僕の足元に、コロコロとリンゴ大の赤いボールが転がった。それを自分より少し年上の男が追いかけてきた。
「すみません!」
 ボールを放ってやると、受け取った男は会釈をして走り去る。「父さん早く!」向こうから、そんな声が聞こえた。七歳くらいの少年が手を振って待っている。男が投げたボールは、美しい弧を描いて子供の手の中に納まった。
 日の傾き始めた公園で、キャッチボールは続く。――親子か。口の中で呟いて、思わず笑みがこぼれる。僕はその微笑ましい光景を見るともなしに眺めていた。

「お待たーせ」
「うひゃっ!」
 ふいに背後から腕が伸びてきて、びくりと体を震わせた。そんな僕の反応に満足したのか、振り返れば先輩がくつくつと楽しそうに笑っていた。
「先輩! 気配消して近づくのやめてください!」
「うん、ごめんごめん」
 口先だけの謝罪をし、先輩は猫背気味に歩き出す。
「ねぇヤマト、さっきの――」
「さっき?」
「キャッチボールしてたでしょ」
「ああ、親子」
「ああいうの、何かいいよねぇ」
 木枯らしに落ち葉が舞う。散歩するには寒くって、僕は首を縮めた。
「いいって、何が」
「俺、父さんと遊んだことなかったから、ああいうのやってみたいなって思うんだよ」
「親子でキャッチボール、ですか」
「まぁ俺ならクナイを投げてるかもしれないけど」
 ははは、と笑う声が、いやに耳障りに聞こえた。親子か。傍からみる分には微笑ましいが、自分たちのこととして突きつけられると、途端に気が重くなった。
「ヤマトはそういうの、ないの」
 先輩は何の気もなしに聞く。僕はだんだんと気管が閉塞的になっていくのを感じた。
「考えたこともありませんよ」

 カカシ先輩に惚れた時点で、僕が親になる可能性はゼロになった。まさか先輩に子供を生んでくれとは頼めまい。
 それに、惚れたのが男でなかったとしても、きっと僕は言わなかっただろう。組み替えられた自分の遺伝子を後世に残すことへのためらいもあった。自分の体ですら何が起こるかわからないと不安に思うのに、その負い目をわざわざ子供に継がせたくはない。
 だから自分の命は一代きりだと、確証を持って言えた。むしろ好きになったのが先輩でよかった。下手に考える必要がなくなったのは幸いである。

 僕は、それでいい。先輩と二人で過ごす日々が続けば、それで十分幸せだ。けれど、先輩はどうだろう。この人は、子供が欲しい、なんてことを思ったりするのだろうか。

 だとしたら――僕はこのまま、この人の隣にいていいのだろうか。

「ヤマト?」
 呼ばれてハッと我に返る。考えても仕方のないことだ。たとえ「ダメだ」と言われても、僕は先輩の傍にいたい。それが傲慢だとしても、僕はここを動くつもりはなかった。
 気を紛らわせるように、先輩の手にある白いビニール袋に目を落とす。何だろう、と思いつつ、僕は今日の食事当番が自分であることを思い出した。
「先輩、今日の晩飯なんですけどね」
「いいものもらったから、これで作ってやるよ」
「何です、それ」
 差し出された袋をのぞいたが、さらに白い発砲スチロールの箱があるだけで、中身は何だかわからない。
「内緒」
 先輩はいたずらっぽく言って、ふいっと顔をそむけた。
「教えてくれてもいいじゃないですか」
「楽しみは後」
「えぇー」

 こうやって二人並んで帰るようになってから、どれくらいになるだろう。いつの間にか、一緒に時を過ごすのが当たり前のようになっていて、それが僕は無性に幸せだった。二人の間には何の約束もない。それでも先輩がそこにいる、僕にはそれで十分だった。

