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  55.晴れなら君を待つ




イゾウさんは「直ぐに迎えに行く」と言ってくれたけれど、実際はそう簡単ではなかった。


モビーもレッドフォースも海軍の艦隊に監視されていると云う事を、私はこの時初めて知った。だから直接船同士を着ける事は出来れば避けたい、との事で。

明日この先に有る無人の小島で降ろして貰い、迎えを待つ事になった。
モビーは既に、あの島を出港しているそうだ…昨日の早いうちに。

ログの貯まる前夜に私はモビーを出たから…つまりそこから約二日経っていて、少なくとも私は昨日一日、意識を彷徨わせていた計算になる。
海に棄てられたりしなかったのは、本当に運がいい。

「半日延びるくらい、大丈夫ですよ。モビー以外の船は初めてだから興味有りますし」

申し訳なさそうに伝えて来たベンさんにそう言えば、「すまないな」と一言返された。それを聞いた赤髪さんは「宴だ!」と騒いでいる。ベンさんとの温度差が、見ていて本当に面白かった。



「助けて頂いて、ありがとうございました」

きちんとしたお礼を言っていなかった事に気付き改めて頭を下げると、その様子に気付いた赤髪さんが上機嫌でこちらへ来て、手にしていたジョッキの中身を飲み干す。
私の前にどっかりと腰を下ろしたその赤い髪は、月明かりでも鮮やかさを失わない。

「でもどうして、私があそこに居ると…」

そもそも私は赤髪さんたちと面識が無い。
なのにあの時の赤髪さんは、明らかに私が目的だと、そう言っていた。

「この海域に居たのはたまたまだ。お頭が急に、リリィを助けに行くと言い出した」
「リリィの気配は強くなったり弱くなったり消えたり、分かりやすかったからな」

そう言われてもやっぱり、赤髪さんが私を認識してた事に関しては納得出来なくて。
うーん、と訝しむ私の頭をわしゃわしゃと掻き乱しながら「細かい事は気にすんな」と赤髪さんが言うので、この話はそこで終わりになってしまった。



嵌らないピースが、また一つ。
一度離れたお陰でやっと全体が見えたその画は、思っていた以上に大きくて。

(私一人には、大き過ぎるみたいだよ…イゾウさん)



「…海賊って、イイですね」

レッドフォースの宴の中心には、常に赤髪さんが居る。全員揃っても矢張り少ないクルーの人たちと、ずっとじゃれ合い転げまわって…

「あの人は特殊だがな」

呆れた口調のベンさんと二人、少し離れた所からその様子をずっと眺めていた。

陽は落ち、夜の心地良い潮風が頬を撫でる。

「私、モビーに来る迄の記憶が曖昧で…。助けて貰う直前に、漠然と思い出したんですけど…」

あれは、私の人生が急激に方向を変え始めた日の朝だった。あれから私は…ううん、それは後でいい。

自分の上司で婚約者だった、という“役割”以外、顔も名前も思い出せないあの人。
でも今までに何度も頭に響いた記憶の声は、確かに彼のものだった。島の宿で聞こえた声も…

「それでもまだ、分からない事も沢山有って」

それより前、例えば子どもの頃。このピアスをくれたらしい両親の事。あっちでの最後の記憶、日付け、年齢、名前…
名前は一度、呼ばれた気がする。何て呼ばれてたっけ…?

「取り戻したいのか?」
「いえ…。どれだけ思い出しても、楽しい記憶はモビーに来てからだけで…。あ、すいません、いきなりこんな話」
「いや、気にする程の事じゃない」

