緋色たちの事情聴取
「隣、いいですか」
私の許可を得る前に引かれたスツールにバーに不釣り合いな高校生が腰掛ける。世界的推理小説家と名女優の血筋を持つこの高校生は、今回の一連の案件で私の評価を180度変えた。名声を得て天狗になっている高校生探偵、と知り合うまではやや斜めに見ていたのに、こんなにも簡単に彼に対する見方が変わるなんて驚きだ。ひとえにそれは、工藤新一というか『かの少年』に全幅の信頼を置いていた私の同期のせいかもしれないが。
「あら、今回の主役がこんな会場の隅っこに来ちゃっていいの?」
「主役って…茶化さないでください。俺ひとりでは何もできなかった。俺の作戦に乗じてくれた日本警察やFBIの方達の協力があってできたことであって…俺自身は悔しいけどやっぱり高校生なんだなって痛感しました」
本当に悔しいですけどね、と工藤くんの持っているウーロン茶のグラスの氷がごとりと音を立てる。周囲の大人たちがアルコールで祝杯をあげていく中、ひっそりとウーロン茶でそれらに参加する工藤くんはやはり異端だった。
警察、公安警察、ならびに各国の諜報機関が一丸となって参加した今回の国際的テロ組織の壊滅作戦。その中心に居たのは、私の横に居る高校生探偵とFBI屈指の切れ者と名高い赤井秀一、それに同期兼私の上司、降谷零だった。ちなみに慰労会兼交流会と銘打たれた今回の飲み会にも私の上司は、正体を知る人物以外私立探偵『安室透』で通している。あいかわらず難儀なことだ。
「謙遜しなくても、君の凄さは嫌という程わかったよ。それで?なにか私に聞きたいことでも?」
降谷に命じられ、作戦の末端に参加した私と工藤くんとの繋がりはほぼないに等しい。この性別で珍しい職種に就いているからなにか興味を持ったのだろうか。
「あー…っと、聞きたいことというか、あそこのテーブルでうちの宮野と話してる金髪の男性について何ですけと」
工藤くんの視線の先には、奥のテーブルで宮野志保さんと珍しく和やかな顔で談笑している降谷の姿があった。なるほど。しかし申し訳ないが彼については。
「ごめんね。あれについてはうちの最高機密だから、詳しく教えられないかな?教えられるのは意外と優しくて親しくなればなるほど我が儘ってことぐらい」
「あ、そうじゃなくて、なんていうか…」
「ぼうやが聞きたいのはそういうことじゃないだろう」
降谷の声より数段深みのあるテノールが後ろから聞こえてきて、目線を工藤くんから移す。隣、座るぞ、と許可なく右隣にその男は座ってきた。どいつもこいつも人の意見を聞かない男達だ。
「俺もぼうやと同じことが聞きたくてね」
工藤くんのやや弾んだ声と同質の好奇心を孕んだ声で、赤井秀一は私に話しかけてきた。
「安室くんに君を紹介されてから気になっていたんで単刀直入に聞く。君は安室くんの恋人なのか?」
「その答えはノーですね」
「聞き方を間違えた。あそこに座っている男の恋人なのか?」
「──それも、ノーです。あの、そういう彼に対する呼び方の問題じゃなくて、本当にそんなんじゃないんですよ」
そう答えた途端左横に座る高校生探偵から、本当にそうなんですか、と訝しげな視線を送られる。まさかこの二人からこのテの話をふられるとは思わなかった。何だかこんな風にからかわれるのも、警察学校卒業以来ひさしぶりでとてもくすぐったい。
「残念ながら、彼の恋人はこの国ですよ」
「……俺、それ前も聞いたんですけど、本当にそうなんですか」
「国を守ってる人っていう解釈もできるな」
煙草を燻らせながらそんなことを赤井さんが言うものだから、横に居る工藤くんはまた目を輝かせる。先ほどまではとんでもない子どもだと思ったのに、今の彼は単なる男子高校生にしか見えなくて実に微笑ましい。しかしながらその彼の期待に応えられるような関係では本当にないのだ。
「それもないですって。大体、私と彼のどこを見てそうなるんですか。今回仕事のこと以外話してませんよ」
