そのチョコが溶ける前に

「ねえ、抱いてやろうか?」
 
 宝石箱のようなショーケース。そこにキラキラと大事に大事に飾られた自慢のチョコレート。アンティークショップとセレクトショップをはしごして揃えたお気に入りの家具たち。天井には小ぶりなシャンデリア。
 その自慢の調度品に長い足を無遠慮に放り投げてこの店のスポンサー様はそんなことを言ってきた。
 
「あれ、そんなくだらないこともスポンサー契約に入っていたっけ?」
 
 カウンター越しに、スポンサー様の五条を見遣る。閉店した店内は静かだ。私以外のスタッフも帰らせて今は誰もいない。2人きりの店内では五条の声はよく響いた。
 
「いんや? そんなエロ親父みたいなことしなくても僕そこには困ってないし」
 
 いつの間にか五条専用となったブルーベリーが描かれた私のお気に入りのお皿には新作のショコラ。カリカリのキャラメルが入ったガナッシュムースを五条は一口で放り込んで、満足したようにおかわりを要求してきた。
 そのお皿に今度は先程と違ってこの男が嫌いなホワイトチョコガナッシュとほんのりカルヴァドスが漂うボンボンを盛り付けるとあからさまに渋い顔をした。
 
「なに喧嘩売ってる?」
「安値で五条が喧嘩を売ってきたから買ったまでよ」
「ひっどいなあ。僕みたいな高い男からのお誘いを蹴るなんて、どうかしてるんじゃない?」
「さっさと価格破壊すればいいのに」
「まー僕としてはインフレしてくれたほうがありがたいんだけどね」
「なんの話よ」
「さぁなんの話だろ」
 
 よっとソファにだらしなく座っていた長い足を組み替えて、五条はこちらにやってきた。客と店員の境界のカウンターをなんなく飛び越えて五条は、ショーケースのチョコレートをビュッフェ感覚で遠慮なく摘まんでいく。摘まんでは口に入れ、摘まんでは口に入れ。その横で私が顔を歪めることなんてお構いなしに、五条は口に運んでいく。
 
「いやぁ、相変わらず呪いがこもってそうなほど美味しいね。お前のチョコ」
「……お褒めに預かりどうも。でも、そんなものいちいち籠めてたらこの店とっくに潰れてる」
「確かにー! あ、でも褒めてんだからねこれ。高専の頃にくらべて、随分食べれるものになったなぁって話。あの頃は本当にお前なんなのって言いたいくらい酷かったからね」
 
 我ながらよく付き合ってあげたもんだよ、とうんうんと五条は頷く。ほんと物は言いようだ。人が必死に練習して作ったチョコレートを頼んでもないのに勝手に食べてはまずいと言って捨て、本当に食べさせたい相手にあげる前に全部なかったことにしていた癖に。こんな不味いものアイツに食べさせる気? なんて言ってきたこと、絶対に忘れてやるもんか。お陰でこれだけで食べていけるレベルにはなったけど、断じて五条のおかげなんかじゃない。どちらかというと。
 
「……まぁ何年も修行したからね」
 
 それは淡い甘い青い春の思い出だ。
 いつだったか。
 祓った後に珍しく少しだけ疲れた顔をしたあの人が「なんか口直しが欲しいな」なんて言ったあの日から。
 単純で乙女な私は、これだ! と思って、それこそ毎日がバレンタインデーかという程に練習をして。甘いのが苦手な硝子には全力で嫌な顔をされて、それでも胸焼けする匂いを全身に身に纏って。ずっと。ずっと。
 
「僕がパトロンしてんだからそりゃあ成功してくんなきゃ。あ、で、どうする? 場所はここでする?」
 
 はいあーん、と口にしようともしなかったホワイトガナッシュを私の口に放り込んで、少しだけ指先に残った抹茶をぺろりと舐めとった。ムカつくくらい綺麗な指先を舐めるその仕草は、こんな目隠しをして、不審者丸出しの容貌でも色気が垂れ流しされていて、腹ただしいことこの上ない。
 
