39.月明かりの夜に
「へ?一軒丸ごと?」
他の海賊を知らないから何とも言えないけれど、とにかく今までの私の感覚からしたらそれは桁違いだった。
「借り切る方が世話ねェんだよ。血の気の多い連中だしな」
そう言われてみれば確かに納得で、これなら余計な揉め事を気にせずに、何の気兼ねも無く飲める。
私たちが入った時には既に沢山の家族たちが飲んでいて、隊長格…主にサッチの周りには女の人の姿も見える。
エースはまだ色気より食い気って感じで、少しだけホッとした。
島の銘酒だと云う透明なお酒の入ったグラスを手にカウンターでまったりとするイゾウさんと私を他所に、主にサッチの笑い声が店中に響く。
「サッチ…ヘラヘラし過ぎ」
「どうせ最後はエースに持っていかれるのにな」
「エースもやっぱりそうなんだ…」
当然と言えば当然だけど、弟みたいな気がしてたので少しショックだ。
それよりも少し前まではそこにイゾウさんも居た…と思うと何だか複雑な心境になる。確か以前にサッチがそんな話をしてたし…
手にしていたグラスに視線を落とし、氷をくるくると指で回し溶けていくのを眺める。
「あ、イゾウさんもエースに負けてたの?」
「……いや、そもそもタイプが違うしな」
「イゾウさんのタイプって…あ、待って言わないで!」
好奇心で自爆した私を見てクッと笑いながら飲み干したグラスをイゾウさんが置くと、すぐさま新しいグラスが置かれた。
カウンターの向こうには、この店の店主だと云う女性。
海賊の相手も慣れた様子で一人で切り回しているその人は、お姉さんと言うよりはお姐さんと言う方がしっくり来る。
「ごゆっくりね」
そんな一言と自然な笑顔を残してフロアの対応に出ようとしたお姉さんの足が、遠慮がちにカラン、と鳴ったドアベルの音で止まる。
半分開いた扉の前にはこの場に似つかわしく無い若い女の子が立っていて、皆の視線が一斉に集まった。
「あら…。あ、ごめんなさい身内なの」
店いっぱいの海賊の視線に一瞬身じろいだ女の子は、お姉さんの声にホッと肩の力を抜いて静かに扉を閉めた。
それを合図に何事も無かったかの様に喧騒が戻ると、女の子は入口から近いカウンターの椅子に腰を下ろした。
何だか思い詰めた様な表情が気になって、思わず目で追っていたら目が合った。ぺこりと頭を下げられたので慌てて微笑み返す。
いまにも泣き出しそうな顔に見えたのは…照明の加減か気の所為か。
緩々と、本当にのんびりと時間は過ぎた。
イゾウさんとの沈黙は苦にならなかった。
無理に言葉を発しなくてもいい安心感と空気に、時折上機嫌でやってくる家族。
サッチの作る料理とは違うけれども、お姉さんの料理も絶品で、その全てが心地良い微酔い感を私にもたらす。
「…だって、家の為にも島の為にもその方が良いって事は解るもの…」
「でもあんた…」
そんな中でも耳に入って来てしまうのは、きっとその会話と店の温度差の所為。
「リリィ?」
ほわり、と目の前を流れた紫煙の元を辿り振り向けば、それが自分に向かって吐き出されていたと気付く。
「なんか、気になっちゃって…」
それは当然イゾウさんの耳にも届いていて、怪訝な顔をしていたらしい私の頬をむにっと抓ると、ゆっくりともう一口、今度は天井に向けて紫煙を吐き出した。
「島が大きけりゃ、利権も複雑だからな」
「うん…。でもここ、オヤジさんの庇護下なんでしょう?」
「統治してる訳じゃねェからな、基本的に内部の事にまでは口出しはしねェよ」
「そういうものなんだ…」
誰かの為に自分を犠牲にする…
古い時代の慣習みたいなその行動も、ここではまだ日常なのかも知れないと思うと、心臓が鷲掴みされたみたいに苦しくなった。
「ふぁぁ…」
考え事に集中し過ぎて無防備になっていた口元から小さく欠伸が漏れ、ハッとなり塞ぐも時既に遅く。
「やっぱりな」と云う顔をしたイゾウさんに、ぽんと肩を叩かれる。
「休むか?夕べロクに寝てねェんだろ?」
「…うん。起きてるのばれてたんだ…」
「ま、あの距離だしな。行くぞ」
煙管を懐にしまい立ち上がったイゾウさんは、相変わらずご機嫌なサッチに一言二言声を掛けると出口へと向かった。
そう云えばいつの間にか、エースが居ない…
「ごちそうさまです。おやすみなさい」
扉の開く音に慌ててお姉さんと女の子に挨拶をした。
さっきより明るい表情になっていた女の子に少しだけ安心して、イゾウさんの後を追い掛けた。
今夜は新月で、星ばかりが明るい。
店内とは一変して静かで薄暗い石畳には、コツコツと私の靴音だけが響く。
「あれ…イゾウさん。モビーは反対…」
「今日はモビーには帰らねェよ」
「へ…?」
思わず足を止めた私の顔が、イゾウさんの手でくいっと上に向かされる。
「宿を取ったからな、行くぞ」
ぽかんとする私の顎に添えられた指先が微かに動いて、擽ったさに逃げようとしたら素早く腰を捕まえられる。
「ちょ、待ってイゾウさん…」
微酔いだった筈なのに一瞬でアルコールが抜け、代わりに熱が全身を駆け巡った。
だってつまり、それは……
「モビーは“家”だからっていつもリリィは気が散ってるからな。これで文句ねェだろ?」
「は!?大有り!むしろ文句しかないし!」
「じゃあ一人でモビーに戻るか?」
返事は分かってる癖にそんな事を言うイゾウさんは本当に意地悪だ。
もちろん、本当に一人で帰されるなんて、私だってこれっぽっちも思っていないんだけれど。
「……イゾウさんと一緒がいい」
素直にそう答えると、一瞬驚いた顔をしたイゾウさんは、そのまま満足そうに緩く片方の口端を上げ、私の腰に手を添えたまま歩き出した。
新月で良かった。
表情は見られても、その色は隠してくれるから。
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