理由


 テンゾウが帰ってくる、という日に限って用事を言いつけられた。別段たいしたことでもなく、幸いにも夜には家に戻ることは出来たが、どうやら間に合わなかったようだ。
「おかえんなさい」
 家に辿り着けば、俺が言うはずだった台詞を先に取られた。部屋着の男が、俺の部屋で俺を出迎える。
「……おかえり、テンゾウ」
「家に帰ってきたら普通おかえりじゃなくて、ただいま、でしょう」
 吐き出すように言われ、じろりと睨まれた。どうも機嫌が悪いらしく、ピリピリしている。俺が「待っててやるよ」と言ったのに、すっぽかしたのを怒ってるんだろうか。
「……ただいま」
 そう言うとテンゾウは無言のままくるりと背を向け、部屋の中に戻った。
「テンゾウ、飯は?」
「いりません」
「風呂は?」
「入りました」
「あぁそう」
 おかしいな、俺の予定では、色々と世話を焼いてやるはずだったのに、とんだ番狂わせだ。
「先輩、あとは?」
「あと?」
「ご飯にする? お風呂にする? と来たら、最後にもうひとつ言うことがあるでしょう」
 ほとんど睨むような鋭い目つきで、口元をきゅっと一文字に結んで、真面目な顔でテンゾウは言った。怖い顔をしてるくせに、言ってる内容が馬鹿馬鹿しくて、そのギャップに思わず吹き出して笑った。
「なぁに、俺がいいの?」
 くつくつ笑っていると、そうですよ、と答える代わりに、テンゾウは俺をベッドに突き飛ばした。いつになく乱暴な扱いに文句をつけてやろうかと思ったが、俺にのしかかった男の目が、不機嫌というよりは不安げに揺れていて、喉まで出かかった不平を俺は飲み込んだ。
 何かあったな――と悟る。任務の間に何かあった。それが何とも聞かず、じっと見上げていると、黒い瞳から今にも雫がこぼれそうな気がしたが、テンゾウが泣くことはなかった。
「待ってるって言ったくせに、何でいないんですか」
 口調の刺々しさを隠そうともしない。よっぽど俺が待っていなかったのが気に入らないようだ。感情をぶつけられると虐め倒したくなるのが常だが、今日は甘やかしてやろうと思った。帰ってくると知っていたのだから、せめて書き置きでも残してやればよかったな、と反省する。
「悪かったよ」
 テンゾウの髪に手を突っ込んで、ナルトにでもするみたいに、わしわしと掻き回した。
「あなたが素直に謝るなんて、変だ。何かあったんですか」
「何よ、それ」
 何かあったのはお前の方じゃないのか、と思うが、自分から言い出すまで聞くつもりはなかった。
「僕のこと忘れて、何してたんです」
 テンゾウの手が俺の手をぎゅっと握られた。痛いくらいに力を込められたが、それがまるで助けてくれと言うかのようで、手ではなく心臓をわしづかみされたように苦しくなった。
「ちょっとご意見番に呼び出しくらってたんだよ」
「ほんとに?」
「嘘つく必要ないだろ」
「必要なくても嘘をつくのがあなたの癖ですから」
「ずいぶん信用ないね」
「ありませんよ、そんなの」
 への字の唇に、噛み付くように口づけられた。するりと舌を差し込まれて、優しさも甘さもなく絡み合う。二人の間から、どちらのとも判断つかない喘ぎが漏れる。
 口づけの合間に、テンゾウの手が俺の服を無理に剥ぎ取り、下着の中に差し入れて性急に俺の欲望を煽る。
「テンゾ、そんなに焦んなくても、俺は逃げないよ」
「二週間ぶりなんだから、欲しくて仕方ないんです」
 仕方ないのは単に期間の問題ではない気がした。どっちも十代のガキじゃなくなったんだから、二週間くらいやらなくたって平気だ。というのに、前戯もおざなりに、さっさとつながろうとする。俺は展開が早過ぎて、イマイチついていかれない。こんな風に自分勝手にするのはテンゾウらしくもないが、俺に与えようとばかりする男が、珍しく利かん気のない子供のように欲しがるのが何だか嬉しかった。
「テンゾウ」
「『待て』は聞きませんよ」
「違う」
「じゃあ何です」
「ただいまって言えよ」
「今さらですね」
「聞きたいの。ちゃんと言ったら、何でもわがまま聞いてやるよ」
「何で今日はそんなに優しいんですか」
「気まぐれだよ」
 ふっと笑うと、テンゾウは訝しげに眉をひそめた。
「……ただいま」
「うん、おかえり」
 そっとテンゾウの肩に手を回して抱き寄せた。