サッチのご飯、食べながら寝るエース、苦い顔のマルコさん、イゾウさん……

みんな今頃、何してるのかな…



「リリィー、っと…寝てんのか?」
「…お頭、これ以上は掻き乱すな」
「わかってるって。十分満足だよ、満足」


海も海賊も…好き
前よりも、もっと、ずっと…

ずっと…、






* * *


「うわぁ…スレスレ…。これじゃモビーは入れないですね」

大小沢山の小島が乱立するそこは、確かに人目を忍ぶには最適な場所だった。

「迎えの時間迄は、適当に潰しててくれて構わない」
「はい、ありがとうございます」

赤髪さんの姿は朝から見えなかった。
夕べ私が寝落ちしてしまった後も、明るくなるまで飲んでいたらしい。他の人も同様で、ベンさんと数名の人以外は全滅の様だった。

これが四皇の一角を担う船だなんて…色んな意味で凄すぎる。


のんびりぼんやり、考えながらぐるりと甲板を歩く。
オヤジさん以外の四皇の船に乗るなんて、きっと最初で最後だろうから。
レッドフォースの特徴的な船首で足を止め見上げると、上がれそうな足場を見つけよじ登る。

(わぁ…気持ちいい…)

島々の地面で冷やされた空気は心地良くさらさらで、ここがまだ海上だと云う事を忘れさせる。この辺りは風溜まりなのか、一際濃い潮の香りが鼻腔を満たした。
過去の記憶の中なのに、何故か恋しくて堪らなかった潮風をいっぱいに吸い込むと…

ふわりと意識が明後日の方向へとダイブ、した…


―――リリィ!?落ちるぞ!

……?!


「また…落ちるつもりか?」
「…シャンク、ス…?」
「おっ?なんだ……リリィ?」


…赤髪、さんの声…?
今のは…何?

いつの間に起きて来たのか、赤髪さんの腕一本で私の身体は宙に支えられている。

「赤髪さん…??今、私…?」
「…どうした?」
「いえ…多分、何も…」

何も言っていない、けれど…
熱くて苦しくて切なくて。
湧き上がる物を抑える事が出来なかった。

「これから迎えが来るってのに泣くなよ。俺が泣かせたと思われんじゃねえか」
「…オヤジさんに、そう言っておきますね」
「それだけは勘弁してくれよな、マジで」

情けなく眉尻を下げた四皇は、軽々と引き上げた私を抱え直すと、重力が掛かるほどの高さを易々と飛び降りた。

「よっ…と」

ぱしゃりと派手に跳ねた海水が口内に入り、強い苦味が長く後を引く。

「悪いなリリィ、そろそろ時間なんだ。俺たちはここまでだが…元気でやれよ」
「はい。本当に色々と、ありがとうございました」

ぺこりとお辞儀をした私の頭を撫でた赤髪さんの手は、やっぱり大きくて小さかった。

(またいつか、何処かで…)




足を水に浸けたたままで、レッドフォースが水平線に飲まれるまで見送った。
静かになった浜辺に打ち寄せる波の回数を一人数えていれば、背後から近付く、次第に強くなる気配に息を飲む。

覇気なんて無いけど、分かるんだ。


いつ振り向こう?
姿が見えたら直ぐ?
声を掛けられてから?


「え…!?あ……」

逸る鼓動と思考に、意識がお留守だった私の身体がふわりと宙に浮く。
視界がその姿を捉えるより先に、嗅覚が感じた煙管の、香の、モビーの、イゾウさんの香り。


「イゾウ…さん…」
「魚の餌になるつもりか、リリィ?」

まさかの第一声に吹き出しそうになるのを抑え、腰に回された腕にそっと触れれば、自分の指が震えていて私もクスリと笑う。

「…イゾウさんが、釣れた」
「逆だろ?」

後ろから抱え上げられたまま、クツリと云う笑い声と頬が耳元に寄せられる。

「リリィ」

じわり、と
直接耳朶に染み入るその声に、堪え切れず腕を振りほどいて振り返った。

「イゾウさん…!」

いつの間にか滲んでいた涙で顔がよく見えなかった、けれど。
がむしゃらにその腕に飛び込めば、しっかりと強く優しく抱き返されて。

「帰って来た、帰って来れたよ、イゾウさん…」
「おかえり、リリィ」

負けないくらいぎゅっと抱き締め返して、息も出来ないくらい強く深く、待ち焦がれた胸元に顔を埋めた。

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