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ひとひら

愛梨さまリクエスト「Home」


ひと月振りの上陸を控えたパドルシップの船内は、徐々に慌ただしさを増していた。


「ルリー、明後日の下船どうする?」
「本船入る前の準備も有りますよね?わたし行きますよ」
「じゃあこれ、厨房からのリスト。手配だけでいいから頼むな」
「はーい」

ひらひらと手を振りながら笑顔でコックを見送ったルリは、一人自室…と言っても、空き部屋を一時的に借りているだけだが…に入って行った。


(……モビーも来ちゃうのかぁ…)

複雑な面持ちでベッドに腰掛け、ルリは小さくため息を吐いた。



半月ほど前から、ルリはパドルシップに滞在していた。
ここ数ヶ月パドルに行く事が出来ず、溜まった仕事を片付ける為…というのは建前と口実で、本意は他の所に有った。


「イゾウさん……」

最初は、想うだけで満足だった。
例え離れた場所に居ても、その存在を想うだけで心が満たされたのに。

その手に触れ、抱きしめられ。
遂には口唇に何度か触れてしまった今。

沸き起こったその先への想いは、自分の是とするものではない。

(もう会っても大丈夫かな……)


予定外のモビーの寄港に、まだ暫くはパドルで気持ちを見つめ直す積もりだったルリの心は一気に動き始める。

想いを断つと言う選択肢は有り得なかった。
スイッチを切るみたいに簡単に断ち切れるならば、最初からこんなに悩む必要はない。


ぐるぐると堂々巡りを始めた思考がずっしりと重くのし掛かり、ぽふんとベッドに身体を投げたルリの思考を、遠く聞こえる鐘の音が寸断する。

こんな時に…敵襲を報せる鐘の音だ。

寄港間際で物資の乏しい船を狙ったつもりなのだろう。しかし他船ならいざ知らず、例え寄港前で弾薬が心許なくとも白ひげの船がそこら辺の海賊船に劣る筈はない。

(考えてるよりは、いっか……)

重い心と身体をゆっくりと起こしながら愛銃と愛刀を一瞥し、ルリは甲板へと向かって行った。





「―イゾウ…さん?」

甲板に出た瞬間、喧騒の中確かにイゾウの気配を感じた気がした。
手近の敵を斬り伏せ、慌てて気配のした方へ走るがそこに当然イゾウの姿は無く、気配も感じられなくなっていた。

(そんな筈、無いよね…)

思わず期待してしまった所為で気落ちしてしまったが、今は戦闘中だ。ルリは小さく頭を振って雑念を振り払い、家族を守る為に再び戦線へと戻って行った。



出口の見えない煩悶とした気持ちを抱えたまま一日を過ごしたルリは、そのまま寄港の朝を迎えた。


モビーとパドルの必要な物資の手配を全て済ませると、特に当ても無く島内を歩く。
陽が真上まで昇り切った頃、モビーが寄港したとの連絡を受けると、街から外れ山道へと分け入って行った。

入江に停泊しているモビーが見える崖の上。

大きなモビーの姿をこうやって遠くから眺めるのがルリは好きだった。沢山の家族の行き交う甲板を暫く眺めて、そこにイゾウの姿が見えない事に少し安堵する。


(イゾウさん、何してるのかなぁ……)


本当は少しでも近い距離に居たい
声を聞きたい


敵襲の最中に感じたイゾウの気配。
間違える筈は無いと思いたいが、隊長格が来るのに連絡が無いとは考えられない。

だからきっと、自分の勘違いなんだろう。

そう思う事でルリは逸る気持ちを必死に鎮めようとしていた。



自ら選んだパドルでの長期滞在。
いつでもモビーに帰る事は出来る、でも…

ナースと付き合っているクルーも、家族を陸に残しているクルーも沢山居る。
もし自分とイゾウがそういう事になっても、反対する家族は恐らく居ないだろう。

誰に制された訳でも無い。

だからこれは、完全にルリの気持ちの問題だった。

イゾウへの想いを落ち着かせたくて、せめてもと物理的な距離を置いたのに。
無理矢理押し込めた所為で、鎮まるどころか弛んだ隙間から堰を切った様に勢いを増して溢れだす。


海に出た当初は……パドルからモビーに移動になった時でさえ、誰かにこんな気持ちを抱く事になるとは思っていなかった。

家族を失くし、船の仲間の大半を失い…深く親密に、特別になればなるだけ別離は辛い事を知っている。白ひげと言う偉大な父親と沢山の家族は居るが、"その存在"を作る事は避けて来た。そして、特別な存在と云う立場が時には相手の足枷になる事も、身を以て知っている。だから―…

そうと話した事は無いが察してくれて居るイゾウは、ルリの望まない位置まで無理に踏み込もうとはしなかった。

そんなイゾウにいつしか心を許し、与えてくれる心地良さに完全に甘えていた。



(やっぱり……会いたい)

