59.Truth
私自身が持つ記憶と
誰かの記憶の中の私
どちらも真実で
なのに少しだけ違う
願望に思い込み、経年による忘却
そんなモノが重なり合って、長い年月の間に少しずつ上書きしてしまうから
それでも、大切な事は消えない
書き換わらない
小さな子供だった私の思い出は
キラキラした海に大好きなモビー
「オヤジさん、どういう事ですか?」
「少し長い話になる……イゾウ、そこに居んなら入んな」
その言葉に驚いて振り向くと、少しだけバツの悪い顔をしたイゾウさんが静かに入って来た。一人で話を聞くのが不安だった私の為に、きっとずっと、そこに居てくれたんだろう。
「イゾウさん…」
頬が緩むのが分かった。
こちらに歩いて来るイゾウさんが待ち切れなくて思わず駆け寄ったら、珍しく少しだけ眉を下げてイゾウさんが笑って、つられて笑う。
それだけで、私はこんなに満たされる。
最初は何を考えてるのか分からなかった。
当たり前だけど、私の事を警戒してるのもありありと分かった。
いつからだろう?
その瞳の奥に有る優しさが見えるようになったのは。
側に居てくれるだけで強くなれると気が付いたのは。
イゾウさんに手を引かれ、オヤジさんの前に並び腰を下ろすと、待っていたかの様に豪快に傾けた盃をサイドテーブルに置いたオヤジさんが、片肘を着いて少しだけ遠くを見た。
その視線の先は
私一人では見えない、ずっと広い世界。
「20数年前…マルコやジョズが家族になる少し前の話だ。とある島に寄港中、いつの間にか小さな娘っ子が乗り込んでてなあ、柄にも無く随分と懐かれた。いよいよ出港だという日の朝、一緒に行きてえと言うそいつに聞けば、家族は居ねえと言う。モビーが好きだと言うその目が気に入ってな…おれは船に乗せた」
「それって…」
カタカタカタカタ…と、小刻みに床を刻む小さな音で、身体を支えていた自分の指先が震えていたと気付く。
その手をそっと優しく包まれ音が消えたのを合図に、オヤジさんは話を続ける。
私の知らない、私の話の続きを。
「毎日一緒に海を眺めた。遠くが見たいとせがまれて、肩にもよく乗せてやったもんだ。人懐こい娘っ子でな、赤髪に初めて会った時にも臆せず二人で駆け回ってやがった。尤も、どっちが餓鬼だか分からなかったがな」
そこでようやくオヤジさんがグラグラ笑って、緊張していた身体が少しだけ解けた。
それはイゾウさんも同じだった様で、ふぅ、と小さく息を吐くのが聞こえた。
「オヤジさん、それは…」
「それがリリィなのか?」
「おれはそうだと確信してるが…まあそう急くんじゃねえよ」
私がモビーに居た…
それならば私は…私がイゾウさんの部屋に来るまでの時間は?記憶は?
「半年くらい過ぎた頃だ。リリィが余程気に入ったのか、赤髪の小僧が性懲りも無く遊びに来やがった。その時だ、リリィが海に落ちたのは」
「…え?」
「落ちた、おれの目にも確かにそう見えた。所が比較的穏やかで深くまで見通せる海だってえのに、リリィの姿が何処にも見えねえ。海王類に喰われた気配もねえ。魚人族の奴等が潜って、それこそ海底まで捜した。だがな…リリィを見つけてやる事は出来なかった。ずっと長い事、これはおれの唯一の後悔だった」
「また落ちる気か?」――確かに赤髪さんはそう言っていた。私の名前も知っていた。会った事のない赤髪さんの手を、何故か「大きい」と私は思っていた。頭を撫でられて小さく感じたのは当然だ。その手を知っていたのは、小さな子供の私だったんだから……
「オヤジさんは、いつから気付いて…」
「最初にマルコとイゾウに連れられて来た時からだ。強い目と気配でもしやとは思ったが…“それ”を見て確信した」
そう言って私の耳元に目線をやったオヤジさんにつられそれに触れれば、エリンから聞いた「大切な人に贈る石」という言葉を思い出す。
最初はあの人から貰ったんだと思った。思い出した記憶の中では、家族の形見だと認識していた。
でも、それじゃあこれは…
「年端も行かねえ娘っ子には過ぎたモンかとその時は思ったが…よく似合ういい女になったじゃねえか、リリィよ」
オヤジさんが…私の為に…
はらはらと、いつの間にか涙が零れていた。
突拍子もない話だなんて思えなかった。
迷子になっていた間の記憶の方がしっくり来なかった事もこれなら合点がいく。だってあそこは、私の本当の世界ではなかったから。
記憶は無くても、私の心と身体はちゃんと覚えていた。忘れていなかった。
モビーで過ごした時間を。
「私は…ここに帰って来た…?」
「だなあ…思い出さねえなら、それも運命かと思って言わなかったが…。よく帰って来てくれたな、リリィ」
心からの言葉が胸に染み、私はずっと、オヤジさんに守られていたんだと分かる。
「オヤジさん…私、私…どうしよう、何て言ったらいいか分からない」
「随分と長い家出だったな、リリィ」
「うん…ただいまオヤジさん…待っててくれて、ありがとう…」
それは、心からの。
オヤジさんが忘れないで居てくれたから、私はここに帰って来れた。
そして私は私を取り戻し、家族と大切な人まで手に入れた。
「イゾウさん…」
「リリィ」
「グララララ!何を遠慮してやがるイゾウ、おれの大事な娘を早く泣き止ませてやんな」
オヤジさんの言葉に、自分からイゾウさんの胸に飛び込むと同時に強く抱きしめられた。
グラグラ笑うオヤジさんと一緒にステファンが鳴くのが聞こえる。
「もう心配いらないね、寝るのも怖くない」
「あァ…」
「ずっとここに居られる…」
朝起きたらモビーに居ないかもしれない、なんて不安は、もう抱かなくていい。
「リリィ」
「はい?」
「不束な息子だが、ひとつ宜しく頼む」
「オヤジ…」
何とも言えない複雑な表情をしたイゾウさんがおかしくて笑ったら、腰に回されたままの手で脇腹をむにっと抓まれた。
「それを言うなら私だって、放蕩娘だけど宜しくお願いします、ですよ?」
「グララララ!上手い事言いやがって。だがなあ、放浪は程々にしておけよ。親に心配させるんじゃねえ」
「はーい」
ニイ、っと口端を上げて笑うオヤジさんに笑い返すと、オヤジさんがイゾウさんの名前を呼んだ。
「ちっ…煩ェ」
「…え?」
「あァ、オヤジとリリィじゃねェよ」
怠そうに腰を上げて、でも私の手を引いたままでイゾウさんが扉を開けるとそこには……
「あ…」
「リリィ!!」
「あー、エースてめえ!」
何故か涙でぐちゃぐちゃのエースが隙間から飛び込む様に抱きついて来て、後はもう、扉を押し開けながら我先にと雪崩れ込んで来る隊長たち。
いつかと同じ、でもあの時とは比べ物にならない位に容赦無く揉みくちゃにされ、漸くイゾウさんに助け出された私の顔は、エース以上に笑顔と涙でぐちゃぐちゃで。
「みんな、ありがとう…ただいま!」
みんなの前だなんて気にせずに、イゾウさんの胸に飛び込んでわんわん泣いた。
ここが私の場所
大切な世界
もう二度と、忘れない
何処にも行かない
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