ああ、でもこれはだめだ。答えがイエスでもノーでも会話を続ける自信がない。そうじゃなくて、そうじゃなくて、ええと。ええと。
 頭の中でチリチリとずっと気になっていたことがこびりついて離れない。
 
「……ばくごうさ、わたしの名前、知ってる?」
「あ?」
 
 ああもうやってしまった。オブラートなく口からというより脳から直接飛び出してしまった言葉に内心泣きそうになる。
 このタイミングでマグカップをテーブルに置くんじゃなかった。顔が隠せない。大丈夫かな。心臓がバクバクうるさいけれど、ちゃんといつもみたいな素知らぬ顔を私は作れているかな。実は真摯に人に向き合う爆豪がこのテの感情を無碍にしたりしないだろうけど、今このタイミングでバレるのは嫌だ。高校最後の思い出を苦い思い出で締めくくりたくない私のエゴそのものだけど。
 ああ、もう本当に撤回したい。
 一年の頃ならともかく、恐ろしく頭の良いこの男が、三年も自分の名前と一緒に名簿に並んでいる名前という記号を覚えていない筈がない。だからこれは、その、「名前くらい呼んでよ」みたいな遠回しなアレにも聞こえるし、純粋に爆豪自身を馬鹿にしているようにも聞こえて。違う、そんなんじゃなくて。そんなんじゃなくて。一度くらい呼ばれたかったとかは本音言えばめちゃくちゃあるけど、その、そんなんじゃなくて!
 いっそ、1年の時みたく、ふざけてんのかてめえだなんて言って、派手に爆破してくれないかな。何もないというのはわかっているのに、多分こんな機会もうないからとかいう、この変な夜に飲み込まれた。
 コーヒーで温まったはずの指先は少し冷たくなってしまって、誤魔化すようにソファの下でぎゅっと握りしめた。
 
「……名前」
「え?」
「苗字、 名前」
 
 静かな夜に、私の鼓動がうるさくなった。
 まっすぐに目を逸らさずに、しっかりと一語一語発声された言葉は紛れもなく私の名前だった。
 ふざけんなって爆破してくれたほうが楽だったのに、なんでそんな顔で、爆豪は私の名前を呼ぶのだろう。そんな大真面目な、前しか見ていないような強い瞳で。
 3年間過ごしたんだから当たり前だ、名前なんてただの記号、この男が情報として知らないはずない、なんて理性的な答えが導かれる一方で、頭の中は変な期待で一杯だ。たったこれだけのことに特別な意味を求めるなんて自惚れがすぎるというのに。
 夜だから、夜じゃなくて深夜だから、全然眠くないけど、睡魔に襲われているはずの脳はきっと疲れていて、働かなくなっているんだ、きっと。だからこんな自惚れをしてしまうんだ。3年間名前を呼ばれなかったただのモブであったことを忘れてはならないと言うのに。
 
「人の記憶力舐めんな……ばぁか」
 
 本当に私はどうかしている。
 罵詈雑言のはずのこの言葉にもどこか柔らかい甘い温度を感じてしまった。顔に熱が集中して、まっすぐ見つめ返すことができなくなった。コーヒーを飲んで潤っていたはずの喉はカラカラに乾いて、慌ててマグに手を伸ばす。
 何の変哲もない私の白いマグカップ。
 フォルムが気に入って買ったのだけれど、まさかの尾白と丸かぶりで。使っている当人以外はよく間違えられたっけ。ってあれ。さっきこのコーヒーを淹れてくれた時、爆豪は、確か。迷、わ、……ず。
 顔をあげると射抜くようなガーネットレッド。
 どうしよう。最悪を考えて動きたいのに、頭の中では夢物語でいっぱいだ。
 
「……えっと、舐めてるわけじゃなかったんだけど、興味ないことも覚えるタイプだと思ってなかったからちょっとびっくりした」
 
 わかってる。さっき考えてたことと矛盾してるのはわかってる。でも、ここは素直に肯定してほしい。私だから覚えてるんじゃない自惚れんなってはっきり言ってほしい。それならまだ傷は浅くて済む。ただの春の夜の夢にして。いつもみたいに、自惚れんなクソがって罵倒して。そしたら、そうだよね、なんて心の中で少し泣いて、きっとうまく笑えるから。
 
「……興味ねぇもんに対して使う海馬は持ってねぇんだわ」
「そ、それは光栄……です」
 
 どこまでも静かな夜に、爆豪はぽつりぽつりと言葉を零していく。聞こえてくるのは、時計の音とアクセントに換気扇。それはさっきと変わらないのに、私の心臓の音だけはどんどんうるさくなってくる。
 え、このあと、どう続けろと?
 何を、話せ、と。
 目は冴えているのに、頭は恐ろしいほど回らない。口を開けばそうであればいいなと思っていることを口走ってしまいそうで、迂闊に口は開けない。
 残念ながら私は「それってどういうこと?」と、素直に聞ける純真さも、駆け引きのように聞く色っぽさも持ち合わせていないのだ。ただ固まることしかできない不器用な私に、ふっとこぼすように爆豪は笑った。
 
