恋とか愛とか、そんなものはもう
食べ尽くしたと思っていた
ゆかこ様リクエスト/サッチ、切微甘
※妊娠ネタですので、苦手な方はご注意ください。
「うそ……」
もしかしたら、と思わなかった訳じゃない。
だからこうしてこっそり検査を受けた。
それでもいざ現実を目の当たりにすると、否定の言葉しか出て来ない。
「嘘だと思うならもう一度調べても構わないがね。ま、結果は同じだと思うよ」
「ごめんなさい、ドクターを信用してないわけじゃないの…」
こんな反応は慣れっこであろう船医は、「わかってる、気にするな」とでも言うかの様にポンポンと私の肩を叩くと、「とにかく暴れるな、身体を冷やすな。決めるなら早いうちに」と言って煙草を手に部屋を出て行った。
パタン、と扉を閉める音が、やけに大きく響いた。
「最悪……」
言葉を間違えてる気がした。
でも正解がわからない。
海賊なんてやってるけど、いつかは私だってと憧れは持ってたと思う。
いつの間にか付き合い始め、気付けば随分と長く時間が過ぎた。何となく、このままずっと一緒に居るんだろうって思っていたのは、私だけじゃないと思ってる。
だけどそれとこれとは別の話で、こんな事言われたってあの人は困るだけだ。
私一人、手放しで喜ぶ事は出来ない。
無意識に煙草を取り出して咥え、火を点けようとして我に返る。
くしゃっと握り潰し、ゴミ箱に投げ捨てた。
子供が出来た…
サッチとの子供に間違いなかった。
…………
……
それから数日経ったが、カナは未だにサッチと話が出来ずに居た。
そもそも伝えるべきなのかどうかも、迷ったままだった。
話そうとした事は何度か有ったが、サッチが煙草を取り出したのを見ると思わずその場を離れてしまう。
適当な口実を付けて宴も鍛練も断っていた。
こんなに早く自覚の様なものが芽生えた自分に戸惑いつつも、つまりそれは、自分の気持ちはその方向だと言う事で。
負担にはなりたく無い。
サッチはカナの恋人である前に、白ひげ海賊団の隊長だ……頭ではそう思っているのに、心がついて来ない。
いくらモビーが世界最強を誇る船でも、子連れなんて迷惑を掛けるに決まってる。
当然、船を降りるつもりでいた。
その覚悟を決める事は、産む決断をするより難しかった。
サッチならば手放しで喜んでくれる…あわよくばモビーを降りずに済むかもしれないと云う淡い期待が心の隅で邪魔をする。
背中を押して欲しい。
そう思わなくは無い…けれど。
「サッチ、話が有るの」
寄港が近かった。これを逃せば次はいつになるか分からない。戦闘だって起こるかもしれない。
カナは、意を決してサッチを呼び出した。
「あのね…私モビー降りる事にした」
「は?何言ってんだ?カナ」
カナが冗談を言っていると思ったのだろう。まともに取り合わないサッチがいつも通り取り出した煙草を、カナはさっと取り上げる。
「っおい、返せっての」
「ヤダ」
「カナ、さっきから何拗ねてんだ?俺っち何かしたか?」
「………した、と言うか…」
ぽんぽんと宥める様に頭を撫でた手をそのままに、首を傾げて顔を覗き込むサッチの目が真っ直ぐにカナを捕らえる。
「ほれ、言ってみ?聞いてやっからよ」
その柔らかい視線に、ぎゅうぅっと心が締め付けられる。
カナだけに見せてくれる顔だった。
離れたくない。
子供が出来た事、船を降りる事で頭がいっぱいで後ろへ追いやられていたけれど、サッチが好きだ。
堪らなく、どうしようもなく。
「…ども、……きたの」
気付いたら、口にしていた。
「んぁ…?」
「だから子供…出来たって…」
「ちょっと待て、それ俺っちの…」
ぽかんと口を開けサッチは動きを止め、カナの頭に乗っていた手がずるりと力無く落ちる。
「は…?当たり前でしょ!?他に誰が居るって言うの?もしかしてサッチ、私の事をそういう風に見て…」
「あ、悪ぃ…そういう訳じゃねぇんだけどよ…」
髪型が崩れるのも気にせずくしゃっと頭を掻き回したサッチの「ウソだろ…」と云う呟きが、じわじわとカナの心の深くまで刺さる。
「別に嘘なんて吐いてない…」
「あ、いや…そういう意味じゃねぇ。けどよ、急に言われてもよ…」
昂ぶっていた気持ちが、一気に萎んで行くのを感じた。
じわり、と視界が滲む。
矢張りサッチに伝えずに、そっと船を降りるべきだったのだ。
一緒に育てて欲しいとか、そんな事を望んでいた訳では無いのだから。
嘘でも「嫌いになった」と伝え、それで終わりにする事だって出来たのに…
「ごめん…聞かなかった事にして」
「…んなの、出来るはずねぇっての」
「ホントは相手はサッチじゃない…だからサッチには関係無い…これなら良いでしょ?」
「何が良いんだよ!くそ、落ち着けっての。こっち向け、話聞けよカナ」
「落ち着いてる!話も聞いてる!」
俯いたカナの両肩を掴んだサッチの指先に力が入り、僅かに顔を顰めたカナに気付いたサッチの手が、ゆっくりと離れてゆく。
「…それで何で降りるって話になんだよ」
「今はまだ平気だけど…そのうち体調だって崩す。そしたらみんなに気を使わせるに決まってる。サッチに迷惑かけたくないの。解って…」
「解ってつってもよ…」
本当はずっと一緒に居たい。
居られると思っていた…
カナに向けて伸ばされたサッチの手が、寸での所で躊躇いがちに止まる。
その手を躊躇わずに取ったカナは、静かな笑みを浮かべながらサッチを見上げていた。
きっとこれが、今の二人の温度差でこれからの距離感なのだ。
男と女
隊長と船員
与える者と与えられる者
奪う者と、育む者……
「カナ……」
「サッチ…今までありがとう。ずっと、ずっと……。楽しかったよ」
「モビーを降りる」カナがそう伝えると、マルコは何も言わずに手筈を整えた。
ちょうど寄港する島にオヤジの昔馴染みで元海賊の医者が居たので、当面はそこに身を寄せる事になっていた。
「カナ」
「はい?」
「モビーには親父ぶりてぇ奴なんかごろごろしてんだ。気が変わったらいつでも帰って来いよ?家族なんだからよい」
「…ありがとう、マルコ隊長」
サッチとは、結局あれ以来一度も会話をしないままだった。この島でカナが船を降りる事は隊長会議で伝わっているので……そう云う事なんだろう。
「おれに出来るのはこんくらいだからな。いつでも連絡しろよい。何も言わねぇがオヤジだって楽しみにしてんだ」
「うん…」
「ま、陸も…悪くねぇよい」
そう言ってくしゃっとカナの頭を撫でたマルコの顔は逆光で見えなかったが、見てはいけない気がして逸らした視線が捉えた両手の影は、固く握り締められている様に見えた。
「海に居なくても、私はオヤジの娘で皆の家族だもん。大丈夫、心はちゃんとモビーと共に有るの。だから…サッチを宜しくお願いします」
この海は何処までだって繋がって居るから。
だから―
マルコに向けて下げていた頭を上げると、モビーが見えた。きっと今頃サッチは、夕食の仕込みに追われているだろう。
彼には彼の生き方が有る。
道が有る。
居場所が有る。
沢山の家族にも、必要とされている。
「母になった女には勝てねぇよい。だからおれたちは、海に出るんだけどな…」
誇らし気に波間を駆けるモビーの姿は本当に立派で大きい。こうしてゆっくり陸から見て、乗って居た時以上にその偉大さを実感するなんて…皮肉な話だった。
冷たい海風が頬を撫でる。
マルコと別れ、大きなモビーが見えなくなるまで随分と長い時間見送った所為で、少し冷えてしまった身体を軽く手で摩る。
これからは一人でこの子を守らなきゃならないんだから、気を引き締めて……そうカナが思った矢先、背後でカサっと枯葉を踏む音がして身構えた。
「…カナ……」
聞こえたのは耳慣れた声でホッと肩の力を抜いたカナは、再び僅かに緊張する。
モビーは出航したのだ。
その声が聞こえる筈は……
恐る恐るカナが振り向くと、立って居たのはずぶ濡れのサッチ。
崩れた自慢の髪型は後ろに撫でつけただけで、くしゃくしゃの煙草を火を点けずに咥えている。
「サッチ…どうして…?」
「マルコに海に蹴り落とされて、上がろうとしたらイゾウの的にされた…あいつら、マジ容赦ねぇ…」
雨の日の犬みたいにぶるっと頭を振ってへにゃりと眉を下げるサッチの顔を見れば、その様子は容易に想像出来てしまう。まだモビーと別れて僅かしか経っていないのに、強烈な懐かしさに包まれた。
「落とされるとか…今度は何したのよ」
「あー…大事なモン、置き忘れたんだわ」
大事なモン…その言葉にカナはゆっくり息を飲み、へにゃりと笑う。
長く一緒に居るうちにサッチに似て来たと、よくマルコやイゾウにからかわれた笑い方だった。
「バカ…大事なら忘れないでよ…」
ぽすっと全力で放った握り拳は、避けられる事無くサッチの硬い腹部にヒットする。
そのままぐりぐりと捻じ込んでいた手をはしっと取られ、カナは引き寄せられるがままにまだ濡れるサッチの頬に触れた。
「ホントにな。こんな情けねー男じゃ、不安だよな?」
「情けなくないサッチなんて、サッチじゃないでしょ…」
頭一つ以上大きなサッチに、濡れる事など気にせずに抱きついたカナをサッチが全力で抱き上げる。
がっしりとした首も、軽々とカナを抱き上げる腕も、全てが頼もしくて隅々まで愛しい。
「一緒にモビーに帰ろうぜ、カナ」
「二人で?」
「いや、三人でだろ?」
情けない男が躊躇わず口にしたここ一番の台詞に、嬉しさが勝って涙が出ないカナの代わりに、心がきゅうきゅうと泣いた。
「うん…!」
fin…
「…どうやってモビーに帰るの?」
「そのうち迎えに来るってよ」
「そのうち……何ヶ月後?」
「…さぁ?でもとりあえず今のうちに、カナを独り占めしてーんだけど?」
「今のうちだけだからね」
「今のうちだけだからな」
77,777hitリクエスト。thanx!
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