会いたいと思うだけで、苦しい。
こんなにも会いたいと思った事は無かった


…本当は答えなんて、とうに出ているのだ。


(どうしよう…。たまらなく、どうしようもなくイゾウさんが好き…)


頭も心もイゾウでいっぱいになったルリはへにゃりとその場に座り込んで膝を抱え、ゆらゆらとした思考の海にゆっくりと身体を沈めていった。




ザワザワと草木を揺らしていた海風の匂いに不意に混ざった、慣れ親しんだ香と煙管の香り。
間違い様も無い程に、近くハッキリとした気配。

ピクリと僅かに肩を揺らせてゆっくりと顔を上げたルリは、モビーから目を逸らさず、意識だけを背後の人物に向けて小さく話し出した。


「イゾウさん…?何でここが…」
「よく上からモビーを見てるって、前に聞いてたからな」

久しぶりに聞く声が、ルリの中を駆け巡る。
自分の言葉を覚えていてくれた事に、こうして来てくれた事に。ぎゅっと締め付けられた心が瞳の奥から涙を押し出そうとするのを、必死に堪える。

「出たっ切りズルズルと…まともな連絡も寄越さねェで何やってんだよ、ったく…」

ぼやきとも苦言とも取れる口調のイゾウに、
膝を抱える腕に力が入り、きゅっと口唇を噛む。

「…離れて考えてみたかったんです。一人になって、自分の事もイゾウさんの事も、これからの事も全部……」
「離れてたら答えが出るとか、そういうモンじゃねェだろ?」
「…分かってます。でも近くに居ると欲張っちゃう自分が嫌で…どうしよう、イゾウさん…わたし…」

カサっと地を踏む音がして、ルリの半歩程後ろにイゾウが腰を降ろす気配がした。チラリと横目で見れば、くるくると煙管で遊ぶ指先が僅かに目に入る。


たったそれだけなのに、酷く安心した。
自分が居たいのは矢張りここなのだ、と。


「…どうせ悩むなら、近くに居る方が安心するよな」

自分と同じ想いを口にしたイゾウに驚いて、ルリは思わずイゾウの方を向く。
半月振りに見たその表情は強く迷いの無い物で、まだ心が揺らぐルリは耐え来れず視線を逸らしてしまう。

「何でそんなに簡単に言えるんですか…」
「そう思ったから、言っただけだよ」
「……イゾウさんは、強いから…。でもわたしは…」

ふるふると首を振って否定するルリの頭をイゾウがさらりと撫でると、ルリの身体からふっと力が抜けた様に見えた。

「強かったら、わざわざここまで来ねェよ」

ポツリと呟いたイゾウの声に、その意味に。涙を堪えた顔を向けたルリの頬をイゾウが指でそっと撫でると、漸くルリは薄っすらとだが笑顔を見せた。



黙ったままモビーを見続けるルリの、風に流れる髪で暫く遊んでいたイゾウが不意に「あァ、そうだ…」と呟いてくいっと緩く髪を引くと、ルリが疑問を貼り付けた顔を向ける。

「…はい?」
「戦闘中に余所見すんなって言わなかったか?」
「…!!」

矢張りあれは、イゾウの気配だった。

よりにもよって誰かとイゾウを間違えてしまう程、そこまで焦がれてしまっていたのかと実は少し気落ちしていたルリは、安心感と嬉しさでふふっと笑みを零す。

「…やっぱりイゾウさんだったんですね」
「ルリに気取られる様じゃ、俺もまだまだ甘ェよな」
「わたし、イゾウさんなら絶対分かります。何処に居ても何をしてても…」

イゾウの目を真っ直ぐ見ながら言ってしまいハッとしたルリは、みるみる朱に染まる頬を慌てて隠す。

「じゃあ俺が今どうしたいか、分かるな?」

くしゃりと頭を撫でながらイゾウは立ち上がり、懐中の煙管を弄びながらルリとその背後のモビーを見遣る。

ルリは頬から離した手を躊躇わずにイゾウの方へと伸ばした。

「きっと…わたしも同じです」

迷いの無い笑顔を見せるルリの手を満足げな表情で取ったイゾウは、優しく強く引いて立ち上がらせる。

「イゾウさん」
「ん?」

「迎えに来てくれて、ありがとです」


ルリがしっかりとその手を握り返しながら言うと、イゾウは空いた手で耳の横から髪を掻き分けて首に手を添え、ぽすんと軽く胸に抱き込んだ。
驚いてはっと強く息を吸ったルリに、よしよし、と小さな子供にする様に頭を撫でると、顔を朱に染めたままのルリの手を引き、モビーへ向けて歩き出した。


fin.…next→おまけ。
リクエスト内容:ヒロインがイゾウさんと距離を置く、切なく甘い夢。


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