46.忘れて 探して、迷って 選んで。
「これから?」
「うん、もう少し話したいなって思って」
昨日の奴らに話をしている所を見られるのは避けたかったので、宿主さんに断わって仕事中の彼女を部屋に呼び出した。
「今日は夕方まで仕事が有るから、その後でも大丈夫?」
「イゾウさん、夜でも平気?」
「構わねェよ。こっちもその位の方が都合がいいしな」
オヤジさんに相談して、“静観”と云う方向になるならば、その時はただ一緒に飲んでお喋りして、最後の夜を楽しめばいい。
「じゃあ、また後で来るね」
「うん、ありがとう。是非また泊まりに来てね」
外まで見送ると云う彼女とロビーで別れ、宿を後にした。
「イゾウさん、ありがとう」
「ん?」
手放しで楽しい事だけでは無かったし、まだまだやる事は残っている。けれど、それを補って余るくらい十分に、イゾウさんを独り占めして補給した。
「この二日間、凄く楽しかった。指の先までイゾウさんでいっぱいになった気がする」
半歩前を歩くイゾウさんの顔は、殆ど見えなかったけれど。
煙管を弄ぶ手を一瞬止めて天を仰ぐと、何も言わずに私の手を強く引き、その距離を詰めた。
遥か眼下に、モビーが見えた。
近付くその甲板上。
遠目にも判る、一際大きな人影。
大きな家族は沢山居るけれど、あの人影だけは間違いようも無い。
「オヤジさん、ただいま!」
タラップを駆け上がり、真っ直ぐオヤジさんの元へ走る。
その横には沢山の書類を抱え、相変わらずワーカホリックな姿のマルコさん。
「グララララ!随分と元気じゃねぇか。羽伸ばして来たか?」
「はい、とても楽しかったです」
ゆっくりと歩いて来たイゾウさんは、ぽんと私の肩に手を乗せて半歩後ろで止まると、真剣な顔でオヤジさんとマルコさんを見遣る。
「先に例の話をして来る。リリィは部屋に戻ってな」
「うん、お願いします」
先にモビーに戻っていたサッチと四人、船長室の方へと歩いて行くのを見送った。
部屋に戻り荷物を片付けて、普段通りの動きやすい服装に着替えた。
(あ…マズいかも…)
一人になった途端、不安が頭をもたげる。
船番の時間になるまでとベッドに身を投げ、静かに目を閉じた。
大丈夫、ここはモビーのお腹の中だ。
それに今の私はイゾウさんで埋め尽くされていて、不安の入る隙間なんて無い。
(ただいま、モビー。また宜しくね…)
モビーはオヤジさんとよく似てる。
大きくて、温かくて、頼もしくて・・・・
「ん…私、本当に寝てた…?」
ほんの僅かな微睡みから覚めたら、ふわりと大好きな香り。そこにはいつの間にかイゾウさんが居た。
「珍しいな、リリィがうたた寝なんて。疲れてんのか?」
すり、と頬を指の背で撫でられる擽ったさに、顔が綻ぶ。
「ううん、モビーが気持ち良くて…オヤジさん、何て?」
「今夜もう少し調べる。彼女の件は、リリィの判断に任せるって事だが…どうする?」
「私が…決める?」
一つの島の事…そこまで行かなくとも、他人の人生に関わるかもしれない事。
いざ決断するとなるとその大きさと重さは、想像していた以上の質量をもって私の肩に圧し掛かる。
人に押し付けるつもりは無い…でも…
「オヤジがリリィに任せるって言ってんだ、自信持ちな。…なァ、リリィ」
「はい?」
起こしかけていた身体を強く引かれ、ぽすんと、まるで子供みたいに軽々と、イゾウさんの胸に抱き込まれた。その力はいつもより少しだけ強くて、背中に回した腕に私も力を込める。
「これから先、きっと何度も分かれ道が来る。選ぶのはリリィだ、俺は側で見ててやる事しか出来ねェ。でもな、もし道を違えてたら、全力でこっちに引き戻してやる。だから、誰にも遠慮しねェで自分が思った通りの道を選びな」
ぐらぐらと覚束ない足元を見透かされたかの様なその言葉は、私の気持ちの不安定な部分をしっかりと補う。
「俺に出来るのは、それだけだからな」
「…十分です。私はその半分も、イゾウさんの為にしてあげられる事がないのに」
顔を上げたら思っていたよりも真近にあったイゾウさんの瞳に映る自分の顔は、ちゃんと真っ直ぐにイゾウさんを見ていたから。
「リリィに不安な表情は似合わねェよ」
「うん、ありがとう」
大丈夫。
前を見ていればそこには、ちゃんとイゾウさんが居てくれる。
「このまま島を離れたくないから、話しをします。それに…理由は分からないんだけど、どうしても気になって仕方がないの。その答えも、欲しい」
今の私は、自分の力で自由に世界を行き来する事が出来ない。
そうじゃなくたって、明日に保証なんて無いんだから、後でまた、なんて言ってられない。
「そうと決まれば…早いとこ仕事片付けねェとな」
「りょーかいです、イゾウ隊長」
ゆっくりと、同じタイミングで緩めた両手を合わせて指を絡め、触れるだけのキスをした。
* * *
初めて上がったマストから見下ろしたモビーは、いつも以上に活気に満ちて見えた。沢山の物資が補給され、下船でリフレッシュした所為か家族たちの士気も高い。
定位置で愛用の大きな椅子に座るオヤジさんも、その様子を目を細めて見守っている。
出港前の高揚感をこんな場所から味わうのは、勿論初めてだ。
例え海賊船であっても、モビーは本当に良い船だと思う。
私の記憶は、ここ以上の場所を知らない。
「リリィ、そろそろ行くぞー」
「はーい!」
ログが貯まるまであと一晩。
私は私のやれる事をやろう、きっと無駄な事なんてないから。
「じゃあイゾウさん、先に行ってます」
まだ用事の残るイゾウさんの代わりに、今日も情報収集という“大義名分”を背負って街に出るサッチが、宿の前まで送ってくれた。
「わざわざありがとう」
「おう。上手い事やれよ?」
「うん、サッチもね?」
がしっと拳を合わせたら、私は彼女の元へ、サッチは夜の街へ。
くるり、とお互い背を向けても
目的地はみんな、同じだ。
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