同じクラスの花宮真という男は、それはもう驚くほどに非の打ち所のない男である。顔はもちろん格好良くて、いつだって優しくて、頭も良くて、運動も出来て、きっと好き嫌いなんてせずに何でも食べて、多分私と違って神様が大張り切りで作ってしまった奇跡の人。その奇跡を私にも少し分けて欲しかったと思うくらい。今だってほら、男子が教室の出入口で固まっていて出られなくなっていた私を救うように、後ろから優しく彼らに注意をしてくれた。


「みょうじさんが通れなくなって困っているだろ?」


 そうほほ笑んで、彼らを少しも不快にさせることなく退かしてしまった。私がありがとうとお礼を言えば、「気にしないで」とまた笑う。私は同じクラスでありながら彼のことはよく知らないが、きっと私生活でも些細なことで怒ることなどなく、きちんとした生活を送っているんだろう。そんな花宮くんに、私は人として憧れていた。


「あぁ?んなもん、お前が馬鹿なのが悪いんだろーが」


 という、花宮くんによく似た人が、駅前にてまるでチンピラが喋るような話し方をしているのを目撃してしまったとき、私は驚いて思わず声を出してしまったのである。

 「えっ誰」そう言って慌てて口を抑えた私の顔を、霧崎第一の制服に身を包んだ花宮くんによく似た人がじっと見る。やっぱりそれは間違いなく花宮真くん本人で、私はまた「えっ誰」と言いながら彼を指差す。花宮くんは特徴的な太い眉を真ん中にギュッと集め、不快感を露わにしてため息と舌打ちをした。


「えっ花宮くん舌打ちとかするの」

「あ?するに決まってんだろ、バァカ」


 するに決まってるの?面倒くさそうに首の後ろをガシガシ掻く花宮くんはまるでいつもの花宮くんとは異なっていて、私の思考回路が追いつかない。こ、こんにちは。さっきはどうも。私がそう言ったら、花宮くんが短く「お前のためじゃねえよ、自惚れんなブス」と言う。花宮くん、ブスとか言うんだ。あまりの二重人格っぷりについ笑ってしまって、花宮くんの眉間のシワがますます深くなっていく。

 と、ここでようやく私は花宮くんの隣に立つ人物の存在に気が付いた。困ったように私と花宮くんの間を視線で行ったり来たりしていたその女の子は、私と目が合うとぺこりと頭を下げる。


「は……はじめまして……?」

「あ、どうも……?」


背丈は私と同じくらい。多分、年齢も。でも制服は霧崎のじゃない。さっき花宮くんに「頭が悪い」と暴言を吐かれていたのはこの子だったのだろう。彼女は恐る恐るといった感じで「マコちゃん、友達?」と花宮くんに問う。


「知らねぇ」

「えっそんな」


 私、図々しくも花宮くんの事を友達だと思っていたのに。同じクラスだし、それも今回が初めてじゃない。照れて反対のことを言ってしまったのだと思いたかったけれど、花宮くんはそんな素振りを微塵も見せなかったし訂正もしなかった。ひどい。せめてクラスメイトって紹介して欲しかった。質問した本人もそう思ってくれたようで、「いや、いくらなんでもそれはないでしょ?!なんてこと言うの!」と私を気遣うような視線をよこして花宮くんの腕を軽く叩く。


「ただの通りすがりのブスだろ」

「マコちゃん!」


 慌てふためくその子のその様子に、花宮くんが楽しそうに笑う。いつも学校で見せているような爽やかな笑顔なんかじゃなくて、すごく意地の悪そうなニヤニヤとした笑い方。初めて見る花宮くんのその表情だけど、何故かそっちの方がしっくりくる気がした。
 そのやりとりを見てふと頭に浮かんだ疑問を口にする。


「その子、もしかして花宮くんの彼女?」


 私がそう言った瞬間、花宮くんの鞄が私の頭を直撃した。えっ何。何が起こったの。花宮くんの鞄の中には幸い特別凶器になるようなものは入ってなかったようで、ボスンッと間抜けな音をたてて私の左頭部に当たる。別に痛くはなかったけれど、その衝撃と驚きで私の頭はフリーズしてしまって、頭を抑えたまま動けなくなる。
 だけど、花宮くんはそんな私に見向きもしなかった。「マコちゃん!?」そう叫ぶ彼女の腕を花宮くんは乱暴に掴む。そして私には何も言わず、スタスタと歩いていってしまった。


