甘く蕩ける幸せを
見るだけで柔らかいふわっふわなパンケーキにもくもくとした雲のような生クリームが添えられて。綺麗に焼かれた狐色に雪みたいな粉糖が降りかかる。ちょこんとちっちゃな白いピッチャーに入るのは黄金色のメイプルシロップ。
生クリームの雪山をフォークでちっちゃく切り崩して、一口サイズのパンケーキを口に運ぼうとしたら、何やら穏やかな視線を感じた。
「……なに」
「いや、嬉しそうに食べるなぁと思って」
深い緑の瞳が嬉しそうに弧を描いて、砂糖も何も入っていないコーヒーを口元に運ぶ。そんな単純な動作すら、絵になって周りの女の子達の視線を奪っているのはきっとこの男は気づいていない。
「どした? 食べないのか?」
「いえいえ食べますよー。せっかくの嵐山の奢りだし」
ほかの女の子たちの視線は気づかないのに、私が見ていることにすぐに気づく嵐山はなんだかずるい。誤魔化すようにパンケーキを口に運ぶと、評判通り口の中でしゅわっと蕩けていった。あ、やっぱり美味しいこれ。
「よかったな」
「……なんも言ってないじゃない」
「顔が言ってるよ。すごい幸せそうな顔をしてるから」
穏やかな目を向けられて、なんだかとてもむずむずした。この男は同い年だというのに、私のことを副くんや佐補ちゃんのように見ているんじゃないだろうか。一度それとなくザキくんに相談したら、「そ、そんなことはないと思うぞ……?」と目を逸らしながら答えられたからあながち間違いではないと思うのだけれど。
「わざわざ付き合ってくれなくても、いつもみたく美味しいお菓子差し入れてくれるだけで全然よかったのに」
「試験前にお前の纏めてくれたノートがあってすごく助かったからこれくらいさせてくれ。それにこの店行きたかったんだろ?」
「……え、迅に何か言われた?」
善意しかない笑顔を向けられ、思わずフォークを進める手が止まった。
不意に浮かんできたのは、同い年のこれまた胡散臭いサングラス。幸か不幸かあの男は私の嵐山に向けるちょっと秘密にしたい乙女の邪な感情に気づいている。あの男のサイドエフェクトに何が視えているかは知らないけれど、時々「ふーん? いやいやなんでもないよ青春だねぇ」と私を見てくるのが実に腹立たしい。
「いや、何も言われてないよ。この間綾辻と話してただろ。ここのパンケーキが美味しいから行ってみたいって。で、せっかくだから喜ぶかなと思って予約した」
そのおかげで「予約した嵐山ですけど」と普通に言って、「え、ボーダーの嵐山さん!?」と素で動揺した店員さんとカフェ内がざわめいたのは忘れない。お決まりの「そうですけど、今はプライベートなんで」と、唇に指をあて爽やかな笑顔を返して店員さんが少し紅潮したことも。わかる。わかるよその気持ち。私だって平気なフリをしているけれど、あの笑顔を向けられるたびドキドキする。ドキドキして、あ、でもこの笑顔は私だけに向けられるものじゃないんだな、みんなに向けられるものなんだな、って後悔するもの。決して安易に自惚れさせてはくれない男、嵐山准。ほんと片思いして数年経つけれども、未だに距離感を縮められないのは、私の臆病さとこの男の生まれ持ったスター性が原因だと思う。ああ、悔しいやら情けないやら。
「……もしかして迅と来るつもりだったのかこの店?」
「え、なんでそうなるの」
「仲良いだろ」
「仲は……悪くはないと思うけど、ふたりで行く程ではないよ。迅とご飯食べに行く時は大体誰かしらイコくんやら緑川くんとかと一緒だし、こうやって、ふたりで出かけるのは嵐山だけだよ、うん」
なんだか言い訳くさくなってしまって、誤魔化すように慌ててパンケーキに目を落とす。落ち着け私。せっかく苦労して築きあげた仕事仲間兼女友達の距離感を自ら崩してどうする。この気持ちがバレたら、きっと嵐山はわかりやすいくらいに動揺して、申し訳なさそうに、でもこれでもかと誠意を込めて優しく私をフるだろうから。そんな状態で隊室に遊びに行ったりなんかしたら、とっきーには天才的に気を遣われて木虎ちゃんには不器用な優しさをぶつけられかねない。でもって佐鳥くんに地雷を踏まれるところまで未来が視えた。こんなのサイドエフェクトがなくたってわかるんだから。
それは本当に勘弁して欲しい──ってあれ?
「あらしやま?」
恐る恐る顔を上げると口元を手で抑えてあからさまに目を逸らした嵐山准がそこに居た。私の自惚れでなければ、少しだけ顔が赤い気がする。
「あ、いや……。こうやって出掛けるの俺だけだって言われたら普通に嬉しくて。ごめん。今日お礼がしたかったのに俺が喜んでどうするって話なんだけど」
勇気出して誘ってよかったよ、なんて言われて持っていたフォークを落としかけた。それはメディアなんかではお目にかかれない、少し照れた笑い方で。ちょっと待って。これは。待ってください。お願いします。
「嫌じゃなければ、また誘っていいか。今度はお礼なんてズルい手なんじゃなくて、その……普通に」
「それと……お前を妹や弟のように見たことはないよ」なんて付け加えられて、私はいよいよフォークを落としてしまった。ああどうしよう。顔が真っ赤になりすぎて嵐山の顔が見られない。