どうしようもない二人


 コンコン、と窓を叩く音がした。
 こんな夜更けに、そんなことをする人間は僕の知る限り一人しかいない。
「……先輩」
 カーテンを開けると、案の定の人がそこにいた。
「テンゾウ、開ーけて」
 とガラスの向こうの口が動き、先輩は勝手に窓を開けて、そこから家の中へ入り込もうとした。僕は今さらながらに、どうして鍵をかけておかなかったんだ、と舌打ちをする。
「何、テンゾウ、迷惑なら迷惑って言っていいのよ」
 先輩は何食わぬ顔で言う。僕が言うわけがない、ということを、よく知っているくせに。
 だから闖入者は家主の了承を得る前に、いそいそと靴を脱いでいた。
「いいえ、ちっとも構いません。でもねぇ先輩、せめて玄関から入ってくれませんか」
 窓から上がり込んでおきながら、先輩は丁寧に靴を玄関に並べている。毎回こうだ。窓から入ることに、何か意味があるのだろうか。
「いいじゃない、別に」
 二度、三度となく尋ねているが、先輩の行動理由は未だに謎のままだ。
「先輩、何しに来たんですか」
「夜ばい」
 と言って先輩は口布を下ろす。僕はにわかに身の危険を覚えて、じりじりと後ずさった。先輩は、やる、と言ったら僕が何と言おうが必ずやる。僕がお願いした時は絶対にやらせないくせに、自分勝手もいいところだ。
「ヤですよ。僕は疲れてんです、あなたのせいで。それが明日もあさっても続くんですよ。先輩の相手やってる場合じゃありませんよ」
「馬鹿、冗談に決まってんでしょ。理由がなくちゃ来ちゃダメなの」
 用がないなら来ないで欲しい、何しろ、先輩はワガママだ。僕のささやかな休みが消えかねない、と思いつつも、僕は散らかった部屋を片付けて先輩の居場所を作っていた。体が勝手に動くのだから困ったものだ。
 僕の差し出した座布団を「おかまいなく」と言って受け取ったくせに、先輩は座るなり「テンゾウ、お茶ほしい」とのたまった。舌の根も乾かないうち、とは、まさにこういうことだ。一体どの口が「おかまいなく」と言ったのだろうか。
「お茶でいいんですか、コーヒーじゃなくて?」
 それより呆れてしまうのは、ハイハイと返事をしてヤカンを火にかけている自分なんだが。
「お前の煎れたコーヒー、マズイんだもん」
「失礼な」
「違った、お前はコーヒーよりお茶の方が煎れるのがウマイ」
「先輩、手遅れです」
 まったく口の減らない人である。そんなことで乗せられてたまるか、と思うのに僕は、僕の煎れたお茶はウマイんだろうか、などと考えながら、普段より上等な茶葉の缶を開けた。自分のお楽しみ用に取って置いた奴なのだが、お楽しみなら一人より二人の方が楽しいだろうと思ったのだ。我ながら馬鹿げている。
 先輩はいつの間にか客用の座布団からベッドの上に移動して、座って本を読んでいた。
「ハイ」
 すっかり先輩用に定着してしまった湯呑みを差し出すと、先輩は上の空でアリガトウと言いながらそれを受け取る。何を真剣に読んでいるかと思えば、また例の本だ。
「先輩、それ何べん読んだら気が済むんですか?」
「んん、気が済むまで、かな」
 答えになってない。
「それだけ読めば、もう覚えてんじゃないんですか」
 この人の記憶力はそんなに悪くない。そろそろ覚えていてもおかしくはない、と冗談と本気とが半々に入り混じる気持ちで言うと、先輩はにわかに顔を上げた。ニッと片端の口角を上げる。あ、何だか嫌な予感。
「試してみる?」
「何をですか」
「俺が覚えてるかどうか。そらんじてみるから、確認してよ」
 ハイ、と開いたままの本を渡される。そのページを見れば、まさにR18うっふんあっはんな描写場面で、僕は思わず本を閉じた。
「いや、いいです」
「何でよ」
 こんな、読んでも恥ずかしいものを声に出して朗読されたら、いたたまれないことこの上ない。何が一番いたたまれないって、そんなクダラナイ遊びで下半身が大人しくしている自信のない自分だ。そんなもの聞いてたら、もよおす、絶対に。そんなの冗談じゃない。自ら先輩にカラカイのネタを与えるようなものだ。まったく冗談じゃない。
「遠慮します、全力で」
「いや、むしろ俺からのお願い。いっぺん、やってみたかったのよ。だから聞いてて」
「嫌です。あなたのお願いなら、なおのことお断りです。意味のわからんことに頭を使う暇があったら、ナルトの修行方法でも考えてやってくださいよ」
「テンゾーのケチんぼさん」
「どうしてもやりたいなら、他を当たってください」
 こんなセクハラまがいのお願いを聞いてくれそうな人間は他に見当たらないのだけれど。
 先輩も同じことを思ったらしく、ツーンとすねている。
「てゆうか先輩、お茶! 冷めないうちに飲んでくださいよ! せっかくスペシャルなんだから……」
 変な空気の場を紛らわすように、むやみにデカイ声が出た。それから自分でもお茶をすする。値段が違うだけあるのか、いつもよりまろやかな味がした。
「何、スペシャルって」
 先輩はカップを両手に持って、フーフーと冷ましている。そういえば猫舌だっけ。その仕草が可愛い、などと思う僕は、どうかしている。
「スペシャルはスペシャルです。いつもよりおいしくありません?」
 そう聞くと、先輩は一口飲んでから、盛大に首を傾げた。
「そう? 変わんないけど」
「違いますってば!」
「どの辺が」
「どの……って、口で説明するの難しいですけど」
「ふーん」
 先輩は、よくわからない、という顔で、有り難みもなくぞんざいにお茶を飲む。お茶の味など蔑ろにして、意識は本の方に行っている。僕のとっておきは、イチャイチャタクティクスの前に無惨に敗退したらしい。
 ああ、そうだった、この人は興味のないことには、とことん反応しないのだ。いつも飲むコーヒーには煩いくらいケチをつけるくせに、あまり飲まないお茶には、どんな粗茶だろうが文句のもの字も出ないのだ。
 もったいないないことをしてしまったなと反省した。出来ることならば、せっかくだから先輩に良いものを、などと思った少し前の自分に言ってやりたい。無駄だ、先輩にお前の気遣いはちっとも通用しない、と。
 もう、こうなったらさっさと寝てしまうに限る、と思った。
 僕は残りのお茶を飲み干してから、立ち上がりざまに言う。
「先輩、僕お風呂に行ってきます」
「テンゾウ、それはお誘い?」
「はい?」
 何の、などと聞くほど野望ではないが、何をアホな、とは思った。どうやら僕の思う寝るとは違う意味で、先輩は寝るつもりのようだ。
 やっぱり夜ばいなんじゃないか。
「いいえ、違います」
「えー、誘ってよ」
「何なんですか、その中途半端な誘い方は」
 誘え、と言うのは自ら誘っているのと一体どう違うのか。よくわからない。わからないのだけれど、冗談めかして「夜ばい」と言うよりは率直でいいかもしれないが。
「先輩、お願いしようってんなら、せめてストレートを投げてみたらどうなんです」
「今のが精一杯のストレートだよ」
「まだ、ひとひねり入ってますよ」
「勘弁してよ」
 勘弁して欲しいのはこっちの方だ、と思っていると、先輩も立ち上がる。
「俺も行くわ」
「行くって?」
「風呂に決まってんでしょ」
 さも当たり前のように言うが、うちの風呂は手狭だ。一緒に入ったりしたら、それはもう入浴どころではなくなって、単なる密着するだけの空間に成り果てかねない。
「一緒は嫌です。狭いんだから」
「お前、ずいぶんつれなくなったよね。前はもっと可愛いかったのに」
「誰でもなりますよ、先輩なんかと付き合ってたら」
「そんな先輩と付き合えて嬉しいくせに」
 まったくその通りなので、ぐうの音も出ない。押し黙ると先輩がぐいぐいと僕の背中を押して、結局、二人で風呂に入る流れが出来てしまう。
 一人暮らしの風呂場は本当に狭い。まして大の大人が二人で入るようには出来ていないので、先輩の体がやたらに近かった。
 狭い。けれど、それも悪くない気がした。広いところにいると、先輩は何やかやと口を使って逃げるけれど、狭ければくっつきざるを得ない。
 そうやって意識する辺り、先輩の「誘ってよ」なんて馬鹿な誘い方で僕はすっかりその気になっているらしい、ということに気がついた。
「あ、テンゾウ」
 と、僕のシャツを脱がせながら、先輩は真顔で言った。
「お風呂プレイはナシね」
「……そーゆー馬鹿なこと言ってると、追い出しますよ」
「わかった、わかったー。もう言わない」
 じと、っと見ると先輩が万歳をして一歩引く。そうして出来た二人の隙間が寂しいなんて僕は本当に救いようがない。疲れてるんじゃなかったっけ?
「嘘ですよ、今さら追い出そうなんて」
 そんなことが出来るのならば、とうにやっている。
 離れた体をぐいっと抱き寄せた。
「そういえば先輩」
「何」
「うちに何しに来たんでしたっけ」
「別に用はないよ」
「さっき夜ばいとか言ってませんでした?」
「冗談に決まってんでしょ」
「嘘つき」