追求されるのが嫌で、手元にあったシャンディガフを喉に流し込む。その一連の動作がいけなかったのかもしれない。横にいた探偵たちの好奇心に火を付けてしまったようだ。目で合図して頷き合い、迎撃の姿勢を取られてしまった。
「作戦中、貴女の声がインカムで聞こえるたび、安室さんの表情が少し緊張が解けた顔になっていたんです」
「──それは、私だからというわけでなく、命がけの作戦を実行している時に昔馴染みの声が聞こえてきたからでしょう。誰だってそうなるんじゃないかな」
「突入する直前、こうも言っていたな。失敗のリスクの話をしていたら『失敗とか以前に、僕はあいつに喪服をもう一度着させるわけにはいかないんですよ』とな。彼が珍しく殊勝なことを口にするものだからぼうやと俺で推理した結果、捜査線上に君が浮かび上がった」
それで意気揚々と私をからかいに来たと。トリプルフェイスを楽々とこなしていた同期の僅かな綻びを見つけて、灰色の頭脳を持つ男たちは実に楽しそうだ。その降谷零をひとりの人間として面白がるこの2人の存在は、率直に言うと少し嬉しい。降谷と過去を一部共有する者としては、こんなやりとりさえ彼らがいなくなってからは、遠いやり取りだったから。
「もし名探偵さんたちの言うとおり、彼が私に対してそんな感情を万が一持っていたしても、職務上重荷になるような関係はきっと作らない。だから、それはすべて杞憂です」
「杞憂なんかじゃないですよ。なんならまだ他にもいくつか証拠が──ってわ!?何すんだよ宮野」
なおも続けようとする工藤くんは、首根っこを掴まれ、ただでさえ不安定なスツールの上でバランスを崩した。そんな彼を悪気がなさそうに赤みがかった茶髪の大きな猫目が見つめている。
「博士が迎えに来たから帰るわよ」
「帰るって…今何時だ」
「22時過ぎ。18歳の私はともかく、17歳の工藤くんはまもなくアウトよ。他の皆様の迷惑になる前にこの店出るわよ」
それに蘭さんと明日約束あるんでしょう?と宮野さんが続けると、もうそんな時間か、とスツールから思ったより素直に立ち上がった。しかし生意気な注文を付けるのを忘れない。
「赤井さん、すみませんけど調査報告あとで貰ってもいいですか」
「ああ、構わない。ぼうやの期待に応えられるよう善処するよ」
工藤くんの後に軽く会釈をして店を出ていく宮野さんを見送る。その距離の近さに彼らは恋人同士なのかと頭をよぎったが、先ほどの会話からその可能性はないと、すぐ打ち消した。確か工藤くんの恋人は毛利探偵の娘さんのはずだ。となるとあの距離感は2人が小さくなっていたときの名残だろうか。いずれにせよ彼等が信頼し合ってるのは、付き合いの浅い私でも見て取れた。
「──君もぼうやと同じく降谷くんに『相棒』っていう言葉を使ってみるか」
右隣から飛んできた声に彼の方を見やると、「あのふたりの関係は運命共同体の相棒だそうだ」と続けられた。そのなんとも仰々しい関係を私と降谷に当てはめてみる。想像してみるも、うん、やっぱり。
「残念ながらそのポジションは、私には無理です。あいつの相棒は……永久欠番ですよ」
「そうだったな」
灰皿に押し付けられた煙草は役目を終えて火が消えた。赤井さんのグラスに入ったスコッチウイスキーがカランと乾いた音を立てる。私の大切な同期の死を横にいる男性が悼めているのは、痛いほど感じていた。
同期の中で潤滑油だった彼の笑顔を思い出す。あいつが生きているうちにもう少し景光の助言に耳を傾けていたら、私と降谷の関係はこんなに拗れていなかったのかも知れない。
「……実は昔、よく似たような感じで、彼の相棒にもからかわれてたんですよ。やれゼロはお前が現場にいるとやる気が違うだの、他の男と話していたら牽制をしまくってるだの」
「…ほう、それで?」
続きを静かに促す赤井さんの声がどこか心地よい。
シャンディガフ一杯で酔うわけなんてないのに、今は酔いのせいにして色々吐き出してしまいたかった。よくそれで公安が務まるなとなじられても構わないとは思うくらいに。この名前のない関係を久しぶりにつついてくれた人ができた嬉しさとを降谷のひとつの顔がなくなった解放感に少し溺れたかった。