「てめぇは記憶力悪そうだもんな?」
「ひどっ、人並みにはあるよ」
「はっ、どうだか」
 
 馬鹿にしたような、ある意味いつもの口調に戻って、思わずほっとしてしまった。冷めきったマグに口をつけると相も変わらず美味しいコーヒー。冷めても美味しいだなんて、よほど腕がいいのか、それとも豆がいいのか。いいや、もうどっちでも。美味しいのだから。
 時刻は2時55分。
 あと5分で爆豪とのこの不思議すぎる時間も終わってしまう。
 でも、もう充分だ。高校最後に少し甘酸っぱい思い出ができた。これなら、きっと卒業して、爆豪にどこかでまた会っても、淡い青春の思い出だったなんて自分の中で整理がつく。きっとこの静かな夜に爆豪もかどわかされただけだ。
 だから。
 もう少しだけ、時間がゆっくり進んでくれてもいいのに、だなんて非現実的なことを考えるな。どうしたらいいかわからないけれど、もうすこし話していたいだなんて、そんなこと考えるな。私のマグカップを覚えていたことに特別な理由があると思うな。変な勘違いをする、な。
 
「……ゼロ」
「……ぜろ?」
 
 突如聞こえた数字を思わずオウム返しする。ゼロって、一体なんなんだろう。思いあたる節がなくて、じっと爆豪を見つめていたら、その言葉はなだらかに続いていく。
 
「ゼロハチゼロ、ゼロヨン……」
「ちょ、ちょっと待って!いきなりなに!?」
 
 イチサン、と続いて面倒くさそうに、でもしっかりとはっきりと発声された言葉は、一瞬何かの呪文かと思った。でもそんなことはありえなくて、寝ぼけていない頭は、それを瞬時に数字だと理解した。残り4桁も連続して呟かれて、頭の中で忘れないようにとしっかり復唱する。080からはじまる11桁の数字。それが何かわからないほど、浮世離れはしていない。けど。
 
「……記憶力、悪くねぇっつんならそれ、今すぐ覚えろ。で、ぜってー忘れんな」
 
 なんで? なんのために? どうしてそれを私に言うの?
 疑問符ばかり浮かんでくるのに、口に出せず呆然とする私を置いて、爆豪はソファから立ち上がる。
 
「……寝る」
「え、あ、ちょっ、ちょっと待って爆豪!」
 
 時計を見ればしっかり3時になっていた。確かに3時には寝ると言っていたけれども、あの、だからといって、このタイミングで。爆豪との距離は1メートルもない。手を伸ばせば、簡単に届く。だから、立ち上がった爆豪のジャージの裾も簡単に掴めてしまうわけで。理屈で考えるより先に手が出てしまって、自分で手を伸ばしたくせにその行動の大胆さに自分でドン引いた。
 
「……なんだよ?」
 
 そしてこの男は律儀に立ち止まり、私の言葉を待ってくれているのだ。言いたいことあんならさっさと言えや! と普段なら怒鳴り散らすくせに、何でそれをしないで待っていてくれるのだろう。夢じゃないかって何回も頭のどこかで思ってしまうのに、散々身体を駆け巡ったカフェインのおかげでこれは現実だと身体の中から訴えられる。目を背けるなというように。
 
「え、と、それ、私どういう意味で受け取ればいい……?」
「質問タイムはもう終わってんだよ。てめぇで考えろ」
 
 私の掴んだ裾を振り払おうともせずに、爆豪は淡々と続ける。そんな動作ひとつで、頭がおかしくなりそうだ。だめだ。もう。こんなの、どうしたって好きにとりたくなってしまう。
 いつもなら挑むような強いガーネットレッドが今は慈悲深いような包み込むような色に見えてしまって、そんな目を向けられたら大抵の人間は自惚れるしかできなくなる。
 
「……好きに取って、自惚れるよ」
 
 本当に静かな夜だ。そんな静かな夜に、聞こえるか聞こえないくらいの声量で私は言葉を落とした。聞こえていたのは、時計の音と換気扇の回る音だったのに、今は私の心臓の音しか聞こえない。そんな静かな夜に私の言葉は爆豪によって拾われて、掴んでいた裾に冷たい指先が少しだけ重なった。
 
「自惚れんのが遅ぇんだよ。ばぁか」
 
 3年かかってようやくかよ遅すぎんだろ、と落とされたおよそ爆豪らしからぬ独り言は、彼の名誉のために聞こえないふりをした。さっきまでコーヒーの匂いでいっぱいだった鼻に、ニトロの甘い香りがやってくる。ゆっくりと視界に赤が近づいてくる。卒業式まであと5時間。どう考えたって、健やかに眠れる夜は私に来そうになくて、ゆっくりと目を瞑った。

×
第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -