いつの日だったか、伊月が言った。

「買い物袋下げてる夫婦がさ、空いてる手を繋いでるのって、なんかこう、いい感じがするよな。そう、いい感じ」

たしか、意味わかんねえ、と俺は返したはずだ。繋ぎたいのか、とは訊けなかった。すぐに伊月が話を続けたからだと思う。

「こないだ、買い物に行ったんだ。駅前のスーパーだったかな。お使い頼まれてさ、とにかく駅まで行った」

伊月は暗闇の中で物を探すような話し方をした。それは喉まで出てきた言葉を一度反芻しているかのようにも見え、俺は身構えた。伊月は、何か大切なことを伝えようとしている、そう思った。

伊月の話はこう続いた。

帰り道、駅前の商店街を通った。夕暮れどきの帰宅ラッシュで、それなりに人通りが多かった。しかしある一点だけ、ぽっかりと不自然に空いている場所を発見した。どうやら人の波はその一点を避けて歩いているようだった。何を避けているのかまでは、鷲の目は見せてくれない。
近づいて行くと、それが古本屋の前であることに気がついた。しかしそれだけでは避けられる理由にはならない。何だろうかと首を傾げているうちに、鼻につく臭いが漂ってきた。強烈な異臭。それに気がついたときにはもう原因は目の前に迫っていた。浮浪者だった。それも、ふたり。いや、浮浪者ではないのかもしれなかったという。ただただ、異様な臭いがする老夫婦。二人の履く下駄からは真っ黒な爪が見えた。ボロボロの、元の色がわからないくらいに煤けたコート。縮れて長く垂れ下がっている灰色の髪の毛。それを無理に纏めているのはきっと妻で、髭と区別がつかなくなっているのが夫。そうだったんだと思う、と伊月は言った。

「見た瞬間というか、バッと目に飛び込んできたっていう感じだったんだけど、何も聞こえなくなったというか、ハッとしたというか。とにかくそのときはさ、本当に、この世界にはその臭いと、その二人、それからそれを見ている俺しかいないような、そういう気がした。いっぱい周りに人歩いてたのに、不思議だろ?たぶん、あのぽっかり空いてたのって、臭いとかそういうもののせいだけじゃなかったんだと思う」

伊月は話してる間ずっと、目の前の俺のことは見ずにいた。どこを見ているのか判然とせず、穏やかな微笑はただ過去を回想していた。
しかし、ここまで話してからふと、伊月は自分の手を見つめた。それから、どんな顔をしていただろうか、曖昧な記憶は声ばかりを覚えている。静かに俺の名前を呼ぶときのような、好きだと初めて言ったときのような、そんな声。そのとき伊月はこう言った。

「あれが真実だと思ったんだ。なんのって、訊かれても困るんだけど。全く別々の行動をしてるはずなのに、二人はどうしてか固く手を繋いでるんだよ。お婆さんはぼんやり空見てて、お爺さんはせっせと本漁り。二人ともバラバラなのに、手だけはしっかり握ってる。それだけが二人を繋いでる。それだけでいい。なんか、そうか、って思ったんだ、それ見てさ。わかる?」

伊月が綺麗な笑顔でこちらを見た。やっぱり俺は、意味わかんねえ、そう言った。すると伊月はケラケラと楽しそうに笑った。それはそれは幸せそうに、笑った。
それから伊月は俺の右手を取って、それを自分の両手で包んだ。花が咲くように、ふわりと目を細める伊月が眩しかった。右手から流れ込んでくる伊月の体温は、ほんのりと温かく甘やかだった。

「日向。そのとき俺が真っ先に考えたこと、当ててみてよ」

「はあ?わかるわけないだろ」

「当てるまで教えないからな」

「おいそれじゃあ一生わかんねえだろーが」

「わかんねえって思ったらもうわかるものもわからないだろ」

「せめてヒント出せヒント」

「えー、じゃあ代わりに期限を与えよう」

「結局教えんのかい」

「偉そうにしてると教えないぞ」

「どうぞ続けてください伊月さん」

「えーとなんだっけ、期限か。どうしよっか………
……















………日向、日向、起きて」

伊月の声で目を開いた。全体的に世界がぼやけている。そうか、眼鏡だ。手探りで枕元を探る。
眼鏡を掛け、改めて周りを見渡すとそこはもうだいぶん見慣れた部屋だった。
伊月と俺を毎日飽きもせず見守っている場所。身体を起こせば伊月が、寝坊なんて珍しいなんて言ってきた。

何やら不思議な夢を見ていたような気がする。伊月が本日一発目の駄洒落をメモする後ろ姿に溜め息をつきながら考える。たしか伊月が、あれ、なんだったっけか。

なんにしろ、隣に寝ているはずなのに、夢でまで伊月と一緒だったなんてとんだ惚気である。呆れ返り、それでも嬉しいなんて本人には言えない。代わりに名前を呼んで、それからそっと手を握った。
一瞬驚いたように目を見開いた伊月はふわりと花が咲くように笑った。




「今日、不思議な夢を見たんだよね。買い物帰り、ただ歩いてるだけなんだけど。面白いのは起きる寸前に、日向に会いたいって、思ったことなんだ。ちょ、笑うなよ、結構ちゃんとした夢だったんだからな────

















---------------
130405
日月の日
君さえいれば明日のことなどわからなくても

↑副題。


なんか………すみません
日月って感じが、しますか?え?みたいな感じだけど日月です
思いだけはこれでもかってくらい詰まってます。
大好きです。伊月と日向と日月が。

まだ決勝戦始まってないね。頑張ってください。祈ってる。

二人がお互いにとって生涯の親友であればいいと思います。
本当に。



ここまで読んでくださった貴方に感謝を込めて。



眉毛

これからもよろしくお願いします






……もしかしてこの名前ふざけてるようにしか見えない?