「まっ、待って、切らないで」
急いで通話ボタンを押して携帯電話を耳に当てる。
涙声のまま電話の向こう側にいるはずの彼に縋る。これが切れてしまったら、もう二度と話せないような気がしたのだ。
音を発しなくなってしまった携帯電話に、恐る恐る声を吹き込んだ。

「……康次郎?」

『……伊月』

返答を聞いた途端全身から力が抜けて倒れかけた私を日向が支えてくれる。ボロボロとどうしようもなく涙が溢れて、その胸を借りてみっともなくしゃくりあげた。

「ごめっ、ごめん古橋、私、最低だった。良い顔ばっかりして誰も信じてなかった、でも、それでも好きだったからっ、大好きだから、」
『伊月』
「もう一度だけでいい、会いたい、会いたいよ」
『伊月っ』

一際大きな声で呼ばれて一瞬怯んだ。

『全然電話に出ないから会いにきた。もうすぐ着くから、』


その先はもうほとんど聞いていなかった。何もかも放り投げるようにその場に置いて裸足なのも構わず駆け出した。一度、彼と歩いた駅から家までの道程を辿る。日向の呼び止める声が遠くに聞こえた。
薄暗い路地を駆け抜けて、電灯の下を越えていく。制服のスカートが巻き上がって煩わしい。伸縮性のない生地が肩を不自由にさせる。それでも懸命に前へ前へと走りつづける。

1つ目の信号を越えたところで背の高い人影が見えた。見間違えようもない、古橋康次郎その人だった。

ハッハッと荒い息が名前を呼ぶのを妨げる。もう何と罵られても構わない、だからもう一度名前を呼んで抱きしめるチャンスが欲しい。
私は、涙で滲む視界をこすって、同じように走ってくる彼が伸ばした腕の中に飛び込んだ。







裸足で飛び込んできた彼女はしばらく抱きついたまま深呼吸をゆっくり繰り返していた。胸の辺りにある旋毛が風に煽られてふわりと揺れた。ついこの前までは旋毛ではなく真っ直ぐな分け目があったことを思い出した。

「切ったのか」

滑らかな肌触りを再確認するようにゆっくり撫でながら言うと、伊月はしがみついたまま頷いた。

「切るなんて勿体無い。あんなに綺麗だったのに」
「……」
「すまなかった。嫌いだなんて欠片も思ってない。だからこうして会いにきた」

数日前の電話で彼女に別れを告げてから、どうやら山崎にすら分かるほど呆けていたようで何をしても面白がられた。自分と付き合うことが伊月にとって負担になるのならと思って決断したことではあったが、いざ別れてみれば自分は既に彼女無しには生きられなくなっていたことを理解し力ずくでも取り戻したいと思ったのだ。

背中に手を回すと、ますます腕の力が強くなった。服を引っ張らて少し首周りが苦しい。黙っていると、腕の中で彼女が小刻みに震えているのがわかった。
この小さな細い背中に、色々なものを独りで背負わせてしまっていたのかと今更ながらに気が付いた。
静かに泣く背中をさすってトントンと軽く叩くと、伊月は微かな声で一言二言呟く。
それが優しく鼓膜を叩くと同時に、安堵か喜びか息が漏れて、自分の能面の筋肉がほんの僅かに緩むのを感じた。
自分は今、笑えているだろうか。

それから、ただただ静かに二人きりの夜道で指を絡め合った。






never
もう二度と手放しはしない






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120806

やっと完結…
最後急ぎすぎた感が否めない…
まあ伊月が幸せになったから良いってことで
二人の間で交わされる言葉は少なくても目の前にいればどんなこともなんとかなるのです