60.始まりの場所
ひとはみな産まれた時に
真っ白で大きな紙を貰う
行き当たりばったり書き散らかしたり
慎重に引いた下書きを忠実になぞったり
誰かに書いて貰ったり
途中から二人で書いたり
とにかくそうやって、自分なりに埋めていく
拙いクジラの絵を描いたのを最後に
裏に書き始めてしまった私の紙は、
表に返せばまだまだ真っ白で
大人になり、文字も絵も言葉も覚え、
自在に埋める術を手に入れた私は
その真っ白な紙の前で
たくさんの色鉛筆を並べて
今日使う色を、わくわくしながら選ぶ。
「なんか…得しちゃったなぁ」
「何がだ?」
「もしずっとここに居たら知れなかった世界を見に行けたんだもん」
「リリィしか知らねェ世界、か」
「うん。オヤジさんも知らないんだよ?」
そして幼い頃にこの世界を離れてしまった私にとって、ここはまだ“初めて”というお宝だらけの世界。
「それも全部、こうやって帰って来れたから言える事だけどね」
ごろり、と寝返りを打てば視界に入る天井。モビーに帰って来たあの日、私を組み敷くイゾウさん越しに見た天井とは、全く違うものに見える。
首の下に差し入れられた腕にぴったり合う様に位置を直せば、そのままぎゅっと抱き寄せられて緩む頬。
景色が変わって当たり前だ。
だって私は今、こんなにも満ちている。
「それとね…誰かをこんなに好きで好きで堪らないのも、多分初めて」
「何で多分なんだよ」
「都合よく忘れてるかもしれないし?」
「この先も思い出すんじゃねェぞ?」
「…うん。でももし思い出しても、誰にも負けてない自信は有るよ」
さり気ない独占欲が擽ったくて擦り寄れば、まだ少し熱い口唇が額にそっと触れた。
「リリィ…か」
「ん?」
「いや、リリィが生来の名前なんだよな?」
「うん、そう言ってた。オヤジさんに名前を貰った時、凄くしっくりと馴染んだのはそれでだったんだなぁって。ホント、オヤジさんて凄いよね」
もし、あの時点でオヤジさんが私に気付かず違う名前を付けていたら
私の人生は元に戻ろうとせず、違った道を選んでしまったかもしれない。
全ては可能性の一つでしか無いけれど、それでも、私を見守り続けてくれたオヤジさんが居たから。
そのオヤジさんの選んだ家族が私を受け入れ支え、明かりを灯し続けてくれたから。
「流石はオヤジだよ。それに…良い名前だな」
「うん…ありがとう」
じわりと滲んだ視界を誤魔化そうと目を閉じたら、ぽろりと一粒だけ目端から零れた。
* * *
何処までも見渡す限り深く青い海原を走るモビーに、陽射しがジリジリと音をたてて降り注ぐ。
突き刺さると言っても良いくらいの、強烈な夏島海域の陽射し。
…暑い。
あっちでも南の島には何度か行ったけど、目に見える程に強い陽射しは初めて体感する。
「私もモビーに勤めて長いけど、リリィみたいな話は初めて聞いたわ。これだから海賊船は面白いのよね」
「エリン、海賊みたいな顔してる」
「リリィもすっかり海に馴染んだ顔してるわよ?」
なんて海賊ぶる私たちが居るのはしっかりと日陰の中で、一方本物の海賊たちは炎天下を物ともせずに、遮るもの一つ無い甲板のど真ん中で真剣勝負の真っ只中だ。
「みんな子供みたい」
寄港を前に、当番決めのジャンケン大会。16人で一斉にジャンケンなんて…よっぽど運が良くなきゃ決まらないんじゃないの?これ。
「子供なのよ、男は幾つになってもね」
そう言いながらも家族を見詰めるエリンの目は優しい。そこにはオヤジさんの影も見え隠れして、皆が慕う偉大な父親の影響力と云うモノを強く感じる。
成り行きを見守っていたギャラリーから歓声が上がり、ばらばらとその輪から離れたのは馴染んだ顔ばかり。
「あら…?」
「あれ、イゾウさん…負けた?」
隊長たちの輪から一人抜け、煙管を取り出しこちらへ向かって来るイゾウさんの後ろでは、終わりの見えない勝負が再開されている。
「負けるかよ」
「うそ、一抜け?」
「流石イゾウ隊長ね」と笑い船内に戻ったエリンと入れ替えに一目散に日陰に身を寄せたイゾウさんは、ふっと口角を緩く上げて笑い、煙管に火を入れる。
「暑ィ…」
「次は夏島だもんね。初めてだから楽しみだなぁ」
暑さを増長させる熱気が渦を巻く甲板の中央では、息を飲む静寂と落胆が繰り返されるも、未だそこから抜け出す人は居ない。
「勝負…つくのかな?」
「次に何番隊が抜けるか、賭けるか?」
「いいけど…何を?」
何をだろう?と見上げれば、目を瞑り、ふぅ、とゆっくり紫煙を吐き出したイゾウさんは僅かに逡巡し、いつに無く真剣な表情で私を見る。
「俺の人生」
「…へ?」
「オヤジにも捧げてるけどな、それとコレとは別だろ」
つまり、それは…
一瞬でからからに渇いてしまった口内を潤そうと無意識に鳴った喉。
容赦無く緩む頬と逸る鼓動を必死に抑えていたら、徐にちろり、と口唇を舐められ危うく思考が停止しそうになる。
「…っ」
「にやけてるぞ?」
ニヤリと笑うイゾウさんの相変わらずな余裕さに僅かな悔しさが沸き起こるも、これが私の好きなイゾウさんなんだからと思えば、負けじと私も笑い返す。
「私が勝ったら、イゾウさんのくれるの?」
「あァ。但し、俺は負けねェけどな」
「…じゃあ私も、私のこれから賭ける」
「勝負にならねェじゃねェか」
クスクスと笑い合って、いつの間にか絡め取られていた指を深く絡め返すと、未だ雌雄を決しない戦いを仕切り直す声が聞こえた。
「2番隊だな」
「じゃあ私は、11番隊」
お互いBETした所で暑さが限界を越え、どちらからともなく船内へと足を向ける。
扉を閉める間際わあっと聞こえた大きな歓声の中「よっしゃあ!」と云うエースの叫び声が聞こえた。
「で、行きてェ場所は有るのか?」
「イゾウさんと一緒なら、何処へでも」
そして始まる
私の世界の物語が再開する
行き先は無限
行き詰ったら、そこで止まらず戻ればいい
きっと行きには見えなかった物が見えるから
そうして紡いで行く
それが私の―――
fin.
2013.07.27〜2014.07.27
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