 翌朝、僕は先輩にたたき起こされた。結局、寝たのは何時だかわからない。睡眠時間を計算するのが怖くて、寝る前に時計を見なかったからだ。
「ううん……」
「テーンゾ、起きなさいよ」
「嫌です〜」
「何言ってんの」
「ちゅうしてくれたら起きるかも……」
 半分本気、半分寝ぼけて言うと、抱えていた枕を引っこ抜かれ、どうにかしがみつこうとしたら、そのままベッドからズリ落ちた。何と言う目覚め方だ。優しさのカケラもない。
「俺は別にいいけど、ナルトが煩いよ」
 先輩はさらに追い打ちをかけるように言った。ナルトのしつこさと煩さを想像して、一気に萎える。小細工なしに真っ直ぐ力まかせに突進してくるから、もしかすると先輩より厄介かもしれない。
「先輩、あなた鬼ですか」
「そんなことなーいよ。お前のために朝ごはん作ってやったんだから早く食べちゃいなさい」
「朝ごはんより、ちゅう……」
 伸ばした手を、すげなく叩き落とされた。
「調子乗ってんじゃないよ」
「せんぱい、ひどい!」


 その日の僕は「隊長、真面目にやってくれってばよ!」というナルトのお叱りを受けつつ、先輩の涼しい顔をどうやったら歪められるだろうということばかり考えていた。






(100924)
デレる先輩が書きたかったようだが、ハードルが高すぎました。



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