夏も終わり、もう日が沈むのもだいぶはやくなってきた。オレンジの光に包まれていくこの特別広いわけじゃない教室で、今日も彼を待つ。

3−2、いや、この学年、いや、この四天宝寺で知らない人はきっといないんだろうテニス部の部長、白石蔵ノ介は平凡極まりない元同じクラスだった人にしか存在を知られていないようなわたし、苗字なまえの彼氏だ。そして今目の前にいる愛すべき親友、一ノ瀬凜は蔵くんの部活仲間の忍足謙也くんと絶賛お付き合い中だ。全国大会が終わってもう三年生は引退したはずなのに余程後輩が心配なのか、それともテニスから離れられないのか、指導の名の元に夏までと変わらない様子で暗くなるまで部活を続ける彼等を凜と二人で待つのはもう恒例のことで。宿題をしたり、他愛のない話をしながら待つのだ。


「でな、そん時の謙也がもうかっこよくて…なまえは白石とはどうなん?」
「蔵くんはいつもかっこいいよ。なんか落ち着いてて、逆に慣れてる感じっていうのかな。」
「へぇ〜そうなんや!イメージ通りやんなあ?」
「うーん、それはそうなんだけど。」


何事も基本に忠実に、まさに聖書のような完璧さを常に求めている彼。手を繋ぐのだって誘ってくれるのだってキスをするときだって全部彼から。嬉しい、けどわたしは蔵くんが照れてたりとか、見たことない。いつも優しく指を絡ませられて恥ずかしくなって俯いてしまうのはわたしだけで、そんなわたしをみて蔵くんははよ慣れな、と笑っている。


「…求めすぎなんちゃう?それは。」
「不満とかじゃないんだよ」
「…たしかに謙也は照れたり恥ずかしくなってそっぽ向いたりするけどな、それは個々の性格によってやろ。あの白石が好きでもない奴と4ヶ月も続くとは思わんし。それ以前に付きあわんやろ。」


でも、告白したのはこっちからで、何より、わたし蔵くんに好きって言ってもらったことないんだよ。なんだかすごい温度差っていうのかな、そういうのを感じるの。
世間一般に見れば完璧な彼氏。褒めてくれるときの優しく髪を撫でる指先も、隣でいつも見る笑顔も、一つ一つの気遣いが見て取れるようなその声でさえも。


聖書ゆえの、無機質な空気が漂うの。



「でも仕方ないことなのかなあ、多分蔵くんはわたしの存在を知ったのがわたしが告白したときだし、嫌そうな顔されないだけましなのかな、いや、そういうことを表面に出す人じゃないのはわかってるよ」
「じゃあ好きでもないやつと付き合わへん奴やってこともわかっとるやろ?」
「それは…どうなのかな、気の迷いってことも…」

「…っ本気で言っとるん、それ…?」



決して大きな声だったわけじゃない。むしろ彼らしくない震えたような声だった。…いつらかいたの、どこから聞いてたの、その動揺はどういう意味なの、どの言葉も声になることはなかった。
つかつかと大股で机の間を歩き目の前まで歩いて来る蔵くん。座っているわたしを見下ろし、口を開けたかと思うとすぐに閉じた。


「…え、」


がたがた、と椅子が倒れた音がした。蔵くんはわたしの腕を掴んで引っ張り、教室を出て走りはじめた。一度も振り返らずに階段を駆け上がって、屋上のドアを開ける。



「…俺は、気の迷いなんかあらへん」
「ご、ごめん、あの、なんていうかあれは本心じゃないから…」
「でも俺となまえの温度差については本心なんやろ?」
「それは…」



続く言葉を発しようとしたが、蔵くんの腕がわたしを包み込んだことによってそれは叶わなかった。ぎゅう、と音がしそうなほど強く抱きしめられて、首筋に顔を埋められる。何にも伝わらん、と消えそうな声で蔵くんがきり出した。



「こんなに想っとんのに何にも伝わらん…ずっとずっと、多分お前が俺んことを知るより前から気になってたんや。…やっと実ったんや、台なしになんてしたない。お前の、なまえの前では完璧な俺でおりたい。」
「…蔵くん、」
「どうすればいいんや…っ」



堪忍、でも好きなんや、そう呟く声が首筋を振動させるのを感じた。つまり、わたしは蔵くんがそう思ってるなんて知らなかった。そして蔵くんもわたしがそんなことで幻滅しないってことを知らなかった。ただそれだけなんだ。だってわたしたちは全然話したこともなかったのに付き合ってしまったんだから。でも、それでも両想いだったって凄いんじゃないかな。



「わたしも…だから、これから少しずつでも蔵くんが完璧じゃなくても全然いいんだって証明してくから」
「ははっそれは楽しみや。俺もなまえがもうあんなこと思わんように完璧に愛情注いだる」



蔵くんの腰に腕を回して、見上げると蔵くんもこっちを見ていた。その優しい顔も、後ろに出ている夕焼けも完璧としか言いようがなくて、これを崩すのは大変だと思った。




20120429





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