夢を見る時の感覚を身体が覚えている。ふわりと身体が空中に浮かぶようだ。それでいて胸の辺りが重苦しいのは、きっと同じ悪夢を見ているせいだろう。
白く滲んだ空間にほんのりと影が落ちている。
あのときからずっと、毎日同じ夢を見る。今日もまた、銀の美しい髪の小柄な少年が目の前に佇んでいた。
少女のような愛くるしい衣装を身に纏った彼は、リノリウムの床にパンプスの音を響かせて歩いてきた。
白い空間には他になにもない。彼だけが白い空間に色を纏って浮かんでいるように見えた。僕のことも彼はそう見えているのかもしれない。顔を俯けているせいで長い前髪に表情が隠れている。それでも、彼が恨みの籠った目をしているのがわかってしまう。
綺麗というよりは可愛らしい顔を苦しそうに歪めて彼は口を開く。続く言葉を知っているはずなのに、僕はまた別の言葉が発せられるのを期待してしまう。ーーそうして期待を裏切られることを知っているのに。
『……俺が死んだのはエリーのせいなのに。どうして平気で生きてるの?』
「ごめんね、雪永…」
血を吐くような思いで呟いた言葉を、冷えきった蒼い眼が切って捨てた。



モノクローム・ナイトメア



夢見が最悪になったのはあの時から。雪永が自ら命を落としてから――否、認めよう。僕のせいで彼が死んでしまってから、毎日雪永は僕の夢に現れて僕を責め立てた。
恨まれているのはわかっているはずだったのに、いざ夢の中で責められて僕はひどく動揺した。泣いてすがり付いてしまったことさえある。けれど雪永は一切の謝罪も懇願も受け入れてはくれなかった。冷たい感情のこもらない視線で僕を睨み付けるのみだ。
「……雪永、」
そんなに僕を恨んでいるんだね。
恨まれていることを自覚しても、僕はどうすれば良いのかわからなかった。幸せになるな、と彼は言う。だから僕はまず、他の人間との接触を断った。生前の雪永は僕が他の人と話すとすぐに嫌な顔をしたから。先生の質問や用事でなければ答えないようにした。反感を買っている自覚はあったけれど仕方がない。けれど雪永は毎日夢に現れて呪いの言葉を吐いた。
次に食事を摂るのを控えた。食べずに餓死したら許してくれるだろうか、と思ったこともあったけれど、もしそうでなかったら死んですら許してくれないことになる。それはあまりに悲しすぎたからやめた。最低限の食事しか取らなくなった僕はみるみる痩せて、今では自分の服でさえ大きい有り様だった。当然ながら顔色も良くはなくて、幽霊みたいになってしまった。夢は終わらなかった。
最後に学校にいくのをやめた。勉強は好きだったし先生やともだちが心配してくれたけど仕方がない。雪永が望んでいるのなら僕は我慢しないと。
最後に学校に行った日、疾風先生はそんなに自分を責めるなと言ってくれた。ちゃんと飯を食べろと言ってくれたのが少し嬉しかった。そうやって心配してもらえる資格なんてないのだけど、先生は優しいからそんな風に気を使ってくれる。痩せた僕の腕が片手で掴めてしまったことに彼はひどく悲しそうな顔をしていた。一回り小さくなった僕のことを子供のようだと言って、いつもより優しい手つきで撫でてくれた。そうされると久しぶりに人間に戻れた気がした。
その日の夢は一番ひどかった。言葉にできないくらい、思い出したくもないくらい。雪永はそういえば彼のことを疎んじていたのだったか。もう会わないから、先生に迷惑をかけたりしないから。何度も泣いて、ようやっと目が覚めたのは昼前のことだった。
雪永はどうやったら赦してくれるのだろう。赦してくれないなら諦めるしかないのかも知れないけど、それでは彼が成仏できない。それはよくない。雪永はちゃんと天国に行って幸せにならなくては。僕は地獄に堕ちるのだろうけど。
「……雪永、ごめんね」
小さく呟いた謝罪なんて、きっと彼は聞いてすらくれない。




