どうにもならない二人


「テンゾー、鍋がいいなぁ」
 と先輩が言った。

「はい?」
「鍋よ、鍋。今晩の飯」
「鍋かぁ。いいですね、お鍋」

 何鍋がいいかなぁ、という呟きが夕方の空に溶けこんで行く。沈みかけの太陽が雲をオレンジに染めていた。商店街ののれん風に煽られてバタバタと舞う。先輩は冷たい空気に、ただでさえ猫背の背中をさらに丸めて歩いた。

「って、ちょっと待ってください先輩」

 先輩はさも当たり前のように歩いているが、一体どこに行くつもりなんだ。
「あなたの家はこっちじゃないでしょ」
「え、うん」
 そうだけど、それがどうした、っていう顔だ。
「まさか」
「一人鍋は寂しいでしょ」

 やっぱり僕んちに来る気だ。最近、いっつもこうじゃないか? 断りもなく押しかけてくる。僕の都合はおかまいなしに。本当に勝手な人だ。

「何よ、ダメ?」
「ダメ……って言ったら、どうします?」

 先輩はふいっと顔を背けて、雑踏の中へ踏み出した。おばちゃんとぶつかりそうになって謝りながら、八百屋をのぞいている。僕が黙って見ていると、「安いってよ」とネギを掲げた。

 ダメも何もないじゃないか。鍋を食う気満々である。それも僕んちで。

 はぁ、とため息が出た。幸せが逃げますよ、ってまたサクラに言われちゃうな、こりゃ。
「ダメなら別に、いいんだけどねー」
 そう言って先輩が八百屋のおじさんに返したネギを、今度は僕が拾い上げた。
「何よテンゾー。ネギ買うの?」
「だって鍋には必要でしょう、ネギ」
「鍋にするんだ?」
「ダメとは言ってません、ダメとは」
 だったら最初から素直にそう言いなさいよ、と先輩が僕をど突く。先輩こそ、わかってるくせにダメ? とか聞かないでくださいよ、だ。

 ネギをぶら下げた僕を、八百屋のおじさんが、えらく元気に見送ってくれた。もたもたと財布をしまっていると、先輩はいつの間にか三軒向こうの辺りで、人混みの間を器用にぬって、スタスタと歩いていた。

「あぁ、もう、ちょっと先輩!」

 僕は慌て追いかける。ったく、先輩は自由気ままで困ってしまう。





「はー、食った食った」
「お粗末さまでした」

 僕がぺこりと頭を下げるのと同時に、先輩はごろんとひっくり返る。

「牛になりますよー」
「もー」
「もーじゃなくてね」
「何で食って寝ると牛になるの」
「知りませんよ」

 よいこらせっと立ち上がった。お茶でも入れようと台所へ向かうついでに食器を片づけ始める。
 先輩は寝転んだまま体を横にして僕の方を向いた。

「テンゾー、よいこらせって、じじくさいよ」
「うるさいです。ほっといてください」

 よいこらせっとにはちゃんと意味があるのだ。立ち上がる時にかかる体の負担を軽減するらしい。

 っていうのは、やっぱり僕の体が老いたってことか? いやいやいや。

「先輩のせいですよ」
「何がー?」
「疲れてんですよ、僕は」
 だから無意識によいこらせっとが出て来てしまう。
「体力つけなさい」
「鬼ですか、あなたは」

 寝てる人の言う台詞じゃないな、と思いつつ、流しに鍋と食器を突っ込んだ。先輩に手伝うとかいう発想はないらしい。僕の背後でゴロゴロと寝返りを打っていた。

 おじやの残滓の、干からびた米粒がこびりついた鍋に水を溜める。洗剤を振り撒いても米粒は取れない。泡立てたスポンジでゴシゴシやりながら僕は言った。
「あのね、カカシ先輩」
「んー?」
「あなた、ギブアンドテイクって言葉、知ってます?」
「んー」
 生返事だ。聞いちゃいない。振り返ると先輩は俯せになって本を読んでいた。いい気なもんである。
「ネギ買ったのも僕、鍋作ったのも僕、後片付けも僕ですか」
「狭いじゃんか」
「はいィ?」
「台所に二人もいたら邪魔じゃない?」
「屁理屈でしょうが、そんなのは」

 先輩の目線は落ちたままだ。洗い物の手を休めると、ぺら、と紙をめくる音がする。

 なんだかなぁ。不公平だ、こんなのは。どうして僕はせっせと先輩の世話を焼いているんだろうなぁ。

 流しに食器を残したまま、手についた泡を流した。水滴を服の裾で拭いてから、先輩の枕元に正座する。

「起きてください先輩」
「あれ? もう終わったの?」
「いいから座って」
 ポンポンと畳を叩いても、先輩は僕を見上げるだけだ。
「テンゾ。なんか……怒ってる?」
「かもしれません」

