「なし」

どこへ向かうともなく二人で歩いていたら、突然伊月さんが呟いた。

「え?」

半歩後ろを振り返る。寒そうにセーターの前を合わせていた伊月さんは、足元を見つめるとパカッと小石を蹴った。そいつはコロ、とほんの少し跳ねてこちらへやってくる。

「食欲」

「ええっと……お腹空いてます?」

さっきのは梨か、と納得しながら爪先に当たった小石を蹴る。数歩先までカランカランと転がっていった。伊月さんはそれに視線を向けたまま、薄っぺらいニット生地のポケットに手を突っ込んだ。

「栗、リンドウ、馬、」

「は?…あ、もしかして馬肥ゆる秋、ですか」

今度は伊月さんが小石を蹴った。小さな弧を描いたそれは2度3度と跳ねて止まった。やっと趣旨を理解した俺が口を挟むと何十分ぶりかの笑顔が見えた。マフラーに隠れて口元は見えないのが残念だ。

「お、正解。じゃあ次は、まつむし」

「し、し?えーっと、しぶがき」

我ながらなんとも微妙な、と思ったらすぐ隣から干し柿食べたいなんて呟きが聞こえて思わず笑った。

「き、き……あ、金木犀」

ふわりと香った風に、思わず肩を竦める。パーカーのジッパーを上げつつ随分寒くなったものだと空を見上げると、遥か高くを真っ白な雲が漂っていた。
伊月さんが少し歩を速めて、小石を公園に蹴り入れる。置き去りにされたサッカーボールにコツンと当たった。小石の行き先を見ている伊月さんの横に並ぶと、あ、と伊月さんが声を上げた。

「金木犀で、金もくせえ」
「……1点」

真っ青な空を背景に嬉しそうに笑う彼に見とれそうになったが、その口から出た言葉にはりんごも寒すぎて真っ赤になってしまうだろう。だが伊月さんは、俺の引きつった表情もお構いなしに、

「5段階評価で?」

なんて訊いてくる。

「100点満点っすね」
「えっ、そんなに駄目!?」
「少なくとも産婆のサンバより酷いです」
「それは会心の出来だと思うんだけど」
「その認識はもう改心すべきレベルっすねー」
「む、実はお前ダジャレ…」
「好きじゃないです」

言い切ってみせれば残念そうな顔をするが、いくら伊月さんが好きでもダジャレばっかりは好きにはなれない。

「あ、でもダジャレ言う伊月さんは好きですよ」

そう伝えて肩を寄せてみる。夏は直接触れ合っていた肌が、今は生地に遮られてしまっていて隣の体温を感じられない。でも寒くなった分、距離はいつもより近いのかも。
そんなことを思っているうちに、伊月さんは一瞬豆鉄砲を食らったような顔をして、それから一歩横にずれた。
そしてちょっと疑うような目をしてまじまじとこちらを見てくる。

「え、なに、どうしたんすか」

じっと見つめてくる視線に困惑して首を傾げたら伊月さんはムッとした表情で、それでいてからかうような声音で答えた。

「いや……ダジャレはあばたか、と思って」

え、なんて俺がフリーズしてる間に伊月さんは人気のない小さな公園へズンズン入っていって、ブランコの前で止まる。俺はそれを慌てて追いかけ、

「あばたもえくぼ、は不満ですか」

と問えば、

「別に?」

と、にやけ顔で返答される。それに何かモヤモヤしたものを感じて顎に手を当てていたら、伊月さんはクスリと笑った。

ニヤニヤしたままブランコに腰掛けた伊月さんは寒いと一言呟いてマフラーを巻きなおす。確かに、割と厚手のパーカーの俺に対して伊月さんは少し薄着なのかもしれない。マフラーをしても襟元が開いているので白い肌が覗いている。
俺はブランコの周りの柵に寄りかかってその様子を何とはなしに見ていた。


「冬になるなあ」

伊月さんがブランコをゆっくり揺らしながらしみじみと言う。


「気が早いっすね」

「そうでもないって。あっという間だよ、時間が過ぎるのは」

「じゃあ今回の秋は長かったって思えるようにプロデュースしますよ」

「ええっ、無理だろ」

即答だった。

「ええっ、なんでっ!?」

大袈裟にも叫んでみたが、さも当然かのような顔をしているから酷いものである。だが、

「なんでって、そりゃお前といると…って、あ、いや何でもない」

こんなことを言って頬を赤く染めるのを知ったらもう自分も照れるしかない。

「ちょっと、ひとりで照れないでほしいんですけど!うわあ俺もハズいわー」

伊月さんはマフラーで耳まで隠して未だ慌てている。今の忘れて、と言いながらブランコから立ち上がった。俺は袖を捲って手のひらでパタパタと顔を扇ぐ。忘れるなんて無理な相談だと思っていたら頬を引っ張られた。

「いひゃいいひゃい」

「なんかよくわからないけど高尾と喋ってると言うつもりないことまでつい言っちゃうんだよ。きっとこの軽い口のせいだな」

伊月さんはさり気なく酷いことを言いながら一際強く抓って頬から手を離した。
それから、急に思い立ったようにズンズン歩いて公園を出て行く。影の長くなってきたサッカーボールの横をすり抜け、こちらを振り返ることもない。なんとも気まぐれなことだ。
寒さに若干丸まったその背中を、再び追いかける形になった俺は思う。
自分がこの人の全部を好きだと思っているのは、伊月さんが伊月さんであるからで、欠点を欠点などとは認識していないのだと、あんな諺では安すぎる、彼全てへの恋だからだと、そんなことを考える。
さっきの会話で感じた違和感はこれだったのだ。

後ろから伊月さんの手を捕まえて、振り向かせる。

「伊月俊」

「え?」

「しりとりの続きですよ」

「秋じゃないじゃん、しかも『ん』が付いてるし」

「俺にとって伊月さんは年がら年中旬なんでアリです。それに、『い』なら伊月さんしか無いし」

そう言って伊月さんをチラリと窺うとあからさまに目を逸らされた。驚いていたら、その横顔はどんどん赤くなっていって。

「やっぱり口が軽いよお前」

小さな声で文句を言って、微かに手を握り返してくれる。
思わず生唾を飲み込んで、きっと自分は一生盲目なのだと予感する。この人に正常な視界を奪われたのだと。

触れ合った手のひらからこの想いが伝わりはしないかと、ひんやりした指先にしっかりと自分の指を絡めた。













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匿名さま、リクエストありがとうございましたっ!
いちゃらぶな高月になったか、ものすごい不安です。ご期待に添えたかどうか…
無駄に長ったらしくなりましたが、読んでくださっていたら嬉しゅうございます


121007 眉毛