***



「テーンゾ、水ー」
「はいはい」
 布団にゴロゴロしながら呼ばわると、テンゾウは素直に立ち上がった。その背中に痛そうな引っ掻き傷を見つけて、俺は自分の手を見た。いつも短く切りそろえているはずなのに、こういう時に限って爪が伸びている。可哀相なことをしたな、と一瞬思い、しかし無体を働いていたのは向こうの方だと考えなおして反省をやめた。
「先輩」
 コップを差し出した男を見上げると、安定した目が俺を見ていた。さっきまでの不穏な態度は何だったのか、というくらい、いつの間にか平常心に戻っていて妙な雰囲気はもうない。
 起き上がると、体のあちこちがキシキシ痛む。任務から帰ってきたばかりの男なら、疲れてそんなに元気もないだろう、というのは見通しが甘かった。
「ん」
 空にしたコップを突っ返すと、テンゾウはそれを黙ってベッドサイドのテーブルに置いた。その手がまた俺の体をまさぐる。
「先輩」
「なぁに」
「好きですよ」
 最中も散々聞いた気がする台詞を繰り返した唇が、こりずに降ってくる。
「テンゾ、そろそろ寝かしてくんない?」
 俺は今さらながらに「好きにしろ」なんて言ったことを後悔していた。コイツが案外しつこいのを忘れてた。テンゾウは日中寝てればいいが、俺はそういうわけにもいかない。どうせ明日もご意見番と会議室で静かにドンパチしなければならないのだ。と考えて、いつまでも俺にべたべた触っている男が些か恨めしくなった。
「好きに抱けって言ったのは先輩でしょう」
「そんなこと言ったっけ」
「言いました。何でもわがまま聞いてやるって。珍しく優しいから何か変だなぁと思ってたんですが」
「お前ね……。変だったのは俺よりお前でしょ」
「まぁそうなんですけどね」
 けろりとして言ったテンゾウに、またベッドに沈められた。
「何があったとは聞かないんですか」
「聞いて欲しけりゃ聞くさ」
「別に大したことはないんです。一人死んだってだけで」
 さらりと言われた台詞に、どくんと心臓が鳴った。俺が見上げた漆黒の双眸は、冷たい色をしていた。腹の底が一瞬ひやりとする。ひとつの命が消えたというのに、テンゾウは事もなげに経緯を淡々と告げる。悲しみや悔しさはそこにはない。仲間の死を悼むでもなく、ただの事実として報告した。
「それは、いいんです。いつものことですから」
 人の死はいくら経験しても嫌なものだ。というのに、この短時間であっさり感情を捨てきれてしまえるテンゾウに、底知れない冷たさを感じた。手はこんなに暖かいのに、と思う。
 感情を押し殺してしまうのが自衛手段だということは俺も重々承知している。けれど俺はここまであっさりとはいかない。テンゾウに言わせると「甘い」のだそうだが、その「甘さ」は本当に捨ててしまっていいものだろうか、と時々怖くなる。
 じっと見ていたら、テンゾウの手が頬に触れた。
「仲間が死んだっていうのに、大したことないなんて、ひどい奴だと思ってるでしょう」
「そんなことないよ。お前のそういう割り切りの早さは忍として尊敬してるよ」
「忍として、ね。でも、人として、どうなんでしょうね」
 ふっと自嘲がこぼれ落ちる。
「仲間の死も悲しくないなんて、人として悲しいことだと思いませんか」
「忍なら、それでいいんだろ」
「忍も人ですよ」
 悲しい、と言う男の目はちっとも悲しそうではなく、俺はそれが悲しくなった。
「時々、僕は心をどこかに落としてしまったんじゃないかと思うんですよ」
「ちゃんと、あるだろ。お前は俺が好きなんでしょ」
 ひとを想う気持ちなら、ちゃんと残ってる、大丈夫だ、と言ってやると、テンゾウは子供っぽく口を尖らせた。
「だから確かめに来たんです。そうしたら、あなたがいないから」
 ああ、それで、と俺は先ほどの不機嫌の理由を知った。
「それは悪かったって」
「先輩が素直だと気持ち悪いですね」
 ぬけぬけと言いやがるので、ひと睨みして布団をかぶる。
「あっ、ちょっと先輩」
「寝る」
「寝ないでください。夜はこれから」
「馬鹿言ってんじゃないよ。俺には明日があるの」
 寝返りを打って背中を向けると、テンゾウも布団にもぞもぞともぐり込む。
「先輩、せめてこっち向いてください」
「やだよ」
「意地悪」
 後ろからぎゅっと抱きしめられた。


(101204)
えろを書こうと意気込んだのに逃げました。
またしりきれトンボ感があります。

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