買い物にいかなければ、と考えに至ったのは夕方のことだった。ここしばらくちゃんとした食事を取っていなかった。エネルギーを摂取していないせいか頭の巡りがよくない。
力なく横たわっていたベッドからふらふらと立ち上がる。僕の脚はまた細くなった。過剰なダイエットしている女の子みたいだ。雪永が痩せたいと言いながらも甘いものを食べたがるのを思い出して少し笑みがこぼれた。雪永のことを思い出して笑うことだけは赦してくれると思いたい。
財布と肩掛け鞄だけを持って部屋を出る。服はみんな大きくなってしまったからぶかぶかだ。久々に出た外の世界は通常通りに回っていた。太陽が既に落ちかけていて、秋がきたのだと思った。
アスファルトを踏みしめて町を歩く。黒と白のコントラストが目に痛い。色の抜け落ちた世界で生きているせいかもしれない。
近所のスーパーは歩いて十分もかからない。まだ会社やビルには煌々と灯りがついて人がいることを知らせる。サイズの合わない服を着た僕は異様に映るのだろう、何人かが訝しげにこちらを見た。年齢のせいもあるのだろう、僕は本来学校へいかなければならない年齢だから。
けれどそんなものは些末だ。雪永の、あの視線だけで僕を殺せそうな目と比べたら。僕をうらんで、不幸になることだけを願う瞳。それが雪永のものでなければ耐えられたかもしれないのに。
ひとつ唇を噛んで思考を止める。彼のことを考え始めると止まらない。きちんと目的を果たして、家に帰ってからまた考えよう。何かしながら罪悪感を抱くのでは痛みが足りない。
人の多い店内を普段と同じルートで歩く。この頃僕が買うのはもっぱらレトルトのおかゆだ。固形物は胃が受け付けなくなりつつある。安物のそれはどろりとしていて、味つけがされていない。すきなものを食べるときっと雪永は怒るだろう。これだったら許してくれるのじゃないかな、と甘いことを考えている。
レジで精算を終え、お粥だけの入ったスーパー袋を提げながら夜道を歩く。街灯の灯りが如何にも頼りない。暗い夜の町にひとりぼっちだ。雪永がいなくなってから僕は独りになってしまった。心も体も一人きり。
夜の町は静かで、なにも聞こえない。人影すらない狭い路地裏をわざわざ通るのは人の視線を煩わしく感じたせいだ。それに幸せそうな人々を見るのがいやだった。雪永はもうあんなふうに笑えないのに。笑い声や怒る声を思いだして哀惜に浸る。
コツ、と僕のものではない靴音が聞こえたのは家の灯りが見えかけたところだった。あれ、と思う以前に、大きな手が背後から僕の体を掻き抱くように目の前に伸びてきた。
「痛っ、」
あげかけた悲鳴が大きな手に阻まれる。薄く開いた唇に野太い指が突っ込まれて息が止まる。反転した視界の先には四十かそこらの男の顔。ひどく冷たいのに異様な熱の籠った瞳が僕を静かにとらえていた。少女向けの人形のような不健康に痩せた体からはすっかり筋肉が落ちて、抵抗などできそうもなかった。
覆い被さった体からは汗と煙草の混ざりあった臭いがした。あたまがぐわんと鳴る。
服の破れる乾いた音を他人事のように聞いた。



鍵を開けて、よろめきながら部屋の中に倒れ込んだ。酷い目眩がしている。床の冷たさが頬に伝わってきてどうしてか泣きたくなった。
どうやって帰ってきたのだったか。思い出そうとしても思考が繋がらない。おざなりだが着ていった筈の服は襤褸を纏っているようになっていて、不審者として通報されなかったのが幸いだと思うほどだった。それとも、かかわり合いになりたくなかったのか。
たくさん掃除をしたのに、いろんな液体で綺麗に磨いた床がひどく汚れてしまっていた。僕は汚い。汚いから、雪永はそばにいてくれなくなった。泣きたい気がしたけれど、雪永はきっとこんな苦しみなんてたいしたことないっていうのだろう。自殺を考えるほどじゃない。雪永のほうがずっと痛かった。
「……さむい、」
頭の中が真っ黒になってきて、体から力が抜ける。瞼が自然に下りた。ひどい頭痛に思考が塗り潰されていく。
目を開けると、目の前に長い髪の小柄な少年が佇んでいた。ゆきなが、と声をかけるとひどく枯れた声になっていて、夢の中と現実がリンクしているようだと思った。体にちからが入らないのも同じだ。
床に倒れ込んで青ざめた顔で見上げる僕を、雪永はいつもの眼で見つめていた。きっとまた同じことを言われるのだろうと怯えながら待つ。審判を待つ者は皆こんな思いをしているのだろうか。そうであるならば、これも罰なのだろう。僕は雪永に殺されるのかもしれない。
『……』
続きの言葉がないのを不思議に思ったが、首を上げることすら億劫だった。目線だけをあげて彼を見遣ると、雪永の桃色の唇が吊り上がっていた。
あ、と唇がわななく。眦から涙が零れて溢れた。
やっと。やっと、笑ってくれた。久々に見た彼の笑顔は子供みたいに無邪気でどことなくイタズラっぽくて、死んでしまっても変わらないのだと思えた。彼の笑顔が僕は本当に好きだった。
思わず力の抜けた笑みを浮かべるとさっと雪永の顔が元の無表情に戻って泣きたくなった。彼の名を呼ぶために口を開くと、脇腹に酷い痛みが沸く。思わず咳き込むと、口の中が切れたせいか床に赤色の泡が溢れた。真白い空間が僕のせいで汚れてしまう。呼吸が止まって苦しい上に肺腑が切りつけられたように痛む。何度も何度も咳き込んで、そのたび血液が白い地面を汚した。
ふと見上げると雪永の顔がまた笑顔に戻った。体からちからが抜ける。安堵のためだ。
「雪永、」
なんとなくと得心がいって自然顔が綻ぶ。そうか。そういうことか。僕が不幸になれば、君は喜ぶんだね。よかった、君を幸せにする方法を見つけることができて。
生きていた頃は君を怒らせたり泣かせたりしてばかりだったけれど、やっと笑ってくれて僕はすごく嬉しいよ。生きている頃に幸せにしてあげられたらよかったのにね。
痛む体を無理矢理起こして楽しげな彼に笑いかけて見せると、蒼い瞳が細められた気がした。



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