スレイは弟分のようなものだ。
年齢こそ同じだが、僕の方が数ヶ月先に生まれている。加えてスレイは未熟児で生まれたせいか子供の頃は随分小柄だったから、よく世話を焼いてやったものだ。
長じるにつれ僕より背が伸びて逞しくなったものの、やはり精神的には僕の方が兄貴分だと言う自負がある。いくら大きくなってもスレイはスレイだ。人間、性格はそう変わらない。
先刻から高い電子音が鳴り響いている。止める者のないその音はだんだん強くなっていって、不快感が増していく。眠っている人間を起こすためのものだから当然と言えば当然だ。目覚ましは悪くない。悪いのはこうまでしても起きない人間の方だ。
「スレイ、もう起きる時間だぞ」
寝ていることを承知でドアを開けたが答えはない。こんなに煩いのによく寝ていられるものだ。
ふわふわと笑みを浮かべながら幸福そうに眠る部屋の主を軽く叩いてみる。年頃の男子にしてはかわいらしいパステルカラーのシーツは、寝返りを打ったせいか乱れていた。
むにゃむにゃと不明瞭な声をあげるばかりで目を覚ます気配のないスレイにため息をついて、耳を引っ張る。
「いい加減起きないか!遅刻するぞ!」
「んん……なんだよ……」
なんだよはこちらの台詞だ。月曜日の朝から寝坊とは全くいい度胸だ。
「早く起きないと学校に遅れる。君が起きないなら先に行くぞ」
「うう……起きる起きる……」
脅し文句が聞いたのか、まだ眠たそうではあるもののふらふらと上体を起こした幼馴染みにともかく安堵する。僕が先に行ったら起こす人間がいないと分かっているんだろう。
青いパジャマのボタンを外しながら、スレイはふわあとあくびをした。昨夜また徹夜で本でも読んでいたのだろうか、全く。
「ミクリオ、朝ご飯なに?」
「昨日焼いたパンとスコッチエッグ。デザートはフルーツヨーグルト」
「……あー、聞いてたらお腹減った」
「朝起きて腹が減るのは健康な証拠らしいぞ」
へえ、と子供みたいなしぐさで頷くスレイの体つきはしっかりしていて、体格だけを見ると大人びて見える。僕より年上だと勘違いされる最大の要因はこの体格差にあった。スレイと比べて筋肉の付きにくい、薄い体をした僕は年より幼く見られてしまう。骨格もまだ成長しきっていない。背はもっと伸びるはずだと信じているが、今のところ頭一つ分水を開けられている。
だけど僕の方が精神的には大人だ。朝はこうして僕が起こしてやらないとなかなか起きないし、ネクタイだって満足に結べない。本に熱中しすぎて食事をしないこともあるから、おやつを作ってやったりもする。そんなだから、僕がそばにいてやらないと心配だ。
誤解を与えないように言っておくと、普段のスレイは同年代の中でもしっかりしている。興味が片寄りがちだが頭は良いし、礼儀もわきまえている。他人の前ではしっかりするのに僕の前だと子供みたいになるのは甘えもあるのだろう。田舎者だからかやや世間ずれしている点について致命的ではない。ない、はずだ。きっと。……僕も田舎者だから、断言するのは難しい。
「支度してから朝食にしよう。ちゃんと着替えてから来るんだよ」
「ん、サンキュ、ミクリオ」
「はいはい」
これじゃ幼馴染みと言うより母子だ。自分で思って可笑しくなって小さく笑うと、若草色の瞳が不思議そうに僕を見つめていた。




僕らの故郷は山奥の、空気がきれいな村だ。村の人間は家畜の数より少なくて、全員が知り合いな小さな集落。住人はほとんど家族のようなものだ。
子供と呼べる人間は僕たちしかいなかった。早くに親を亡くした僕たちを義父であるジイジが引き取ってくれて、僕とスレイは兄弟のように育ってきた。義父といってもジイジはかなりの高齢だから見た目には祖父と孫に見えるだろう。
幸せに育ってきた僕らが、こうして都会に出てきた理由は単純だ。勉強がしたかったのだ。古い本や貴重な史料が残っている故郷でも勉強はできたけれど、僕らの知的好奇心はそれだけでは満たされなくなっていたのだ。
中学はなんとか越境して通うことができたけれど、高校となればそうはいかない。なんせ電車が二時間に一本来るかどうかの田舎なのだ。加えて言えば、僕らの家から最寄りの駅まで自転車を飛ばして一時間はかかる。地元から高校に通うのは無理だ、というのはスレイと僕の共通見解だった。
そうなると僕たちは故郷を離れて二人で暮らさないといけない。違う学校に通う必要性は今のところ無いので、そうなると二人で住んで少しでも生活費を減らすべきだ、という結論に達した。こういうとき、男同士でよかったと思う。
初めはアルバイトをしながら夜学にでも通おうかとも思っていたのだ。そこから奨学金のある大学を目指すのも悪くないと思った。あれは中学の二年頃だったか、そんな話をしたら思いきり雷を落とされてしまった。「そのくらい考えてないとでも思ったか、見くびるでない」って。おまけに「世間知らずのお前たちに都会でいきなり働くことなどできはせんよ」とも言われた。全くもってごもっともだ。
質素な生活をしていたからお金がないのじゃないかと思っていたけれども、それは杞憂だったようだ。僕とスレイ二人分の進学費用をぽんと出してくれて、出世払いでいい、なんて言ってくれた。不景気のこの世の中、大学までの費用がどれくらいかかるのかくらい世間知らずの僕たちでも知っていた。ジイジにはとても頭が上がらない。血の繋がりのない僕たちを何不自由なく育ててくれた人はとても厳しくてやさしいひとだ。
ジイジは僕とスレイのことをとてもよくわかっていたようだ。親とはそういうものなのかもしれない。ジイジには一生勝てる気がしないよと笑ったスレイの言葉に僕は苦笑して賛同したのだった。
当面の生活費をやりくりしながら、僕とスレイは高校に通っている。住んでいるのは学校から徒歩で十分ほどの場所にあるマンションの一室だ。部屋はそれぞれにひとつと、台所を兼ねたリビングが一つ。あとは洗面所と風呂とトイレがあって、それなりに快適だ。日当たりも悪くない。
一人だったらもっと手狭で安い部屋を借りていただろうな、とは思う。二人分だから少しばかり広い場所が必要だ。生計を同じにしているおかげで浮くお金もあるので、結果的には節約できている部分も多いんじゃないだろうか。
「……よし」
玄関先で眼鏡をかけて、鞄を背負う。本来目の良い僕が眼鏡をかけるのは童顔を隠すために他ならない。家にはどうせスレイしかいないから必要ないのだけど、外ではそうもいかない。都会にはいろんな人間がいるのだ、少しでも舐められないようにしなければならない。こちらへ来るとき、マイセンやカイムに随分と脅されたものだ。からかい半分だったろうとは思うが、警戒しておいて悪いことはない。
軽い足音を立てて向かってくるスレイはいつも通り、学校指定の制服の上から茶色のカーディガンを羽織っていた。着こなし方のせいか髪型のせいか、地味な僕と違って垢抜けて見える気がする。僕には真似できないし、するつもりもない。第一、派手な服装は僕には似合わない。
「お待たせ」
「ああ。行くよ」
へらりと笑った顔は年相応に幼い。今年十六になるはずの幼馴染みはいつだって無邪気だ。僕の方はとうに誕生日を迎えているので、スレイが十六になるまでのすこしの間僕は年上になる。
鍵をしっかりかけるのを確認してから、外に出る。既に空気は暖かく、空も青みを増していた。
「課題はきちんとやったのか?」
「数学と古典だろ?ちゃんとやったよ」
「それならいいけど。忘れ物はない?弁当は持ったよな」
「持ってる持ってる。ミクリオは心配性だなあ」
「そうかもね。誰かさんが心配しなくて済むくらいしっかりしてくれたらいいんだけど」
