45.アネモネ
自分の中もう一人の誰かが居るかの様な、重く嫌な気配。
イゾウさんに話しながら少しずつ追い出して、普段の二倍も三倍も…まるで二人分のエネルギーを使ったみたいな疲労感に押し潰されていた私は、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
(…な、なに!?)
隣で眠っていたイゾウさんの強烈な殺気(それが殺気なのかは分からないけれど、その時の私はとにかくそう感じた)に飛び起きた。
枕元に置いてあった愛銃を手にゆっくりと身体を起こすイゾウさんは、寝起きの悪さも相まってめちゃくちゃ不機嫌だ。
「ちょ、待てって!俺っちだっての!」
扉の外から聞こえる慌てた様子のその声の主は…俺っちで分かるけど、名乗らないのは撃たれないと分かってるからなのか…
チッと舌打ちするイゾウさん越しに見る窓の外は、まだ薄暗い。
イゾウさんの機嫌が直るまでの事を思うと、無意識にため息が出た。
…やだな、幸せが逃げる。
眠い目を擦りながらもそもそと起き上がりカーデガンを羽織ると、そっと扉を開け……
「わりーな、リリィ」
「…お、はよう…。それ、大丈夫…?」
目の前に現れた俺っち…サッチは、何故か盛大に頬を腫らしていた……
* * *
「だから悪かったっての」
頬を冷やす為に渡したタオルを置き、両手を合わせて全力で謝罪するサッチを、だらりとソファに身を投げたイゾウさんが容赦無く睨みつける。
「そんな顔で見んなって。なんなら寝直しても構わねーからよ」
「え?あ、うん…」
言われて思わずベッドに視線をやれば、抜け出した形のままに乱れるシーツ。
(う…わぁ…)
この二日間、イゾウさんと二人で過ごしてた部屋をサッチに見られた事に気付き、急に照れ臭くなった私は、座るついでにぱたぱたと後ろ手で整える。
「こんな時間に押しかけてんだ。当然成果は有ったんだろうなァ…?」
「手ぶら」だとでも言おうモノならすぐに発砲しかねない程に、イゾウさんのご機嫌は傾いたままだ。
「当たり前だってんだ。俺っちを誰だと思っ……わ、分かったからそれしまえっての」
渋々とイゾウさんが愛銃をしまうとサッチも漸く軽口を畳み、お姉さんから仕入れた“噂話”を始めた。
私ももちろん、寝ずに話を聞く。
「リリィの聞いた話な。どうやら彼女の家だけの問題じゃ無いみてーだ。ここ何年かで、そのナントカ家ってのに役人や商売人の殆どが弱味握られたらしい。つっても、強引に金を貸付られたり難癖付けられたり、無理矢理作られた弱味な。そんなもん島民同士声を上げろよって思うだろ?所がこの島には昔から、家の恥を外に出さねーって風潮が有るらしくてな、上手くそこを突きやがった」
一気にそこまで話すと、サッチは咥えっぱなしだった煙草に火を点けた。嗅ぎ慣れないオイルライターの臭いが鼻をつく。
「…で、この島で昔っから手広く商売やってんのが彼女の家な。商船なんかも持ってて、ある程度力も人望も有る。これがなかなか弱味握らせねーってんで、じっくり足元から崩して孤立させた上で、娘に白羽の矢を立てた…って事らしい。表向きは堅気ぶってっけど裏じゃ他にも色々やってて、とにかくやり口は汚ねーって話だ」
昨日見た街の様子を思い返す。
人もお店も多く賑やかに見えたのに、感じたあの違和感は…
「みんな、誰かの顔色伺ってる…?」
浮かぶのは、貼り付けた様に不自然な表情をした人々。
お互い知らずに外聞を気にしていて、多分あちこちに見張りみたいな奴らも紛れてたんだ…
「でも…何でこの島なんだろう?」
「そこそこ大きくて気候も良い。ログが溜まるのも早ェから船の回転も良いし、オヤジの庇護下でそこそこ治安も保たれて、海軍の詰所もねェ。海賊ってのは騒ぎも起こすが金も落とすからな。商いには悪くねェ島だよ」
「だからって、こんなのは…」
イゾウさんの説明には納得するも、こんな理不尽な話には納得出来ない。
表の顔と裏の顔ってのは何処にでも誰にでも有るけど、ここは表向きは平穏だし…違う、平穏に見えるから問題なんだ。
それでも…これは結局この島の問題で…
「口出す事じゃ…ねェよ」
「うん、分かってる…」
私はただの通りすがりで、あと数日もすればこの島を離れる。
無責任に関わる事は…しちゃいけないんだ。
分かってる。
それは分かってる…けど…
やり切れない思いが拭えず、気付けば固く握りしめていた両手に視線を落とす。
あの子は「島の為にも家の為にも」って言ってた…
何かの為に好きな人から離れて好きじゃない人と一緒になるなんて…そんな諦め方は、誰も幸せになんてしないのに…
きしっとスプリングの軋む音に顔を上げると、イゾウさんにひょいひょいと手招きをされた。
空けてくれたスペースに移動すると、爪の痕が付いてしまっていた手をそっと取られる。
「あー、そこなんだけどよ…。こっからは流石におねーちゃんでも噂でしか知らねーって話なんだけどな…」
短くなった煙草を乱暴に揉み消したサッチが身体を屈めて声を顰めたので、聞き逃すまいと意識をサッチの方に戻す。
「そのナントカ家ってのがな、裏でどっかの海賊だかでけぇ組織だかと繋がってる…って噂なんだとよ」
「…他の海賊団を上げようってなら、話は変わって来るな」
「どう云う…事?」
きしきしと椅子を器用に揺らし、再び煙草を咥えたサッチがニヤリと嗤う。
「オヤジの顔を潰すヤツを、見逃す訳にはいかねーよな?」
「え…じゃあ…?」
イゾウさんの方を見れば、さっきまでの寝起きの不機嫌さは何処へやら、サッチ以上に愉しそうな顔で煙管に火を入れている。
「まァ、マルコに話してから…だな。嬉しそうな顔してんじゃねェよ、リリィ」
「イゾウさんもね?」
イゾウさんの悪そうな顔は、否応無しに私のテンションを上げる。
夜明けまでは、あと少し。
「早く朝にならないかな」
「それまでサクッと寝るかー」
「あ?てめェはモビーに帰んな」
「あ、それで何でほっぺ叩かれたの??」
「…お前ら……」
prev /
index /
next