「そういうことを彼の相棒から聞いても、恋人と言う立場なんてあいつの重荷になるからとか仕事の邪魔になるからとか、いろんな理由を用意して、全部見てみないフリをしていたんです。本当はあいつの本音を聞くのが怖かっただけなんですけどね。
だから、なんていうか、私と降谷は相棒だなんてそんな立派な関係でも、正面切っていろんなことを話せる赤井さんのような友人でも、ましてや恋人でもない、ただの昔からの同僚なんですよ」
そう言いきってしまえばすっきりした。隣に座る赤井さんが煙草を吸っても居ないのに、長く息を吐き出す。降谷の報告書の端々から感じる赤井秀一という男は、悔しいが仕事はできる、余裕綽々な態度が気にくわない、ポーカーフェイスを崩さない、そんな男だった。
何やら言葉を選ぶように逡巡したあと、初めて私に目を合わせてきた。
「まず何か誤解しているが、俺は彼の友人ではない……いや、違うな。仕事仲間にはなり得ることはあっても、友人には決してなれない。何故なら俺は降谷くんに大層嫌われている」
大真面目なトーンでそんなことを話し出すものだから、思わず吹き出してしまった。降谷の報告書から受ける印象よりだいぶユーモアのある人なのもしれない。
「降谷くんと君がどんな人生を歩んで、どれほど仲間を失ってきたのか俺は知らない。ただ君が理由をつけて逃げ回っている限り、彼はずっとひとりじゃないのか。相棒も友人も居なくなったのだろう?」
──君が側に行こうとしないかぎり、彼はまたひとりぼっちだ。
周囲の喧騒なんてなくなってしまうほど、赤井さんの声がとてもクリアに聞こえた。勝手なことを言わないで、だとか何も知らないくせに、だとか、ありふれた文句は頭の中に浮かんでくるのに、どれも発声するには躊躇がある。そんな私を見越してかなおも赤井さんは続ける。
「生憎、国籍がアメリカなものでな、言いたいことは素直に言う性質なんだ。思っていることは言葉にして伝えとかないと……いずれ後悔する」
それは赤井さんの経験からだろうか。今まで彼の放ったどの言葉よりも、現実味があり、聞いているこちらが何故か泣きたくなるような気持ちになった。
「…赤井さん、お節介だとかよく言われませんか」
「今君に初めて言われたな。俺から言いたいことは以上だ。これ以上二人で話していると、彼がバーボンに戻りかねないので失礼するよ」
「え?」
「彼の相棒にも言われていたのだろう?男と二人きりで話していたら殺気を込めた牽制を送りまくりだったと」
君も公安なら気付いているのだろう?と赤井さんは席を立った。その通りだ。知っていた。赤井さんと話している間、イライラしたような視線が背中に刺さっていたことぐらい。いつもならこれも気付かない振りをしていたけれども。
「赤井と、何を話していた?」
どすん、と私の横のスツールに腰掛けられた。透き通るような金髪に日本人離れした蒼い瞳。その瞳はどこか心配そうに揺れている。仕事で何度も降谷の顔を見てたはずなのに、その瞳はとても新鮮に見えた。
ここにはそんな彼の態度を茶化す同期も、助け船を入れてくれる親友も、お節介なFBIも、もう誰も居ない。残ったのは私と降谷だけだ。赤井さんの言うとおりだ。理由をつけて向き合わなかったのは、私の逃げ以外の何物でもない。こんなにも降谷は近寄ろうとしてくれていたのに。
さて、何から話そう。おい、と降谷が私を訝しんでくる。そうだ。話すならやはり、ここからだ。
「それを話す前に伝えたいことがあるの、降谷」
──私、ずっと前から降谷のことが好きなの。
な、と降谷のアイスブルーの瞳が大きく見開く。ああ、驚いたらこんな顔をするのだ。その一瞬もどうか思い出とならず、私の記憶として残りますように。見てみない振りをするのは、もうやめた。
降谷の口が悔しそうに歪んだ後、ゆっくりと開く。
吉がでるか凶が出るかはわからない。でも、そんな私たちの関係が変わるまで、あと、数秒。