12センチヒールが歩む未来
【22years ago 】スニーカー
「じんくん待って!」
追い掛けても追い掛けても追いつけない前を走る癖っ毛の黒髪。私が声を荒げてもその黒のランドセルは止まる気配はない。どうしよう。今日は陣くんのお母さん居ないから一緒に帰らないと行けないのにどうしよう。背中にある赤色のランドセルがすごく重たく感じて、一生懸命手を伸ばすのに黒のランドセルには届かない。はやく、はやく陣くんを追い掛けないと。
「じん、ぺぇくん、ぁ!」
それなのにお気に入りの買ったばかりのスニーカーは私の言うことなんかきいてくれなくて、勢いよく精一杯駆けだしたら右足は躓いてしまった。スカートから丸出しの膝小僧に痛みが広がって真っ赤な血がじわぁっと広がってくる。どうしよう。痛い。陣くん追っかけないと行けないのに痛い。陣くんのお母さんにちゃんと今日いっしょにうちに帰るって約束したのに。じゅくじゅくになった膝を見てたら悲しくもないのに涙が出てきた。いやだ。泣いたら陣くんに馬鹿にされる。
「なにやってんだよ」
頭の上から陣くんの声が聞こえる。あんなに遠くに居たのに、なんでこんな近くに居るんだろう。
泣き顔を見られるのが嫌でぐずぐず下を向いていたらいきなり右手を引っ張られた。
「ほら、かえるぞ。きょうおまえんちいくんだから」
その手は温かくて、泣き顔を見せるつもりなんて全然なかったのに、気付いたら顔をあげていた。いつもみたいにからかってくるんじゃなくて、私が好きなお巡りさんのお兄さんみたいな顔をしていて、なんだかドキッとした。
「ないてるのみられたくなかったらしたみてろよな。おれがいえまでつれてってやるからあんしんしろよ」
繋いだ手はやっぱり温かくて、でもそれがなんだかわかんないけど、悔しくて「じんくんなんてきらい…」って言えば「おれのがきらい」って返ってきたからやっぱりいつもの陣くんだった。
【13years ago】下駄
「どうしよう…」
祭りの喧騒から離れた神社の本殿は静か過ぎて、不気味さしか感じなかった。慣れない帯と慣れない下駄の組み合わせは碌なものじゃない。一緒に行くって言ってた友達みんなが着るって言ったからじゃあ私もっと思って母に頼んで着せて貰った浴衣は可愛いけれど、動きにくくて仕方なかった。林檎飴だとか綿飴だとかみんなが可愛いものを食べている中、どうしても唐揚げが食べたくて、でも、そんなみんなと違うものを食べたら浮いてしまうのが怖くて理由をつけてみんなと別れて唐揚げを頬張るまではよかった。その後突然人に突き飛ばされてつまずいてしまって足をひねって、浴衣は泥だらけ。せっかく母に可愛くして貰ったのに情けないやら何とやら。
なんとか落ち着いたところへと思って古びた神社の階段を登ったら足首は見事に腫れ上がってしまって、自業自得にも程がある。
友達を呼ぶにしても辺りはどんどん暗くなってきて、夕方というよりは夜というに相応しい時間帯。その夜の境内にお情けのように切れそうな外灯がひとつだけ灯っていて、流石に少し怖くなってきた。
大人しく携帯で親に来てもらうかと思ったその時だった。階段を一段飛ばしで駆け上がってくる足音。少し荒い呼吸。幼い頃から見慣れた癖っ毛の黒髪が階段下から顔を出した。
「おい、何やってんだよ!」
「まつ、だくん…?」
「まつだくん、じゃねえ! 何時だと思ってんだよ! お前が普段一緒に居る奴ら見かけたらお前の姿ねぇし、帰ったと思ったらおばさんにお前知らねぇかって聞かれっし、あぁもう…!!」
泥だらけの浴衣とその裾から覗く腫れ上がった足首を見つけて松田くんは舌打ちをした。暗がりで松田くんの顔は見えないが、その声は当たり前のように怒気を孕んでいて、ひさしぶりに会話するというのに、なんだかすごく心配されているようでくすぐったい。
「…ほら、かえっぞ」
歩けないんだろ、と言わんばかりに取られたおんぶの体制に全力で首を横に振る。
「や、やだ! 誰かに見られたらほんと私の中学生活終わる!!」
「もう暗いし誰も見えねぇよ。心配だったら顔隠しとけ」
おばさんとおじさん心配してたんだから早くしろ、と急かされ仕方なく松田くんの黒いTシャツにしがみつく。腕を彼の首筋に回すと襟足がほんのり汗で湿っていたのに気付いてしまった。こんな時間に面倒な幼馴染みを捜し回らせてしまったのだろうか。
「──ごめん」
「ああ、くそ重い」
昔は私の方が背が高かったのにいつの間に追い抜かれてしまったのだろうか。最近仲よくすると周囲からとやかく言われるのが嫌で挨拶すらしてなかったから全然気付かなかった。私にとってはただの意地悪な幼馴染みなのに松田くんカッコいいと囃し立てる友達が多いのも今ならなんかわかる気がした。なんだかんだでこの男は優しいのだ。
「──なぁ」
「なに?」
歩き慣れた道を松田くんにおぶられながら歩いてく。ふと顔をあげれば夏の大三角形を見つけた。少女マンガで見かけたようなロマンチックな光景に私の胸も高鳴る。
「お前、しばらく話さねえ間に胸でかくなってね?」
「な……! さいってい!! じんぺーの馬鹿! 嫌い!」
ときめきを返せと背中で喚きたてる私に対し、じんぺーは久しぶりに名前で呼ばれたわ、と声を上げて笑うのだった。少しときめいたのは吊り橋効果に違いない。きっとそうだとそう思おう。