「あはは」
都合が悪くなると笑うのは悪い癖だと思う。まあ、仕方ない。兄弟みたいに育ったから、スレイは末っ子のようなものなのだ。下の子は甘え上手だと聞く。
ああ、いやいや。甘やかさないようにしないと。僕はスレイがちゃんと正しい大人になれるように導いてやらないといけないのだから。
時計の針は朝の七時半を指している。今日は快晴だ。



スレイはいいやつだけど欠点はたくさんある。例えば子供っぽいとか、純すぎるとか、言い出したら聞かないとか。
最近発覚した問題はどうにも鈍感だ、ということだ。故郷には年の離れた大人たちしかいなかったからか、恋愛事にはどうにも鈍い。だから無用のトラブルを抱え込んだり、おかしなことに巻き込まれたり、そうでなくても想いを寄せられたりする。
ちょうど、今のように。
「好きです、付き合ってください」
(……ああ、またか)
悪いところに遭遇した。
体育館の裏の、人気のない空き地。恋が叶うと噂のある大木の下に、二人の人影が向かい合うようにして立っていた。
告白をしているのは、小柄で長い黒髪の女生徒だった。その相手は僕のよく知る幼馴染み。僕の位置からはスレイの顔を見ることはできないが、女生徒の顔はよく見える。目がぱっちりとした、可愛い女の子だった。
勿論、わざわざ告白の現場を見に行くほど趣味は悪くない。委員会が早く終わったから、体育館までスレイを迎えにいこうと思ったのだ。だけどこれなら時間を空けた方が良かったかもしれない。
まあ、この光景も見慣れたものだけれど。
そう、スレイは大層もてる。故郷にいた頃には考えもしなかったのだが、スレイは女子を無自覚に惚れさせてしまうようだ。
確かに幼馴染みの贔屓目を抜いてもスレイはかっこいい。背はそれなりに高いし、武道を嗜むために体格も男らしい。顔はやや童顔で表情も豊かだが、黙っているとなかなか精悍な顔立ちだ。そのギャップが魅力的と言えなくもない。性格も誠実で誰にでも優しいから、女子に好かれるのもわからなくはない。地味で目立たない僕と違ってスレイはもてるのだ。
ただ一つ問題があるとすれば。
「ごめん。オレ、恋人作るつもりないから」
「そんな……」
ああ、またこれだ。二人に聞こえないように内心ため息をつく。
折角告白してくれた彼女には気の毒なことだが、スレイは昔からこうなのだ。恋愛より歴史や武術の稽古の方ばかりに目を向けてしまって、この年になって浮いた話の一つもない。
どんな子が好きなんだ、と聞いたことがある。高校に入って間もなく、スレイが告白を断っているのを初めて見た日だった。その時スレイはさらりとこう言った。
「歴史とか遺跡の話とかできて、一緒に遊べて、オレのこと分かってくれる子。同い年で」
「……そんな女の子、なかなかいないぞ。歴史マニアで、古代専門で、おまけに年の近い子なんて探す方が苦労する」
大学なら歴史専攻の女子を探すのはまだ容易いかもしれないが、高校でとなると至難の技だ。女子の歴史マニアだってこの高校に何人かはいるかもしれないけれど、好きな時代が重なるか分からない。遺跡好きは歴史好きの中でもマイナーな方だろう。
一応存在する歴史研究会は幽霊部員ばかりで、それなら二人で調べものをしている方が余程有意義だと結論付けた。都会には娯楽が多すぎるから同好の士とは出会いにくいのだろうか。僕らが特殊な育ち方をしただけかもしれない。
「そうかもね。そんな女の子はいないかもな」
変に悟ったような笑みを浮かべるものだから、僕は慰めてやったものだ。いつか君にも運命の相手が現れるよ、なんて月並みな台詞を。スレイは少し寂しげに笑っていた気がする。でも僕には他にかけてやれる言葉がなかった。