 それができる限り続けばいい――そう思っていた。

「父さん!」

 子供が飛び出してきた。かと思うと、真正面から先輩に抱きついた。

「うぉっ、何!?」
「父さん!」

 五つくらいの、少年だった。父さん、先輩を見上げて、はっきりそう言った。カカシ先輩に子供がいる? そんな話は噂ですら聞いたことがなかったけど。

「父さん!? 先輩どういうことですか!?」
「いや、俺も知らないけど」
「知らない!?」

 人違いだ、と先輩は言った。そうですか、と素直に納得するには、少年はあまりにも先輩に似ていた。銀色の髪、目の色、顔立ち、すべてが一緒だ。親子だと言われたら、誰でも頷くだろう。
 何より、子供の方は確信を持って「父さん」だと言った。人違いなら、子供の方が間違えたと気づくはずだ。そうでないのなら……!
「あんた、まさか……!」
 隠し子。自分で導きだした答えに、僕は頭がくらくらした。
「ちょっと、君、どこの子?」
 先輩はしゃがみ込んで目線を子供の高さに合わせた。怖がらせないように、という配慮だったのか、するりと口布をおろしてしまう。
「父さん……じゃないの?」
 子供が首を傾げた。さっきまで確信を持っていたのに、知らないと言われて急に不安になった、という感じだ。大きな目がゆらゆら揺れる。
「残念だけど、違うね。俺に子供はいないから」
「でも、父さんと一緒だ」
「え? 何が?」
「これも、これも」
 小さな手がベストと額あてを指した。ということは、少なくとも木の葉の里の子供ではあるらしい。しかし見かけない子であった。
 子供はじろじろと先輩を眺めつくして、わけがわからないという顔をした。先輩も、わけがわからない、という顔で僕を見上げた。その顔が驚くほど瓜二つで、僕の中で、ますます隠し子説が有力になってくる。
 先輩は苦笑いをしながら「どこの子だろうね」と僕に呟いた。そんなの僕が知りたいとジロジロ睨んでいると。
「カカシ」
 と子供が口を開いた。先輩の目が丸くなる。同じ色をした少年の目が、まっすぐ先輩を見ていた。
 途端に僕は目の前が真っ暗になった気がした。ただの人違いなら先輩の名前を知るわけもない。知っているというのは、父親の名前だからじゃないのか。やっぱり親子なんじゃないか。僕は先輩を引っ立てて、子供から隔離するように近くの壁に押し付けた。
「先輩、いつの間に……!」
 怒鳴りたいのは気持ちだけにして、実際はひそひそと詰め寄った。
「待てヤマト! 何睨んでんだよ! お前怖いよ!」
「先輩に隠し子がいたなんて僕はショックです!」
「俺だって知らないよ、そんなの!」
「どうだか! 知らないうちにデキてたってことなんでしょ!」
「そんなヘマするかよ!」
「少なくともヘマしたかもしれない覚えはあるんですね!」
「いや、それはお前とどうこうなる前の話だから、ね……?」
 ね、と可愛く言われて、何かがぶちっと切れる音がした。するすると僕は先輩から手を離す。
「わかりました」
「何がわかったの、ヤマト」
「僕は一人で帰りますんで、先輩はご自分の家に帰ってください」
 未だに同居していない、というのは、喧嘩した時に便利だな、と頭の冷静な部分が言った。
「いや、これどうすんの?」
 先輩が例の白いビニール袋を差し出した。
「知りません!」
「カニなんだけど。鍋にしようと思ったんだけど」
「知りません!」
 最後の一言だけ声を荒げて、僕は呆然と立ち尽くすはたけ親子を捨ておいて、沸騰しそうな頭で家路を急いだ。


 ムカムカしながらベッドに倒れ込む。やり場のない怒りをどこに向けていいかわからず、とりあえず先輩がいつも抱えているクッションを壁に投げつけた。
 こんなに腹が立つのはどうしてだろうか。過去のことを秘密にされてたから? それもあるかもしれない。けれど、そんな秘密は僕にだって、ひとつや二つはある。僕たちはずっと一緒にいたわけじゃない。何年も他人の関係でいたのだから、その間に起こった出来事に僕が口出しする権利はないことはわかっている。過ぎてしまった過去に嫉妬しないでもないけれど、どうしようもないことを責め立てるほど、僕は子供じゃなかった。

