音楽隊の奏でる間抜けな音楽が一瞬、私の耳を通り抜けていく。誰かの悲鳴と泣き叫ぶ声でまた現実に引き戻された。

 クィディッチ競技場のスタンドの一番上から虚ろに見開かれたグレーの目を見つけ、頭を何かで殴られたような衝撃が走る。生き残った男の子と呼ばれた眼鏡の少年が何かを必死に訴えかけていて、大人達がそこへ慌てたように集まっていく。

 私は周りの群衆と同じように、彼の元へと走ることが出来ず喧騒に包まれた現場を見下ろしながら立つだけだった。代わりにカラカラになった喉から自分の声を絞り出す。


「馬鹿じゃないの」



 私達は最初から馬が合わなかった。口も性格も悪い私と、誰にでも優しく温和な彼。よく私はハッフルパフ寮に組み分けされたことを間違いだったと言われるし、彼は誰もが口を揃えてハッフルパフに相応しいと評価する。私達はテストの成績でも常に一位二位を争っていたし、クィディッチのチームではシーカーの座を取り合っていた。


「君は僕の何がそんなに気に入らないんだ?」

「あなたの全てが」


 ある日、軽い言い争いの末ティゴリーがそう言った。イライラを隠そうとしない声色で投げかけられた質問に、私が吐き捨てるように答えるとティゴリーが不快そうに眉を顰める。端正な顔を歪めて今にも舌打ちをしそうな勢いであった。彼が他人に対してこんな顔をするのはきっと私以外には誰もいない。私はそれに優越感を覚えていた。


「僕だって、皆が言うほどパーフェクトじゃない」

「そんなの分かってる」


 今更何を言ってるの、と私が嘲笑って言えば、ティゴリーは眉間に皺を寄せてむっつりと黙り込む。その表情に、私は内心ニンマリとほくそ笑んだ。
 私は、誰にでも良い顔をしてニコニコしている彼が気に食わなかった。困っている人がいればすぐに手を貸し、フェアな態度であり続けるその善良さが。彼に想いを寄せている人間が沢山いて、それは今年開催された三校対抗試合の代表選手に選ばれたことでより拍車をかけていた。だけど、彼だって怒ったり、憎しみを抱いたり、嫉妬したり、そういう人間臭い感情を持っているに決まっている。そのパーフェクトではないティゴリーを知っている人間はきっとほんの数人程度だろう。私はティゴリーの“ その他大勢”であることに耐えられなかった。


「君はいつも僕に突っかかってくるな」

「あなたの事が嫌いなの」


 どうやら言葉を思い出したらしいティゴリーが私を横目で見ながら口を開く。それに対して私は、彼に嫌味たっぷりにそう答えた。周りとは違う印象を残す為、ティゴリーに傷跡を残す事に情熱を注いでいたと言っても過言では無い。
 しかしその瞬間、ティゴリーが私の腕をグッと掴む。私はそのまま身体を廊下の壁に打ちつけられた。思ってもみなかった、突然の乱暴な衝撃に息が一瞬止まる。背中の痛みに奥歯を噛み締め彼を睨めば、ティゴリーは何とも形容し難い表情で私を見つめ返した。


「なら僕に近寄らなければいいだけだろ」


 図星を突かれた私は、誤魔化すために掴まれた腕を左右に振る。それでも離れないティゴリーの手は、それどころかますます力が強くなった。どうやら相当怒っているようだ。ここまで怒るとは思ってもおらず、少し狼狽えた私の様子をティゴリーは静かに伺っていた。その目を見て自覚しそうになった自分の感情に気付かない振りをして、再びティゴリーを睨みつける。「離して」絞り出すように言ったそれに返事は無い。代わりにするり、と大きな手のひらが私の頬を撫でた。その端正な顔立ちとは反対にゴツゴツと関節の目立つ、けれど綺麗に爪が整えられた指は、冷たい風に当てられて温度の下がった私の頬とは対照的にとても暖かだった。

 長い指が目元をなぞり、耳朶に触れ、顎の輪郭を確かめる。その行為の意味も不意に近付いてきたティゴリーの顔が意味することも分からず、私は目を閉じることすら忘れ、ただその場に棒立ちになるだけだった。ティゴリーが目をそっと開きながら、私から顔を離す。たった数秒の温もりの意味を理解してすぐにティゴリーから離れようとすれば、彼の刺すような視線がそれを阻んだ。
 再び頬を優しく撫でる感触に、私の意志とは反対に肩が大きく揺れる。ティゴリーはもう一度軽く目を閉じると、私の目尻に一つ唇を落とす。

 頬に添えられていた手のひらが名残惜しそうに私の髪を拾い、耳にかけた。ティゴリーのグレーの目が無遠慮に私の目の奥を覗き込む。


「君は、いつかきっと後悔するだろうね」


 その時の私が、一体どんな顔をしていたのかは分からない。けれど、さっきよりも遥かに私の頬が熱を持っていたのだけは確かだった。軽蔑したような眼差しを私に向けて、一度も振り返ることなく去っていったティゴリーの背中を追いかけることすら出来なかった。あの時ティゴリーの背中を追いかけていたら何か変わっていたのだろうか。

 
 今となってはもう分からないことである。恐怖と混乱に満ちた周りの人間達の表情と、ピクリとも動かない──クィディッチピッチに横たわったままのティゴリーの姿に、その場にいた何人かの生徒がワッと涙を流す。

 何が起こったのかは分からない。けれど、ティゴリーは死んだらしい。

 身体がくらりと揺れ、視界が白む。その事実から逃げようとした足に力を込め、何とかその場に留まった。


「馬鹿じゃないの」


 死んだティゴリーを見下ろしながら吐き出す。喉はカラカラで、僅かに声が震えていた。「名誉の為に死んでりゃ世話ないわね」私の精一杯の強がりを聞いた、黄色のネクタイを身に着けた女子生徒が私を振り返った。彼女は声の主が私だと認識するや否や、涙を流しながらこちらを睨みつける。「貴方って本当に最低ね」それには返事を返さず、鼻で笑った。

 風が私の頬を撫で通り過ぎていくのを感じ、乱された髪をそっと手で押さえつける。ティゴリーは死んだのだ。おかげで私はティゴリーと話す時の息苦しさや手の震えから解放される。ただそれだけ。

 風はひんやりと、私の身体を冷やしていく。それを暖めるゴツゴツとした手はもう無くて、唇をぎゅっと噛み締める。今ならティゴリーの言った言葉の意味を理解出来る気がした。私はあの日の温もりを確かに求めていて、くだらない強がりなんかじゃなくせめて大声で泣くことが出来れば良かったのかもしれない。だけど、ティゴリーの背中を追いかけなかった私には恐らくその資格すらないのだろう。あれだけ自分が嫌がっていた、その他大勢に分類されていた人間が彼への想いを隠すことなく涙を流しているのを羨ましいとすら思う。

 私はこの馬鹿げた感情をなんと呼ぶか、本当は遠の昔に知っていたというのに。





(素直なんて言葉は知らない)
絵画の証言様へ提出




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