「なあ、聞いてる?」
 
 白のコックシャツの上に五条の影ができあがる。足を折り曲げずに私に顔を近づけるその仕草はどこかキリンみたいだ。
 首にかけている赤いタイを少しだけ引っ張られる。そして結び目に手をかけてするりするりと解かれた。首元にだらしなくでき上がる、赤い布。その上にいつの間外したのだろう、五条の黒い目隠しが被さった。黒と赤が重なって何事かと思って顔を上げると、久しぶりに見る、青い瞳。
 ようやくその瞳とぶつかって、冒頭の言葉が冗談で言ってきたものではないと思い知る。
 
「どこまで本気?」
「知ってんだろ。僕はいつでも本気」
「……本気の慈善活動って?」
 
 コックシャツの金ボタンにかかった手が止まる。うざったそうにため息をついて、皿に乗ったままのカルヴァドスを私の口に押し込んできた。
 
「まぁそうだね。慈善活動っちゃ慈善活動。一度、七海に頼もうとしたら全力で拒否されて、んじゃあ伊地知にするかとも思ったけど、あいつにはこの仕事は荷が重い。さすがに恵にやらせるのは僕の良心が痛む」
 
 口の中に林檎の甘酸っぱさが広がる。そこまでお酒の量は多くしていないのに、もともとの度数のせいか少し頭がふわふわする。自慢のシャンデリアの照明は落として、カウンターのスポットライトのみになった店内では、五条の瞳がうっすら光を持つ。
 
「この年まで処女貫いてる馬鹿な同級生への同情って?  お生憎様。私は、そういうのもう求めてな」
「傑に会ったよ」
 
 言い終わる前に金ボタンがひとつ外されて、言葉を失くす。
 元同級生の不躾な行動を咎める前に、その言葉の意味を悟って身体が固まる。まるで「今日はいい天気だねぇ」と言わんばかりの言い方な癖して、それはつまり。それは。つまり。
 
 
 
 直後に脳の中に青い記憶が広がった。
 
 
 
「なんか口直しが、欲しい、かもしれない」
 
 珍しく歯切れの悪い言葉に、なにそれ、と突っ込んだのを覚えてる。
 木造校舎の古びた教室。4台しか並んでいない机。数少ないクラスメイト。2人で行った任務。面倒だと言いながら作っていた報告書。そんなときに何気なく漏れ出た言葉に私は夏油を二度見した。
 
「え、お昼食べた台湾ラーメンが辛すぎたって話?  あれは青菜炒めと一緒に食べるのがベストなのに、そうしなかった夏油が悪いよ」
 
 私は勧めたからね、と手元の報告書に目線を落とす。でも、夏油のいうこともわからなくもない。どうしてもあそこのラーメンが食べたくなって、新幹線の駅にできたのをいいことに、夏油に頼み込んで付き合ってもらったけど、舌にひりひりと残る辛さはいまだに消えやしない。飴か何か欲しい。もしくはチョコ。ってそんな都合よくないか。お水、お水っと。鞄からペットボトルを取り出したら、夏油に唐突に名前を呼ばれた。
 何事かと思って顔を上げると、目の前に差し出されたのは五条が常備している赤色の包み紙の一口チョコレート。百貨店にも入ってる、私も好きなやつ。
 
「はい、あーん」
「いや、いいって。1個でもなくなったらあいつうるさいでしょ」
「悟からは食べられて、私からは受け取れないって?」
「いや、あれはあいつが嫌いな味のチョコを半ば無理やり押し付けてきているだけで……」
「はい、あーん」
 
 剥き出しの円錐型のチョコレートを上唇に押し付けられて、やむを得ず口を開く。私の体温で溶けはじめたミルクチョコレートが上唇に少し残る。夏油のやや強引な親指は私の腔内に遠慮なくチョコレートを押し込んだ。
 
「甘」
「そのまま舌先で歯を舐めまわして」
「セクハラ。あんたの呪霊祓うわよ」
「いいから。私の言うことを聞かなくて後悔するのはお前だ」
 
 なんだそれ、と思いながらも言われた通りに舌で歯を舐める。口内に甘いチョコレートが広がって、お値段相応な高級チョコを満喫していたら、右前歯に何かあった。これはもしや。
 慌ててカバンの中から鏡を取り出すと、それはやはり予想通りのものがそこにはあった。
 