 割り切れないのは、未来だ。「父さん」という声を聞いた瞬間、ああ、この人にはそんな未来もあるのかもしれない、と思ってしまったことだ。幸せそうにキャッチボールをする――先輩のことだから、投げるのはボールじゃなくて、クナイかもしれないけど――親子の映像が脳裏に浮かんだ。

 その幸せは、僕には手に入らないものだ。同時に与えることもできない幸せだ。もし先輩がそういう未来を望んだとして、そういう未来を作れる相手がいたとしたら、僕に勝ち目なんて、一ミリたりともない。まして先輩のためを思えば、僕に立つ瀬はなかった。
 それが腹立たしくて、悔しくて、悲しくて、僕は床に転がった先輩用のクッションを抱えて顔を埋めた。目頭が熱くなって、じわり、とクッションに染みを作る。



 しばらく先輩の顔は見たくないなぁ、と思っていたが、そんなわけにもいかない。さっそく翌日の晩には約束があった。僕は、七班の五人で忘年会をしよう、なんて計画を立てた先週の自分の首をしめてやりたくなった。
 うんざりしている所へ、サクラとサイが顔を出す。
「ヤマト隊長! カカシ先生に隠し子がいたって本当ですか!?」
 耳が早いもので、一体どこから聞きつけてきたんだか、さっそくサクラが興奮して詰め寄ってきた。僕はその一件を考えて昨夜眠れなかったので、キャッキャする声が頭にガンガン響いて顔をしかめた。
「何でサクラが知ってるんだい」
「あ、本当なんだ。いえ、さっき綱手さまのところで、先生の子供がどうのこうのっていう話をしていたから」
「ふぅん」
「ふーんって、隊長は興味ないんですか。だって先生に子供がいたんですよ! 奥さんだっていないのに! それどころか彼女だっているかどうか怪しかったのに!」
 うるさいなぁ。どうも女の子はこの手の話題が好きで困る。
「あの人がどこで何をしようと、あの人の勝手だよ」
 ぷいっと顔を背けると、その視線の先にナルトがいた。どうやら今の話を聞いていたらしく、目を見開いて固まっている。ショックを受けているのが見てとれる、わかりやすい反応だ。
「え、ええええええ! ちょ、サクラちゃん今のどういうことだってばよ!」
「あ、ナルト」
「カカシ先生に子供がいたってどういうことだってばよ! 隠し子!?」
 思いっきり大声で叫んだナルトを、問題の渦中の人が張り倒した。
「痛ってぇぇ……って、あああああ! カカシ先生!」
「隠し子なんて、いないっつーの!」
 珍しく不機嫌丸出しのご登場だ。しかも遅刻をしないなんて、これから槍でもふるんじゃないだろうか、と空を見上げたが、生憎、雲ひとつない快晴だった。
「ったく、人聞きの悪いことを大声で言うんじゃないよ」
 そう言った先輩の後ろから、昨日の子供がひょっこり顔を出した。ちゃっかり連れて歩いてるなんて、やっぱり他人ではなかったのだ。
「いるじゃんか!」
 ナルトが指をさした。さすがのサクラも、ずっと興味なさげに黙っていたサイですら、目を丸くした。そうだろうな。そっくりなんだから。これで親子じゃないなんて言われても、あまりに信憑性が薄い。
「こいつは俺の子供じゃないの」
「じゃあ、親戚か何か?」
 サクラが尋ねたが、先輩に親戚なんていないはずだ。両親も本人も一人っ子だと聞いた覚えがある。
「親戚じゃーないね」
「じゃあ、何です」
「うーん」
 先輩は歯切れ悪く言い淀んだあと、全員が注目する中、わけのわからないことを言った。
「俺の子供、じゃなくて、子供の俺、かな」
 一拍置いて、「はぁぁぁ!?」というナルトとサクラの素っ頓狂な返事が響いた。



(to be contened)
続く。
隊長がめそめそしとるなぁ…
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