【10years ago】ローファー
ちっちゃい頃からブランコが好きだった。立ち上がって思い切り漕ぐと風を切って気持ちよかったから。でも流石にブレザーにローファー姿の今の私はそれをするのに抵抗があった。あの頃は痛かったり嫌なことがあったら泣けばよかったけど、高校生ともなるとそう簡単に涙は出てこないようだ。
「あーあ…」
木枯らしが吹き始めた公園はさすがに寒いのか本来の主役であるはずの子ども達の影は見当たらない。居るのは、失恋したての女子高生がひとり、ブランコに乗っているだけだ。なんとなしに掴んでいるブランコの鎖は冷たくて、冬の気配を感じる。落ち葉を踏み分ける音が聞こえて顔をあげると、目の前にホットココアを差し出された。
「おら、風邪引くぞ」
「陣平」
ブレザーにセーターをインしてるだけの私と違い、定番のバーバリーチェックのマフラーをしている陣平は暖かそうで、恨めしく見ていたのがバレたのか、急にマフラーを外して両肩に掛けられぐるぐる巻きにされた。
「え、ちょっ、いいって」
「るせ。見てるこっちが寒いんだよ」
私に倣って横のブランコに陣平は座る。きっと陣平にもバレているはずだ。今日私が先輩にこっぴどく振られたこと。じゃなきゃ、こんな寒空の公園なんかにやってこないだろう。
「──だからあいつはやめとけっつったんだ」
呆れるわけでもなく咎めるわけでもなく、小さく当たり前の事実として小さく陣平は呟いた。そんなのはわかっていたつもりだったのに、やっぱり格好よく思えてしまったのだからほんと仕方ないと思う。
「お前、男見る目なさ過ぎ。明らかヤリ目的だったろあいつ」
「うん…」
恋人になって1週間後、いきなりそういう関係を迫られて、怖くなって逃げ出したら、「松田の幼馴染みだからヤッてると思ったんだけどなぁ」と言われその翌日にフラれた。最低だと思うのは見る目のなさ過ぎた自分自身で、涙すら出てこない。少しでも、目元が横にいる幼馴染みに似ていて格好いいと思ってしまった自分自身に。全然似てなかったじゃないか。
「──男欲しいなら俺のダチ、誰か紹介してやろうか」
「別にそんなんじゃない」
なんでそんなことを平気で口に出せるのだろうか。だったら私に優しくするのを今すぐやめてほしい。陣平が中途半端に優しくするから、もしかして、と淡い期待を抱いて、でもそう思ったときには向こうには彼女ができたりして、ああ、やっぱり勘違いだった。何も行動しなくてよかった、の繰り返しだ。お陰で私の高校生活は松田陣平の影に縛られている。
「ありがとう。ひとりで帰れるから放っておいて」
「あ、おい!!」
だから追い掛けてこないで。陣平の馬鹿、嫌い、と小さい頃からの嫌な口癖を呟いてブランコから立ち上がると、左肘を掴まれた。何事かと思って彼の方を振り返ると、今度は緩く巻いていたマフラーを引っ張られ、陣平の端正な顔が近くに迫ってくる。そしてそのまま何かが唇に触れた。
「俺は好きだ」
そんなことすると思ってなかったから唇は少しかさついていたし、何より寒いと思っていた顔はみるみる熱くなるし、私だけ赤くなっていたらどうしようと思っていたら、陣平も耳まで真っ赤だったので、可笑しいやら恥ずかしいやらで私は笑った。
【the present】ウエディングヒール
「うっわ、あ、っと、ありがと」
「おい、そんなんで本番大丈夫かよ」
いつもより12センチ高くなった視界に戸惑ってバランスを崩すと、すかさず陣平は腕を差し出してくれた。ちょっとだけ嫌味を付け足してくるのは相変わらずだけど、それはもう慣れた。
「なんとかなるよ。でもこれが陣平の見ている世界なんだね。なんか新鮮」
「世界って大げさだろ。あと俺のがまだ3センチくれぇ高いから一緒にすんな」
いつもよりだいぶ目線が近くなって、彼の目を見てにやっと笑うとデコピンが飛んできた。婚約者になってもほんと容赦ない。
「折角だから陣平も一度くらい試着してくれたらいいのに。タキシード」
「俺は制服があるからいいんだよ」
今日は結婚式前の最後の衣装合わせだ。私と担当のスタッフさんとで何度か一度だけでもと陣平にタキシードの試着を提案したが、頑なに柄じゃねぇという理由で着てくれなかった。絶対似合うと思うのに本当に陣平はケチだ。
「で、お前これ歩けんのか」
プリンセスラインの正統派のウエディングドレスは裾が長く、正直この慣れないヒールで歩くのは怖い。そして意外と重いブーケを持って歩くのは肩が凝ることが前撮りでわかったし、あとはもう気合いでどうにかするしかない。
「転ぶときは一蓮托生でお願いします」
「ぜってーやだ」
即答で返ってきた答えはある意味予定調和のものだが、やはりなんかちょっと悔しい。もはや喧嘩のたびの定番となった「わかってたけどヒドイ、陣平の馬鹿、嫌い」という台詞を面白半分で口にすると陣平の口角が緩やかなカーブを描いた。
「俺は愛してる」
その笑い方があまりにも優しくて格好よくて私は反撃の言葉を失って足下のヒールを見た。今思い返すと私が何か困ったときは必ず陣平が側に居てくれた気がする。レースアップされた華奢なヒールにスワロフスキーが毅然と輝く。多分、一生私はこの幼馴染みにに敵いっこないけれど、明るい未来しか想像できなくて、堪らず私は陣平に抱きついた。