 そう言うと、ようやく先輩はおもむろに体を起こした。胡座をかいて座る。相変わらずの猫背が、無言でやれやれと言っていた。
「で、何?」
「何って……だからギブアンドテイクの話ですよ」
「だから何なのよ、それ」
「ギブアンドテイクっていうのは、公平じゃないといけないと思うんです」
 先輩は所在なげに、ぽりぽりと額を掻いた。
「で?」
「僕ばっかりじゃないですか?」
「何が」
「色々」
「そうかな」
「そうです」

 ご飯を作るのも、お風呂を準備するのも、掃除も洗濯も僕ばっかりがやっている。

 ナルトの面倒を見るのも僕、報告書を出すのも僕、先輩の身代わりに飲み会に借り出されるのも僕だし、綱手さまのお小言を聞くのも僕だ。

 僕はギブばっかりで、何をテイクしてると言うのだろう。

「テンゾーってさ、色々と不満を溜め込むタイプだよね」
「そんなことはありませんけど」
「あるよ。一発ヌいとけば?」

 ふと股間に伸びてきた手を、ぱしんと叩き落とす。真顔の下ネタジョークを無言で睨むと、先輩はうーんと唸って、手に持っていた本を閉じた。それでも手放すわけではなかった。

「嫌なら嫌って言いなさいよ。俺は無理強いしてないよ」
「それは嫌味ですか」
「何でそうなるの」
「先輩は僕が断らないと知ってます。だから言いたい放題ワガママ言うんです」

 そうだ、その通り。僕が先輩の言うことを聞いてしまうのは、結局のところ僕がそうしたいから、そうしているに過ぎない。お前が好きでやっているんだろう、と言われてしまえば、それはぐうの音も出ない正論だ。

「僕ばっかり先輩が好きなんですよ」

 先輩は僕の膝の辺りをじっと見ながら、手元の本を丸めたり、意味もなくページをめくっていた。それがパタリと止むと、しばらく音のない世界が訪れる。時計がカチコチ言わないのが妙だと思ったら、針が三時で止まっていた。電池がないのか。今は何時だろう。少なくとも十時は過ぎている。

「昔ねぇ」
 僕の手がが時計に触れた時、不意に先輩がしゃべり始めた。
「先生がクシナさんとよく喧嘩しててね」
「はぁ」
「二人とも子供みたいな無茶苦茶を言うんだよね。見てるこちは馬鹿だなぁ、って思うんだけど、二人にとっては、すごい大事なことなんだって言うの。ワガママを言い合うのが夫婦円満のコツなんだってさ。確かに、イイ顔するのは簡単だけど、それって結構シンドイでしょ。本音を言える相手でないと、ずっと一緒にはいられないってことだよね」

 思わず時計から手を引っ込めた。

「だからさ、お前は僕ばっかり好きだって言うけど、そんなことはないよ。俺は誰にでもワガママ言うわけじゃない」

 静かだ。

 と思った瞬間、ゴトリと時計が落っこちて来た。触れた時にでもバランスを崩したらしい。何げなく持ち上げると、時計の秒針がゆっくりと動いていた。不規則に、進んだり戻ったりする。正確に時を刻んでいないから、やっぱり電池を変えなくては駄目だろう。

「……先輩。今、話が飛躍したんですけど」
「そう?」
「“だから”の使い方がおかしいです。どういう脈絡ですか」
「だから、一緒にいる気がないなら、ワガママなんか言わないってこと」

 僕の手からポロリと時計が落ちる。コロコロと転がったそれを、先輩が拾い上げた。

「あ、止まってんね、これ」
「ちょっと待ってください、先輩。今のどういう意味ですか」
「どうもこうも言葉のまんまでしょーが」
「額面通りに受け取ると、先輩のワガママは僕とずっと一緒にいたいからってことになりませんか?」
「受け取り方はお前の自由だよ」
「そんなことを言われると、僕はまた自惚れるんでやめてください」
「自惚れてもいいんじゃない?」

 先輩は立ち上がった。多分、電池を取りに行く。僕は慌てて追いかけようとしたが、足がしびれていた。しまった。うっかり正座なんてしたものだから動けない。

「ところでテンゾウくん」

 うなだれている所に、戻って来た先輩が僕の頭にポンと時計を乗せた。カチコチと秒針が動いていた。時刻は十時半を回っている。

「何ですか……」
「今後も俺のワガママに付き合ってくれる気はあるの?」
「それは俺はお前が好きだってことでよろしいんでしょうか」
「否定はしない」
「随分まどろっこしい言い回しですよね」


 なんというか……また先輩に、うまく丸め込まれた気がしないでもない。





(1103)
2600ヒットでリクエスト「両想いになる瞬間」でした(えっ……?)。
ユウさまありがとうございました。
これに懲りず、また生暖かい目で見守っていただけると……嬉しいです。


<< index
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -