02.管理人、始めました
自分の部屋に入って、荷解きをする。
荷解きと言っても、前のアパートも家具付だったから荷物はこのキャリーバックひとつに納まる程度しかない。
元々物は持たない方だし、訳有って引越しが多かったから身についた習慣みたいなものだ。
部屋の大きな窓からは、親父さんの家の広い庭が見える。
静かで綺麗な部屋だし、凄く気に入った。
ここで始まる新しい生活に、ドキドキと期待が高まる。
「カナーカナ!」
廊下を走るバタバタと大きな足音と共に、近づいて来るエースの声。
何事かと扉を開けると、お菓子の袋を手に満面の笑みのエースが立っていた。
「マルコがカナ呼んで来いって」
「はいはーい」
何だろう?
睨まれているみたいなさっきの顔を思い出し、少し緊張しながらリビングへと向かった。
「簡単に説明するからよい」
聞けばマルコさんは、このアパートが出来た時からの住人らしい。
白ひげ株式会社なんて立派な会社に勤めてるのに、未だにここに居るのは親父さんの家の近くに居たいから、だそうで。
よっぽど心酔してるんだなぁ。
そう思ったら、さっきの射抜くような目線にちょっと納得が行った。
親父さんの連れてきた私が、どんな人間なのか値踏みしてたわけだ。
…こんにゃろう。
「・・・で、出掛ける時はこのマグネットを外出の方に移動してけよい。帰ってこない日はここに。内鍵閉めなきゃなんねぇからよ」
マグネットは、各自好きな形のものを用意する習慣になっているらしい。
青い鳥がマルコさん、大きなハンバーガーがエース。
可愛い黄色のお鍋がサッチさん。
イゾウさんのは…何だこれ?
よく判らない謎の形の物が『外出』の欄にぺたっと貼り付けられていた。
「ま、管理人っても基本自分の生活してくれて構わねぇよい。ここの掃除だとか、庭の手入れだとか、空いた時間にそれだけやってくれりゃ」
「解りました」
今日は休んだけどいつもはバイトも有る。
それだけの仕事でお給料が貰えるなんて、本当に親父さんには感謝しなくっちゃ。
その時、玄関の外にバイクの止まる大きな音がした。
「お、サッチじゃねぇの?」
「あ?あいつはまだ店の時間だろい?」
ぱたぱたと玄関へ行くと、時代錯誤なでっかい金髪リーゼントの人が立っていた。
よく見れば顔に傷もある。
も、もしかしてサッチさんてその筋の人デスカ…と、ゆっくり視線を反らそうとしたら、めちゃめちゃ良い笑顔でこちらへ近付いて来た。
「あれ?女の子じゃん。俺サッチっつーのよ。おねーさんは?」
「今日からここの管理人になったカナですっ!」
「あー親父が言ってたなそういえば。よろしくな、カナちゃん」
大きな手でわしゃっと私の頭を撫でたサッチさんは、バタバタと二階へ上がると、大きな袋をひとつ抱えてすぐに降りてきた。
「なんだ、忘れモンかよい」
「急にお客さんに頼まれてよ。足りねーもん取りに来ただけなんだわ」
慌しく靴を履くと、サッチさんはすぐに外へ出て行った。
大きなエンジン音が、瞬く間に遠ざかる。
…ヘルメット、どうやって被ってるんだろう?
「お店?」
「駅前通りにある"幸"って店知らねぇか?サッチの店なんだぜ、そこ」
「さち…赤い提灯の?」
「そうそう、サッチの飯はうめーんだぜ!」
入った事はないけど、バイト帰りに賑やかな声の漏れるお店の前を通った事が有る。
そうか、あそこのお店の人なんだ、サッチさんは。
これで、会ってない住人はイゾウさんだけになった。
私の部屋にはキッチンが付いていないので、共用のキッチンでお湯を沸かしてお茶を飲む。
初日だし、出来れば顔を合わせておきたいから、リビングでイゾウさんの帰りを待つ事にした。
テレビを見ながらそわそわと過ごしていたら、視界がたまにチカチカする。
眩暈かと思ったけど、何処も具合は悪くないし…と視線を上にやると、そこには軽く点滅するシーリングライトが。
「予備は納戸に有るって言ってたっけ」
早速管理人らしい仕事が舞い込んだ。
意気揚々とキッチンの隣の納戸を漁り、お目当ての蛍光灯を見つける。
「さて、どうしようか…」
背は低い方ではないけど、流石に天井までは届かない。
ダイニングの椅子を持ってきて、その上にソファー用の足置きを重ねる。
ちょっと不安定だけど運動神経は悪くないし、きっと大丈夫。
「よし、交換完了…っと」
「白、か…」
「え!?」
ゆっくりと声のした方を見ると、綺麗な黒髪で長髪の、整った顔の男の人がこっちを見上げて立っていた。
思わず見惚れ…じゃない、今何て言った?この人。
「しろ…あ、あぁぁぁ!!」
私、今日はスカートだった!!
慌てて裾を押さえようとするも、生憎両手は外した蛍光灯で塞がっていた所為で変な体勢になり、バランスを崩してしまった。
まずい、落ちる。
蛍光灯が割れたら危ないので必死に両手を上にして、顔面から落ちる事を覚悟した。
ガタガタンと、足置きが落ちる音がして私も見事に転げ落ちた。
――男の人の、上に。
正確には、受け止めてくれたんだと思うけど。
下着を見られた私は、それ所ではない。
「随分とお転婆な天使だなァ」
「は?」
誰…?この訳の判らない事を言う残念なイケメンは?
私の悲鳴と物の落ちる音を聞いて降りて来たマルコさんの発言で、私は固まった。
「イゾウ、帰ってたのかよい。何やってんだカナと」
両手で頭上に蛍光灯を掲げる私の姿を見て、クツクツと楽しそうに笑うその人が―
「イゾウ…さん?」
この人が!?
手にしてた蛍光灯を頭にすっぽりとはめて、間抜けな姿で固まる私の下に居るこの人が…
あ、天使ってこれの事か。
なんて、納得してる場合じゃなかった。
「マルコさん…本当にこの人がイゾウさんですか?」
「おれはまだそこまで呆けちゃいねぇよい」
「カナってのか?俺はイゾウ、よろしくな」
よろしくじゃない!
ワナワナと震える手で、差し出された手を思いっきり払い除けて。
「マルコさん、その人にパンツ見られた!!」
「は?」
捨て台詞を残して、自分の部屋へと駆け込んだ。
鏡に写った自分の顔は、夕日を浴びたみたいに真っ赤だった。
(n)
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