「……ニラがついてたのなら素直に教えてよ」
「素直に教えたら面白くないだろう?」
 
 その顔、良いね、とでも言うように夏油はニコニコと穏やかな笑顔を絶やさない。
 ああ、もう本当に恥ずかしい。口元を隠してこっそり処理すると、「お疲れ様」と夏油はもう一度、チョコレートを差し出した。今度は私の好きなカルヴァドス。
 今度は包み紙から出されることなく、そのまま手の中に渡される。口にいれるわけでもなく、ぼんやりとその赤い包みを眺める。
 
「なんだ。食べさせてほしいのか?」
「なんでそうなんの。いや、夏油は食べないのかなって。言ったでしょ。さっき、口直しが欲しいって。気付かなかったけど、意外と今日の任務疲れたのかなって」
 
 はい、あーん、と包み紙を外してお返しとばかりに夏油の口にチョコレートを近づける。少しだけ驚いたように目を見開いて、近づいてくる私の手からチョコを奪った。そして。
 
「……ちょっと私の話聞いてた?」
「聞いてたさ」
 
 また強引に口に押し込まれた。口の中に広がる芳醇な林檎。確かにこの味は好きだけど、なんだろう納得がいかない。なんとなくだけど、疲れた顔をしているようにみえたから、夏油も一緒に食べればいいと思ったのに。そして「はァ? チョコ減ってんだけど」と明日大人げなく怒るであろう同級生の防波堤になってくれればなんか思ったのに。それなのに。
 
「私はこれで十分だ」
「え」
 
 手首を強引に掴まれて、指先をちらりと舐められた。指先にわずかに残ったチョコレート。
 かすみ取るような、一瞬の仕草だったけれど、それは。
 
「……セクハラが過ぎる」
 
 指先に残る少しざらついた感触に、なんの意図をもってそんなことをしてきたのかわからなくて、でもどこか煽情的で、憎まれ口を叩く以外の術が思いつかない。少し赤くなって固まる私に、夏油の瞳が穏やかな弧を描く。その顔がなんだかすごく悔しくて、日々ひたすら同級生として接して、バレていないと思っていた私の奥底の感情までバレていそうで、嫌になる。
 
「もっと欲しいと言ったらくれるか?」
「……何を?  チョコレートを?」
 
 怖気ついて嘯いてしまう私に、そうだな、と夏油は優しく笑った。それは夏油が私たちの前から居なくなる数か月前の話だった。
 
 
 
「五条」
「んー?」
 
 はだけはじめたコックシャツは放置して、あの場所を逃げ出しても、なんだかんだ友人の位置にずっと居続けてくれた男を見遣る。いろんな事が見えてしまう青い瞳には、感情が籠っていない。本来こんな状況で浮かぶべき色情も、愛慕も、何も。あくまで事務的に、いろんなものをなかったことにしようとするその瞳にどうしようもなく苛ついた。だから。
 
「抱かれてあげようか?」
 
 何の感情も籠っていなかった五条の瞳にほんのり苛立ちの色がともる。よかった。すこし人間的な顔に戻った。
 ゆっくりとショーケースの上に押し倒されて、耐えきれなくなったガラスがみしりみしりと嫌な音を立てる。この店を作ったとき、それなりに頑丈なものを選んだけど、大人二人が乗れば当たり前か。
 
「悪いけど、優しくしないよ」
「結構。優しくして欲しいのはあなたじゃなかったから」
「……過去形にするとか、ほんと嫌な女だね」
 
 あいつに似て。と続けられて、その先を聞きたくなくて自分から五条に口付けた。
 いっそ夢ならどれだけよかっただろうか。お互いに恐ろしいほど感情のこもらないキスを何度か交わすと、私と五条の重さに耐えかねたガラスが割れた。五条と私と、それと大事にしていたチョコレートにガラスの破片が刺さった。

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