恋愛が分かっていないんだろうな、と思った。スレイのあげた条件は恋人を作るにはそぐわない。一緒に楽しいことをしたい相手、なら友達だ。恋愛というのはもっとこう、苦しくて辛くて、楽しいだけのものじゃない。恋人がいたことなんてないけれど、僕の恋愛観はそうだ。
どうかこの鈍感な幼馴染みのために素敵な出会いがありますように、と願っていたのだが、どうやら今回も違ったらしい。女の子は泣いていて、顔の見えないスレイは気まずげにしているのが分かる。
涙を浮かべた女の子の顔はひどく痛ましく、こちらまで胸が痛む。失恋はさぞや辛いだろう。断る側のスレイもつらいだろうな。女の子を泣かせて平気な男なんていない。
だが、泣き濡れていた彼女は僕が思っていたより気が強い女の子だったらしい。顔をきっと上げると、スレイの瞳をまっすぐ見つめた。
「どうしてですか。そんなに忙しいんですか」
「うん……まあ、それもあるかな」
曖昧な答えに納得しなかったらしい彼女は不服そうに距離を詰めた。積極的に押すのは寧ろ賢いかもしれない。鈍感なスレイには強気な子の方が丁度良いのかも。
「私、貴方に好かれるために努力します、好かれるように変わってみせます!だからお願いです。私と付き合ってみてくれませんか」
うーん、なるほど。ちょっと押し付けがましいと言えなくはないが、熱意は買いたい。スレイに好かれるために歴史や遺跡の勉強をするのかな。そうしていくうちに本当に心が通うようになれば僥幸だ。うまく行くかは知らないけど、本当に付き合うなら見守ってやりたい。
さて、スレイはどう答えるだろう。
「ごめん。オレ、好きな人がいるんだ」
(……おや?)
どうやら雲行きが怪しい。スレイは嘘をつくような男じゃない。彼女を傷つけないためだとしても咄嗟にそんな台詞が出てくるほど器用じゃない。
「好きな人……」
「うん。だから、君とは付き合えない。ごめんね」
「そう、ですか」
女生徒の声は濡れていて、関係のない僕の胸まで傷んだ。もう一度ごめんね、と謝る声は優しくて、ずるい。だって、彼女も許さざるを得ないだろうから。
「……分かりました。ごめんなさい」
「うん、ありがとう」
女生徒は深々と頭を下げた。長い髪がさらりと流れて、艶々と輝く。いい子だなと思った。綺麗な子だろうに、勿体ないーーなんて、今までならそう思っていたのだろうけど。
好きな子がいると言う。それなら、どんなに綺麗でかわいい子だって勝てるわけがない。僕の親友は誠実で一途な男だ。
「好きな子、か」
二人には気づかれないようにその場を離れながら、小さく呟く。あの鈍感で子供なスレイに好きな子が。それはどんな子なのだろう。色々と想像してみて、ふと笑みが零れた。
スレイにもようやく思春期が来たか、と感慨深い気持ちになる。純粋で鈍感な幼馴染みは恋愛事に興味が薄すぎて心配だったのだ。いいやつだしあの通りもてるのに勿体ないといつも思っていたのだが。
そうか、ようやく。長かったけれど、ようやくだ。良かった。願わくは、その子とスレイが同じ想いであればいいのだが。
さて、その幸運な女子はどんな子だろう。可愛らしい年下の子か、それとも年上の綺麗な女性か。スレイの選ぶ人だから間違いなんてないと思いつつ、心配してしまうのは僕の悪い癖だ。
待ち合わせ場所だった正面玄関に向かうと、そこにはすでにスレイがいた。あの子とはもう別れたのだろうか。いや、失恋した男と一緒にいるのは辛いだろうから、気を使ったのかもしれない。なんにせよ僕はなにも見なかったことにしないとな。さっき見た光景は胸にしまって、スレイに素知らぬ顔で声をかけた。
「お待たせ、スレイ」
「ううん、オレも今来たとこ」
「それなら良かったよ」
少し高いところにある笑顔を見つめながら、この会話はまるでデートみたいだな、なんて少し笑ってしまった。



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