夏休みなんて言うけれど、休める日なんか片手で数えられる程度しかない。でも、青春の全てをバスケにかける、そんな夏も自分は嫌いではない。自分も大概のバスケ馬鹿だなあとつくづく思う。

そんな話をしたのは7月中旬だったか。
かれこれ半月以上はメールすらしていなかった。多分あっちは更に忙しいんだろうと気を遣っていたわけだが、せっかくの夏休みだ、一日くらい。
習慣で、どんなに疲れていても朝5時50分に起きるようになってしまった頭が語りかけてくる。貴重な休日なんだから有意義に過ごさなければ、と。
自然と手は枕元の携帯電話に伸びていた。


小走りで駆け込んだ電車は空いていた。
当たり前だ、帰省ラッシュで今は都心へ出掛ける人より地方へ向かう人のほうが多いのだ。しかも日曜6時半の電車。ポツポツと離れて座っている乗客に倣って自分も端のほうに座る。ひんやりと冷たい風が優しく腕を撫でた。
今日は真夏の朝にしては涼しかった。長袖のサマーセーターを出した程だ。流れていく外の景色を見れば、厚い雲を突き抜けた日の光がぼんやりと家々の屋根を照らしていた。また、ほんの少し気分が高揚する。あちらの天気はなんだろう、暑いだろうか涼しいだろうか。なんでもいいけれど、一緒に月が昇るのを見たい。そのときだけは晴れてほしいのだ。今日は満月だから。




いつだったか、無性に恋しくなって電話をかけたときに言われたのだ。丁度満月が見えて、そしたらお前を思い出したんだ、なんでだろうなあ、すごく綺麗なんだ。なんて。いつも互いに照れくさくて手に触れることすらできないくせに、たまにあの人は変なことを言う。天然なところがあるのかもしれない。とにかくそのときは恥ずかしすぎて通話を一度切ったほどだった。電話をかけ直せば、やっと自分の発言のクサさを理解したのか狼狽える様子が電話越しにも手に取るようにわかった。その夜は燃えるように熱い耳へ直接流れ込む声にいちいち微笑んでいた。




六つ駅を通り過ぎたところで鞄からイヤホンを取り出した。もう何度聴いたかわからない、お気に入りの曲を再生する。
最近流行りの曲は全然知らないけれど、教えてもらったバンドの曲はよく知っている。なんとなく聞いてしまうのだ。嬉しそうにCDを貸してくれるあの笑顔を思い出すからだというのは秘密にしている。

それから幾つか駅を過ぎて、4曲目が最後のサビに入ろうというとき携帯電話が着信を告げる。音もなく静かに光るライトは空色。メールだ。誰からかなんて見なくてもわかった。

『駅前で待ってる』

たったその一言がたまらなく幸せで、思わず笑みが零れる。向かい側の席に座っている綺麗な白髪のお婆ちゃんと目が合って、笑いかけられてしまった。自分も今、あんな柔らかい笑顔を浮かべているのだろう。急に照れくさくなってきて、前髪を弄る振りをしながら誤魔化すように俯いた。
そのままの姿勢でポチポチと両手でメールを打つ。やはり自分の居場所を伝える一言だけだが、これを送るだけでも少し緊張するのだ。こっそり深呼吸をして送信。無事に届いてくれよ、と必要もないのに念を押す。
送ってから一息ついて瞼を下ろしたとき、何か予感がして携帯電話を見るとなぜか再び着信を示すランプが光っていた。
元々メールは多く交わさないので、さっきの返事で一旦途切れると思っていたものだから首を傾げながらメールを開く。やはり相手は同じだった。なんだろう、何かあったのかと心配になる。
けれど、新着メールを読んでみればその心配は杞憂だったことに気がつく。一目で別人が打ったものだとわかるその文面には、向こうで待っている彼を見て面白がる様子が表れていて、また笑いそうになった。
写真まで添付された、キラキラと派手に絵文字や顔文字が施されたメールに無駄に綺麗な顔の1つ年下の男を思い出す。うちにはいないタイプの後輩だ、これはこれで楽しそうである。なんとなくあの金髪がゴールデンレトリバーを連想させるよなあと一人頷きながら返信。
もうすぐ着きます、また一言だけ。
文句を言われそうだ、と長身のモデルくんが拗ねる姿を想像する。でも、話したいことを直接伝えられるならそれまでのあと数分ごとき、この一言で事足りるのだ。

いよいよ次の駅だ。まだ起き出したばかりの街並みの向こうに、穏やかな海を見つける。そわそわしながらドアの前で電車が完全に止まるのを待っていたら、さっきのお婆ちゃんが隣に立って飴をくれた。ついでに「素敵な恋ねぇ」と手を握ってくれる。びっくりしてお婆ちゃんを振り返ると、いつかの母さんと同じ笑顔でこちらを見上げていた。女はなんでもわかるのよ、と言った母さんの声が蘇る。それでハッとして、「はい、素敵な人なんです」と答えればお婆ちゃんはまた嬉しそうに笑った。

扉が開く。俺は軽く会釈をしながら駆け出した。お婆ちゃんは手を振ったような気がする。階段を駆け下りて改札機に切符を通す。少し日差しの強くなってきた空の下へ飛び出して、速く、早く、あの人の元へ。



翼のある靴

この足でなら何処へでも行ける







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120812


笠松さん出てきてない(爆)
え、笠月ですよ?一応。黄瀬は仕事に行くところで笠松さんと出くわしました。

先輩早いっすね!
うぜえさっさと行け
ひどいっ!あ、もしかして今メールしたの伊月さんスか?
誰でもいいだろ!ってオイ!
またまたこんな味気ないメールを…。こんなんだと飽きないんスか?

で、メールを勝手に送信する黄瀬