「ご……ゴメン!本当に!!ゴメンね!!」


 腕を引っ張られながらも、その子は顔をこちらに向けて必死でそう謝ってくれる。すごく強い力で引っ張られているような気がして彼女の腕が心配になったけれど、私にはそれを彼女に伝える術はない。ぽかんとしている私を置いて、二人はもう既に駅の階段を上がってしまっていた。





「おいお前。昨日のことは忘れろよ」


 次の日、私が学校に登校して下駄箱に着いた瞬間、後ろから突然声をかけられた。それに肩を震わせ反射的に振り返ると、そこには昨日駅前で見たのと同じ不機嫌そうな顔の花宮くんがいた。どうやら待ち伏せされていたらしい。
 「おはよう」驚きで跳ねる心臓を抑えながら挨拶をしたけれど、花宮くんが「聞いてんのかよ」と舌打ちをしながら言うもんだから悲しくなる。


「忘れろって何を?」


 花宮くんに鞄ぶつけられたこと?そう言ったら、花宮くんは今度は自分の手で私の頭を強く叩く。昨日よりもずっと痛む頭を抑えて、私が非難の目を向けてみても、花宮くんは我関せずといった感じでただ靴を履き替えるだけだった。


「あの馬鹿のことだよ」


 少しだけイラついた声のトーンで花宮くんが言う。何故?その問いに返事はない。代わりに、「どうなんだよ」と言わんばかりの視線を私に寄越す。靴のつま先をトントンと床で叩く様子が相変わらず様になって格好良い。きっと、昨日の放課後までの私だったら流石だなあとか思ってたんだろうな。それがなんだか悔しくて、仕返しも兼ね私は昨日の質問を繰り返す。


「あの女の子、花宮くんの彼女?」

「違ぇよ、死ね」


 間髪入れずに即答した花宮くんが乱暴に靴箱の扉を閉める。バタンっという大きくて不快な音が周りに広がって消えた。私はといえば、花宮くんに「死ね」と言われたことに動揺して靴箱にしまおうとしていた黒のローファーを床に落としてしまう。花宮くんはそれを鼻で笑った。
 隣のクラスの知らない人が私達の横を通り過ぎて行くのを見送って「じゃあさ、」と私が口を開く。


「あの子のこと好きなの?」


 そう聞けば、花宮くんは少し間を置いてこう言った。


「ンなわけねーだろ、あんな馬鹿」


 眉を軽くよせて口元を歪ませた花宮くんは、私に背を向けて教室の方へ歩いていく。玄関ホールには今しがた通学してきた人達が集まり始め、朝の挨拶で賑わいを見せていた。そのうちの何人かから声をかけられた花宮くんは、いつもの爽やかな笑顔で「おはよう」と返していく。彼の本性を知ってしまった今ならはっきりと分かるけれど、全部かなり事務的で冷たい「おはよう」だった。花宮くんと軽い世間話をしている彼らは私より花宮くんと長い時間一緒に過ごしているのかもしれない。だけどもしかして、挨拶を返して貰えなかった私の方がよっぽど花宮くんと親しいやり取りをしているのではないだろうか?
 人混みを抜けて階段を登る。周りに人がいなくなったのを確認して、私は後ろからまた花宮くんに話しかける。


「ねぇ、花宮くん。さっきすごく可愛い顔してたよ。気付いてた?」


 眉毛も口元も歪んでいた。だけど、ほんのちょっとだけ。目元だけがとても優しくて、ちょっとだけ照れたような、そんな表情だった。恋する乙女、とまでは流石にいかないけれど察しがついてしまった私は単純なもので、それだけでグッと花宮くんに親近感が湧いてしまったのである。
 「いい子っぽかったもんねえ」私がからかえば花宮くんは「……殺すぞ」と低い声で呟いて、そんな彼の様子に思わず吹き出してしまい、有難いことに三度目の鉄拳を食らった。

 教室に入り、私達はいつも通り言葉も無く別々の席へ移動する。
 クラスメイトに挨拶をしてチラリと後ろを振り返れば、花宮くんは席に着くなり自分の携帯を開いていた。手元を見る彼の顔はいつもよりずっと優しい顔をしていて、きっとあの優しい彼女からの可愛いメッセージなんだろうなと何となく思う。

 携帯を見ながらフン、と笑ったその表情がとても可愛くてついニヤケてしまった私を察してか、花宮くんがばっと顔を上げた。さっきまでの緩んだ表情とあまりにも違いすぎる恐ろしい形相に、私は四度目の鉄拳を覚悟したのである。





(道端の狗尾草は何を見る)
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